13-4
「――水瀬、まだかよ」
「うるさいなー! ……何でだろ、ないなあ」
夢姫の住む小さなマンションの一室。夢姫が女子としての羞恥心とか皆無だとしても、女子は女子。女子の家に上がり込む事に抵抗があったらしい和輝は、その室内を探して回っているらしい夢姫に玄関先から声を投げる。
玄関先には夢姫のものであろう。やたらと装飾された靴が何足も並べられている。
今までずっと立ちっぱなしであった和輝は、少し疲れたようで……派手派手しい靴と靴の隙間へと足を運びながらそのまま玄関先に腰かけた。
「買ったばかりのやつ、どこ行ったんだろ」
「どうせ散らかして、どこか紛れたんじゃないのか?」
「失礼な! いっとくけどあたしの部屋ちょー綺麗だかんね! 見る?」
「見ない」
パタパタと聞こえてくる夢姫の足音を背中で聞きながら、和輝はため息をついたのだった。
「あ……」
まだ自室を物色している夢姫を尻目に、ふと和輝の脳裏に師匠の言葉がよぎる。
――今の夢姫は隙だらけだ、と。
「師匠が、動いてしまう前に……俺が」
夢姫はというと、ブツブツと文句を呟いている様子。和輝は気付かれないよう息を殺し靴を脱ぐ。短い廊下をまっすぐ進むと、台所があった。武器らしい武器を持っていなかった事もあり、刃物があるであろう台所を見渡す。
彼女の親は片付けが苦手なのか調味料が散らばる流し台には、洗い終わった後と思われるピンク色の可愛い皿とガラスコップが二つずつ。
流し台の横には冷蔵庫があり、ゴミ出し日のお知らせや学校行事を知らせるプリント類が可愛らしいキャラクターもののマグネットで貼られている。プリントには母親の字であろう。
“ゆめちゃんと17時から”などと丸っこい字でメモも取られていた。
「大事にされているんだ……」
誰にでもなく呟くと、和輝は視線を床に落とす。顔も知らない、だが“母親”という存在が見えない盾のように思えていた。
―――
――無いのだから仕方ない、と次に夢姫が向かったのは駅前の商業施設である。
冷房の効いた店内の、入ってすぐ目の前には特設の浴衣売り場が二人を出迎えた。
「レース、フリフリ……」
お祭りシーズン真っただ中だからか、浴衣売り場には夢姫達と同じくらいの女子やカップルの姿が見受けられる。だが、その賑わいとは対照的に棚は少し寂しげ。
棚の周りを小走りに何周も回り、夢姫は希望の品を探す。
和輝はと言うと、そんな女子ばかりの空間に居づらいのか少し離れた場所の壁に寄り掛かると次に自分がすべき事――師匠の言葉を思い返すのだった。
「……多分、師匠が来るってことは、風見や犬飼を引き離すつもりだろうな」
そして、自分がこの手で――
「生かしていては、いけない存在……」
自然と力がこもる指先を握りしめ、和輝はせわしなく歩き回る夢姫に目をうつす。
まだ決まらないらしい。首を傾げたり、値札を見たり。
……目移りしたのだろうか、目的と全く関係のないカゴバッグを手に取ったりしているようだ。
ふと。とあるカップルの姿が和輝の目に留まる。自分たちと同じくらいの年齢の女子と、その彼氏だろうか……二人は仲睦まじく浴衣を選んでいる。
「ねえねえ、どっちが似合う?」
少し甘えたような声の彼女の手にはピンクと赤の浴衣。彼女は自身の発達が良い身体に、二つの浴衣を交互にあてながら彼氏の顔を覗き込む。
「どっちもなあ……俺的には最初の黒いのが好きなんだけど」
「えーっなんかオバサンぽかったもん。どっちかで選んでよ!」
なんてことのない、ごく普通の恋人同士のごく普通なやり取りだ。見ず知らずの他人が傍目で見ていても分かるほどの信頼関係で成り立つ会話。
