13-10
八雲は一人、明りの消えた境内を歩く。
「相変わらず、ぼろい神社な」
目深にかぶっていたフードを外し息を夜空に投げると、今は使われていない古い手水鉢の前に着く。
「縁にかき氷のシロップ。足跡……一つは水瀬夢姫だろうけど、後は和輝ともう一人……誰か居たのか」
手水鉢の傍ら、砂地の地面を見下ろすと、ナイフか何かで付いたと思われる何かが刺さったような痕跡は残っているが、当のナイフ本体はどこにも見当たらない。誰かが持ち去ってしまったのだろうか、と八雲は辺りを見渡す。
屋台の片付けもほぼ終わっているのだろう。人の声も聞こえなくなった境内には、耳が痛くなる程の静寂が広がっていた。
ふと、砂を踏みしめる足音が耳に届き、振り返る。
そこにいたのは佐助であった。境内の掃除をしていたのか、はたまた見周りか。
先程の騒動など知る由もない八雲にとって、和輝と歳の変わらなそうな佐助はごく普通の少年としか見えない。八雲は息を吐くと、出来るだけ警戒させないようにと静かに歩み寄った。
「……この神社の子だね。この辺りで連れが落し物をしたらしいんだけど、何か拾ってない?」
だが、佐助は八雲の問いかけには答えず、訝しげな視線を投げかけていたかと思えばすぐに目をそらした。
「あの……?」
「ほう、誰かと思えば……久しいな、十年ぶりか」
八雲が佐助の反応に困惑している最中、暗闇の彼方から凛とした鈴の音と透き通るような声が聞こえた。
「摩耶様!」
佐助がその名を呼ぶと、八雲もまたつられたように声の主へ向かい立つ。
足音一つ聞こえない、だが確たる存在感を放つ紅の瞳を持つ少女が八雲へ向かい微笑みかける。
極めて友好的に思える摩耶に対し、八雲は珍しくその顔を歪め鋭い視線で答えた。
「そんな顔で睨むな。私は君の知っている私ではない」
「……何が目的だ」
「君も分かっているのだろう」
涼しげな振舞いの摩耶と、対照的に激昂を隠さずにいる八雲。佐助はただ息をのみ行く末を見守る。
「再び、あいつが力を取り戻し始めている。君ならそれが意味する事、分かっておろう?」
「相変わらず遠まわしな言い回し」
「ならば単刀直入に言おうか。今の宿主は、あの頃の君とそっくりである、と」
「……」
八雲は傍らから投げ込まれる、佐助の猜疑的な目に気付き視線を辿る。
目があった途端にやはり佐助は視線をそらし、二度目の言葉なきやり取りに八雲はため息を落とした。
「春宮 八雲、君も気付いておるのだろう。……今の宿主は、欠けた感情が代わりの何かを取りこもうとして、彼に付け込まれ始めている状況だ。それだけであれば、まだ抑える方法もあるのだが……今回は少々特殊な状況であるようだな」
「特殊……?」
「ああ。共に存在しえなかった者が、今回に限っては傍におる。彼の存在は吉と出るか凶と出るか」
心当たりがあるらしく、八雲は苦々しく息を吐いた。
ふと、途切れた会話の沈黙を破り、摩耶が袂から折りたたまれたナイフを取り出す。
それは八雲のもの。――八雲がつい先ほどまで探していたものであった。
「……ここで、俺の息の根を奪おうってことか?」
「それは誤解だ。今の君を殺す道理は存在しない……せいぜい残された命の為に生きていくがよい」
摩耶はそう微笑むと、そのままナイフを八雲に手渡す。
「君のやり方はけっして間違いではないが、未成年に負わせる代物ではないな。……早めにその性根を直す事を勧める」
「ご忠告、どうも」
「そうそう。溶けきったかき氷らしきものも拾ったが、いるか?」
「いや、それはいらない」
ナイフを受け取ると、八雲は摩耶を刺すような眼差しで一瞥し、踵を返し神社を後にした。
「摩耶様、あの人は一体」
「……古い友人のようなものだな。それより、佐助。お願いしたいことが出来たのだが、どうだ?」
「え? あ、ああ勿論です! 何なりと! なんでしょうか」
「先程お主が殴りかかった、少年の方。……つまり灯之崎 和輝の監視だ」
ここまで、うんうんと摩耶の話をしっかり聞いていた佐助だが、動きが止まった。
「……え?」
「嫌か?無理強いはしないぞ。それならば私が監視する事にしよう」
「ちょちょ、ちょっと!? その、摩耶様? 監視と言うからには四六時中付いて回るとか、そう仰るのではないでしょうね」
「流石に家に住み込む訳にはいかないだろうから、四六時中とまでは言わぬぞ」
佐助は、瞬時に思った。
摩耶様がどこの馬の骨かも分からない野郎にずっと付き添うなどあってはならない事。
ありとあらゆる最悪の極み、想像を膨らませては消し去っていき、佐助は何度も首を振り邪な感情を振り払う。そして意を決したように摩耶に立ちはだかった。
「私めにお任せ下さい! この、久世佐助、命に変えてもその命遂げましょうぞ!」
「いや、命はかけなくてよいのだが。ま、任せた、ぞ」
そして、それぞれの思惑、想いをも呑み込むように夜は更けていくのだった。




