19-5
クララは足取りも軽く厨房へと消えていく。客が来たからにはもてなすべきだとお茶の支度をし始めたようだ。白い妖怪の後姿を見送った刹那は、和輝達の元へ歩み寄るとまた柔らかな笑みを湛えた。
「隣、座ってもいいかい? ……和輝君はガールフレンドが多いんだね、羨ましいよ」
「ご自由に。……逢坂さんが言うとイヤミに聞こえますね」
「イヤミか……そうだね、嫉妬したのかもしれないね。僕にも少し分けて欲しいくらいだからね……ねえ、和輝君。君は、夢姫ちゃんの事が好きなのかい?」
「分けるも何も全部差し上げ……はい?」
カウンター席に腰かける刹那の突拍子もない問いに対し、和輝は気の抜けた返事しか返せなかった。声を潜めたまま嘲笑するかのような詠巳の視線を無視すると、和輝はため息を落とす。刹那の言葉の意図をなんとなく察したようだ。
「無回答は“はい”だと受け取っていいのかな」
「そ……そういうんじゃないですけど……」
目をそらしたくなるほど、刹那はまっすぐな眼差しを手向けてくる。言いよどむような関係性ではない。そういった気持ちなども一切ないはずなのに、妙な緊張から思った通りに声が出なかった。和輝は逃げ出したい心境に駆られ、助けを求めるようにクララのいる厨房を盗み見る。
だが、開け放した扉の奥からはお湯を沸かす音と、野太い鼻歌が聞こえてくるばかりで当のクララには期待できそうもない。
クララが使えないならば、と傍らに静かに座る詠巳に視線を投げる……が、視線を受け取った彼女は口角を釣り上げ微笑むと、わざとらしく顔をそらす。
――完全にこの状況を楽しんでる、と和輝は静かにため息を落とすばかりとなった。
「……僕が、夢姫ちゃんの事を愛していると言ったら君はどうする、和輝君? 僕と戦うかい?」
詠巳に気を取られていた和輝の背中に、刹那の穏やかで芯のある声が刺さる。
こう言う状況に不慣れな和輝であるが……今一度刹那に向かい座り直すと息をつき、視線を返した。
「別にどうもしませんよ。……向こうが勝手に寄ってくるだけで、俺は水瀬とも友達ですらないんで。……むしろ」
「むしろ?」
――この状況はチャンスなのではないか、そんな気がしていた。それは夏祭りの夜から……いや本当は、ずっと最初から思っていた事。
それは“自分と関わるから、彼女を殺さなければならないのではないか”と言うこと。
自分に関わらなければ、夢姫は普通の女子高生として幸せに過ごせるのではないか――
「……逢坂さんが“そう言う事”なのであれば、出来る限りで何なりと協力しますよ」
傍らで口を閉ざす詠巳の表情は、いかにも意外だと言わんばかりである。
和輝にとって、見ているか見ていないのか分からない詠巳の視線よりも……純粋と称するのが正しいのか。まっすぐに見つめてくる同性である刹那の視線の方が鋭く刺さり、逃げ出したい気持ちが再び帰ってきてしまった様子で厨房へと目をそらす。
……が、こちらの気まずい時間とは全くの別世界のよう。相も変わらず野太い鼻歌が返ってくるばかりであった。
「君と梗耶ちゃんは正反対であり、同じ気持ち……なのかな」
「風見……?」
梗耶と刹那の話など知る由もない和輝が、首を傾げる刹那に聞き返した時――
重たげな扉が勢いよく開くと同時に来客を告げるベルが鳴り響き、甲高い声が來葉堂になだれ込んできた。
「忘れ物!!」
その騒々しさは一瞬で静かな時間をぶち壊し、三人は一斉にベルの余韻が残る扉に注視する。
この開け方は間違えようがない。
騒々しい来客――夢姫は和輝達に目もくれず、自身が先程まで座っていたテーブル席の椅子を覗き込み、ラメがキラキラと乱反射している派手なスマホを手に取り安堵の笑みを見せていた。
どうも夢姫は、先ほどとっさに店を飛び出し帰ろうとしていたせいでスマホを忘れて帰っていたようだ。
「やあ、奇遇だね夢姫ちゃん。君に会いたいと願っていたところなんだ……これも巡りあわせかな」
学園祭の騒動以降、この二人が会うのはこれが最初であった。それが分かっているからこそ、和輝は黙って二人の姿を眺める。
まるで借りてきた猫のように途端に大人しくなってしまった夢姫。
その異変に気付かないはずも無い。いつしかクララまでも沸かしかけのお茶を放置し厨房の扉から盗み見し、積極的な性格であろう刹那の言動に注目していた。
一斉に集まる好奇の視線の中にあっても、刹那はたじろぐ事もなく夢姫の両手に細く長い指を重ねる。
「もし、嫌でなければで良いんだけど。今度、遊園地に遊びに行かない?」
和輝はこみ上げるようなむず痒さには慣れてきていた。だが、この二人の行く末を見つめ続けたいとも思えなかったのか静かに立ち上がる。邪魔をしないようにと静かに扉の元へ歩き出した和輝を詠巳もそっと追いかけた。
「ゆ、遊園地……? あ、だったら皆……って、ちょっと和輝、よみちゃん連れてどこ行くつもりよ!」
「邪魔だろうから表に出るだけだよ」
「ジャマっていうか……」
言い淀んだ夢姫から逃げるかのように、和輝は背を向けたまま扉を押し開ける。
心なしか、いつも開け閉めしている扉が少し重たく感じられた。
「行く。遊園地、行きたい!」
少しの沈黙を挟んだのち、意を決したかのような夢姫の張りつめた声が來葉堂に響き渡った。
和輝が振り返ると――刹那の手を両手でしっかりと握り返す夢姫の姿と、視界の端の白おば……クララが恋する乙女の輝く瞳で見守る、そんな光景が見えた。
「断られるかと思ったよ……良かった。夢姫ちゃんは帰るところだったんだろう、送るよ。話は追々、ね」
夢姫は大きく頷き、刹那もまたごく自然にその背に手を添え大きな扉へ向かい歩き出す。
扉の前に立ったまま……とうせんぼするような形と相成ってしまった和輝が道を譲る。ふと――詠巳の存在を思い出した様子で、刹那は柔らかな笑みを携えた。
「……夢姫ちゃんのお友達、だよね? 良かったら帰り一緒にどうかな?」
詠巳はしばしの間、刹那の目をジッと見ていた。やがてそっと目をそらすと“私は灯之崎君に送ってもらうわ”と囁くように返した。