和輝の脳裏にはその一瞬の間に様々な感情が駆け巡っていた。
『――ねえ! 和輝、ほら今年から新しいの! 可愛いでしょ!』
『う、うん。……可愛い、よ』
『やったあ! 和輝ならそう言ってくれると思ったの。それに比べて……とーやの奴、何て言ったと思う!?』
幼き日の記憶――
その鮮明に蘇る記憶に、手が届きそうな気がして手を伸ばす。
「みな」
「かーずき!! ねね、これ可愛くない?」
和輝が何かを呟こうとした瞬間、夢姫の元気な声と背中を叩かれた衝撃に、その声はかき消される。
なんかもう色々ぶち壊された気がして苦々しく振り返ると、そこには満面の笑みの夢姫の姿。
その手にはレースがあしらわれたキラキラした帯板が握られていた。
非常に満足そうな夢姫を前に、和輝は何も言えなくなりため息をついた。
「ん? 何よその目はー。それより、これ! やっと見つけたんだよ! 可愛いっしょ?」
「……そうだな」
「じゃあ、買ってくるね! 逃げたら許さないからね? ちゃんとここで待ってなさいよ! さもなくば迷子の呼び出しで呼びつけるからね!」
「分かってるよ」
夢姫は踵を返し特設のレジへ走る。
その姿を遠目に見ている分には、少し元気が良すぎる程度の普通の女の子にしか見えない。
「……俺は」
―――
無事目的の品を手に入れた夢姫は、意気揚々と梗耶の家に戻り、インターホンを鳴らす。
「きょーや! 準備出来たー?」
「出来ました! もう、いちいち騒がしいんですから」
薄紫色に桔梗の花の模様をあしらったの浴衣姿の梗耶が怒り半分、呆れ半分な面持ちで出迎える。想定以上に夢姫が時間を使った為、梗耶は髪型もお団子ヘアにまとめ、ぬかりなく身支度を整えていた。
「よしよし、色被りしてない! さすが大親友ね! きょーや、ちょっと部屋貸して。帯板と着くずれ直したい!」
「はあ?! もう着くずれてるんですか? 早くな……あ、ちょっと!」
梗耶が止める間もなく、夢姫は下駄を広い玄関口に脱ぎ捨てると、勢いそのまま小走りで家の中に飛び込んで行く。
その姿にまた呆れたように息を吐くと、梗耶は脱ぎ散らかされた下駄を並べ直した。
「……和輝さん、夢姫に振り回されてきたんですね? 顔がお疲れです」
「ん、あ、ああまあ」
梗耶はふと、和輝が思案に耽る様子に気付きゆったりと歩み寄る。
その投げかけられた配慮の声に和輝は我に帰った。まさか“お前の親友をどうやって殺すのか考えてた”なんて言えるわけもない。
当然そんな事つゆ知らずな梗耶は苦笑し、和輝を労う。
心を読まれてしまいそうな、後ろめたい心持から和輝は目を合わせる事が出来なかった。
「すみませんね、夢姫が。今日は特に機嫌が良いみたいですね。普段着られない服着るから、かな」
「あ、いや、俺は大丈夫。……風見こそ大変だな」
「いえ。最近は、和輝さんがいてくれるから……気苦労が少し軽くなりましたよ」
初めて会った時から、気が付けば三カ月程経った。その頃に比べると梗耶は随分和やかに話すようになったと和輝は感じていた。
そう、少しは親しくなれた、気がしていた。それ故にその信頼を裏切るであろう先の展開に、心が陰るのだ。
和輝が心の陰りを晴らしたい気持ちから、言葉を紡ごうと口を開いた時。
「きょーやきょーやヘルプミー! 脱げた!」
梗耶の部屋なのだろうか、開け放されたままであった玄関からまっすぐ伸びた廊下の突き当たり。同じく開け放されたままの部屋の奥から騒々しい声が和輝の声を遮り、梗耶は大きなため息をついた。
「脱げたとか大声で言わない!」
梗耶は呆れたように言い返すと、慌てて室内へと走り去って行ったのだった。




