1-5
――“ななちゃん”に連れられ、二人は公園の中の少し開けた場所に移動してきた。
昼間はサッカー少年たちの練習場になっている場所だ。夢姫は幾度か足を運んだことがあった。
そう、サッカー少年……と言うより、スポーツに励む少年達の中から将来有望そうな逸材を探し求めて。
とはいえ、こんな遅い時間には目の保養……もといサッカー少年はおろか人っ子一人いやしない。
辺りもさっきと変わらず、静かなものであった。
「で、あたしをこんな場所に連れ出して何よ。“ななちゃん”たら何するつもりよ」
「何もしねーよ。邪魔だから下がってろ」
「しなさいよ」
「何をだよ」
「女の子に言わせるんじゃないわよ! 馬鹿!」
「……はあ!?」
静まり返った公園の中、夢姫達の声だけが響く。
元々落ち着きのない夢姫。間が持たずからかうつもりの冗談などを口にしてみたが……“ななちゃん”は心ここにあらずといった様子の非常に薄いもの。
“やっぱりからかうなら続木先生がいいわね”
――夢姫は明日以降の自身の振舞いについて、そんなプランニングをしていた。
“ななちゃん”は辺りを警戒しながら、身につけているポシェットに片手を忍ばせている。
この塩対応と静寂に耐えかねた夢姫は“ななちゃん”の背後から近づくと、その手を掴む。
「ねえねえ“ななちゃん”よ、何が何なのか教えてよ!」
「お、お前が帰らないって言い張るからこうなったんだろ! ……ったく」
「なーなーぴょん!」
「って言うか、いい加減その女子みたいな呼び方やめろよ!」
「だって名前知らないもん!」
論破したつもりで勝ち誇って見せていた夢姫。“ななちゃん”はどうやら“この少女とまともに会話していたら自分が疲れるだけだ”と悟ったらしい。深いため息を落としている。
「……灯之崎。以上」
「はあ? 名字だけ? あたしフルネーム教えたよね? 下の名前は?」
「で、次の質問。“何が起きてるのか知りたい”だっけ」
「無視! ねえ下の名前はー! ねえねえ」
面倒な少女だが、全面的にその要望を呑むつもりにもなれなかったようだ。ふてくされる夢姫を無視して灯之崎は掴まれた手を振りほどく。
「……“狼男”が出るんだよ」
“名前”という質問を置き去りにしたまま続けられた灯之崎の言葉。夢姫は首を傾げた。
「――満月の夜に現れるんだよ。普段は特段変わらない、普通の人間が“満月を見ると豹変する”ってやつ。一説には月の満ち欠けが人の精神にも影響すると言われているけど、真偽は知らない」
「そ、それが何よ……ああ! まさか」
「あ、ああ?」
「まさかそんなきゃーっ! きゃ、きゃーっ! ひのぴょんったら、つまり自分が送り狼だって言いたいのね! ユーアー狼男! きゃ、きゃきゃーっ! だからこんなところに連れてきたのね?」
「お前は猿か! そして違う! あとひのぴょんって何だよ……あぁ、疲れる。俺は――」
「――こら! 何を騒いどる!」
夢姫が楽しそうに跳ねまわり、それを“ひのぴょん”が追いかける。
その様子が騒がしかったのだろうか――いつからそこに居たのかも分からない男の声が二人を叱りつけた。
少しネクタイが歪んだスーツ姿の男。恐らく会社帰りのサラリーマンといったところであろう。
「大体なぁ? 若い男女がこんな時間まで、人目も忍ばんといちゃいちゃ」
「だってぇ、ひのPが家に帰してくれなくてぇ」
「誤解を招くような事を言うな、あと“P”ってなんだよ。何をプロデュースすればいいんだよ」
「大体こんな時間までいちゃいちゃしよって……いちゃいちゃといちゃいちゃ」
「は、はあ、だから誤解です……って」
「いちゃといちゃいちゃいちゃといちゃいちゃいちゃいちゃト」
「あの……?」
夢姫は困惑してしまっていた。一見すると(メタ的に)省略されただけの表現のようである。
だが、この男は本当にただ、“いちゃいちゃ”という単語をまるで壊れたラジオのように何度も何度も繰り返すのみであったのだ。
困惑していた夢姫が灯之崎へと視線を向ける。
「こいつか……おいお前!」
「え、え? あ、あたし?」
戸惑うばかりの夢姫の手を引き、後ろへ下がらせた瞬間だった。
会社員は奇声を上げたまま、その手に光る何かで宙を裂く。
手を引かれた夢姫は、灯之崎の背中に隠れつつ会社員の方を今一度確認する。
――生気のない目が二人を捉え、手には月明かりに鈍い光を放つ果物ナイフが握られていた。
「わかった! コイツ、先生が言ってた通り魔じゃない? ひのっちやばいよ! 逃げようよ!」
「……お前は一目散に走れ」
「あ、う、うん?」
夢姫は会社員の出方が気にはなっていた。だが、夢姫は好奇心こそ人一倍あれど、身を守る武器を持っているわけでもなければ武道のたしなみがあるわけでもない。
変に反抗して、親が悲しむ結果を招くことも良くない……そう判断し、とにかく距離を取ることとした。
男がそんな夢姫の動向に気付かないはずもない。逃すまいとしてかナイフを振り上げたまま追いかけようと走りだした。
「――おっと、お前の相手は俺がしてやる! 光栄に思えよ!」
だが、すれ違いざまに灯之崎が足払いを掛けたらしい。かわすことができなかった男は、そのまま前のめり地面に伏したのだった。
「……気に食わん、気に食わん、気に食わん!」
「今まで随分と暴れてくれたようだな」
額に張り付く砂粒すら気にも留めず、男はその身を起こすと灯之崎を睨みつけた。
片手に握りしめたナイフをでたらめに振り回しているものの、灯之崎はそれを難なくかわしていく。
見る限り、灯之崎は元来の運動神経が良いようだ。障害物のあまり無い、広い空間でまるで鬼ごっこでも楽しんでいるかのように悪どい笑みを浮かべていた。
「お前運動不足なんじゃない? カスリもしねーよ!」
まるでこう言った状況に慣れているかのような灯之崎に対し、会社員は弄ばれ疲れが垣間見えてきていた。




