1-6*
ただ一人蚊帳の外である夢姫。この決着が見え始めている展開にため息をついていた。
「……つまんないな。楽勝じゃない」
灯之崎が圧倒的に優勢。当然夢姫に危険が及ぶこともない。“退屈”の二文字がその脳裏を支配し始めた頃、夢姫はおもむろに天を仰ぐ。
儚くも美しい満月が夢姫を見下ろしていた。
「守られたいとかそんなんじゃないのよ、あたしは――」
大きくて丸く、輝く月――手を伸ばせば届きそうな気がして、右手を天へかざしてみる。
すると、その瞬間――閃光が夢姫の視界を奪った。咄嗟に目を閉じ堪えてみると……やがて光は収まっていった。そして次に目を開けたその時には――
「腕輪……?」
――月に伸ばしたその右手には、いつの間にか腕輪が鈍い光を放っていたのだった。
元は綺麗な銀色だったのだろうか。焼け焦げたかのように所々黒に染まった腕輪は鈍く、そして弱く光っている。
同じ色にさび付いた鈴が腕輪に付いているが、振れども振れどもカラカラと渇いた音がするだけのようだ。
「ねぇっ! ひのひの! 何かね、腕輪が来た……ってまた無視? ねぇってばー! 構ってよー」
夢姫が声を張り上げるものの、男のナイフを軽やかに避け続ける彼からの言葉は帰ってこない。
「構ってってば~」
この完全放置プレイに夢姫が両手を振り訴えかける。
すると、呼応するかのように澄みきった鈴の音が辺りに響いた。
耳元で聞こえた美しい音。右手にはまる腕輪の鈴かと思い再度振ってみたものの綺麗な音は出ないまま、やはりカラカラと乾いた音が耳に障るのみである。
その鈴の音は交戦していた灯之崎にも聞こえたらしい。
弄ばれていた会社員へ足払いを掛け、投げ飛ばすと足早に夢姫の元へ駆け寄った。
「お前……?」
「あ、これね暇だったから月見てたら腕にハマってた!」
「ごめん、日本語で言える?」
「失礼な! ……ってか、それよりさっきのおじさんは?」
「……あ、あぁ。軽かったし、多分もう大丈夫だと思う。起きる頃には自首するんじゃないかな」
夢姫は呆気なく、味気ない展開に心が沈む感覚であった。
もっと粘りなさいよ。楽しませてよ。
もっと、もっと――
「……どうした?」
夢姫のうかない表情を慮った様子で、灯之崎が歩み寄る。
「……あ」
「あ? ……何だよ」
「あれ、何だろ?」
――地に伏し伸びきった男の体から黒い靄のようなものが涌き出てくるのが薄暗い中でもはっきり分かった。
それは人の形になり……と言っても頭部と胴体、そして両腕がある程度。いわば人の影がそのまま浮きあがったようなものだ。
この靄はまるで意識を持っているかのように二人に目掛けその身を揺り動かし、その両腕で殴りかかってきたのだった。
灯之崎は咄嗟に夢姫を庇い共にその攻撃を避けると、黒い靄に立ちはだかった。
「怪我は無い?」
「いえい」
「……緊張感無いな」
「そ?」
夢姫は“楽しくなってきた”というのが本音であった。
目の前の“非日常”――その中に自分が混ざるこの状況。思い描いていた夢の世界に胸が躍らない訳が無いのだ。
「……しかし何なんだ? コイツは」
「ひのっちも解らないの?」
「似たようなものは知ってるけどこんな人型のものは初めて戦う。……ろくな日じゃない。初対面の奴に思いっきり陰口叩かれるわ、その連れに付きまとわられるわ、恋人に間違われるわで」
「それってほぼあたしじゃん?」
夢姫のツッコミには耳を貸さないまま……灯之崎は深いため息をつくとポシェットから棒のようなものを取り出し、その手に構えた。
刃のない刀……つまり、日本刀の柄の部分だけのようである。それは――彼が黒い靄を睨んだ瞬間、光が刃の形に集まり刀の形と成した。
「わぁお!」
光をまとった刀身は通常の日本刀に匹敵する程の長さである。実体が無い為であろうか重みを感じさせず片手でそれを構えている。
人型の“それ”は意志を持っているかのように灯之崎から逃げ、夢姫に向かい両腕を振り上げる。
灯之崎はそれを見逃さず、黒い人型の前に立ちはだかるとまたも笑みを見せた。
「――悪い狼を黙らせるのが俺の使命なんだよ! 悪く思うなよ!」
両腕を切り落とす形で横に一閃させる。切り裂いた両腕からは血の代わりに光が噴き出し、切られた腕の先は闇へと溶けていく。
「何それすごーい! あたしもやりたい!」
「あ?」
夢姫も居ても立っても居られない。目の前の刺激的な光景にどうしても混ざりたいのだ。
その一心で背中に庇われた灯之崎を押しのけるように隣へおどり出る。
するといつの間にかその手の中には黒く細長い杖のようなものが握られていた。
「わーい! あたしにも出来た! 美少女戦士って感じ?」
夢姫が人型の“それ”に向かって振ると、その人型に実態が無い為か殴った手ごたえは感じられなかった。ただ空を裂いたような感覚である。
だが、心なしかその動きが鈍くなっていく気がした。
「灯之崎っ! 今よ!」
「言われなくても……」
灯之崎が構えた刀を思いっきり振りかざすと、頭から胴に一直線に光の弧を描く。
「……分かってるよ!」
“それ”の体から光が溢れ破裂するかのように飛び散り、夕闇の中へ溶けていった。
―――
――灯之崎がため息を吐くと、呼応するように刀身の光も霧散し“柄だけの刀”へと姿を戻す。
夢姫の手にしていた杖も、気が付いた時には握りしめた感触も無くなり姿形なく消えていた。
「何かどっと疲れた……帰るぞ」
「あ。ねえおじさんは?」
「……そうだった。警察呼ぶか」
灯之崎がスマートフォンで通報すると、数分とかからない間に閑静な住宅街を赤い光とサイレンの音が包み込んだ。
傍観していた夢姫を“怒られるから”と灯之崎が引っ張り……二人はこっそり家路についたのだった。