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「おわったー! やっと帰れるわ!!」
夢姫が荷物を運び終える頃には、外はもう薄暗くなっていた。
待機していた教師に荷物を渡し終える。職員室の外では律儀に少年が夢姫の事を待っていたようだ。
「……あ、待っててくれたの? ありがと、助かったよ~! ねえねえ、ついでだし一緒に帰ろ――」
「夢姫! あのね、そういうのは」
お礼……はもはや建前のようなもの。夢姫がその好奇心のままにそう声をかける――が、またも梗耶に妨害された。梗耶が夢姫の行動を制限しようとすることも珍しい事である。
制限されればされるほどに夢姫の好奇心が高まり、自然と笑みが漏れたのだった。
「はいはいきょーやは黙ってて、眼鏡に指紋つけるわよ? とう! ……ねえねえ? 一緒に帰ろーよー?」
「……」
「ねえ?」
「あ、いや……」
少年は夢姫が顔を覗き込む度、違う方向へと顔を逸らす。“待っていてくれたくらいなのだから嫌われてはいないだろう”という自負こそあるものの、どうにも少年の感情が読めないでいる。
何回かそんなやり取りをしていると、梗耶が夢姫の制服を引っ張ってくる。
その力から梗耶のイライラ加減が伝わってくるようだった。
「夢姫! もういいでしょ、帰りましょう」
「もう、きょーや! 今あたしこの人と話したいの! 邪魔しないで」
梗耶が掴む制服のブレザーを、まるで尻尾を切るトカゲのように脱ぎ捨てて自由を掴みとる。
遮るものが無くなった体で飛び込むようにして少年の元へ詰め寄ると、夢姫はその両手を掴んだのだった。
「ねえねえ! 君、名前は?」
「……な、何で?」
「何でって、名前知らないんだもん。君も一年でしょ? 見ない顔だからクラス違う?」
少年は掴まれた腕を遠慮からか振りほどけず、ただ夢姫を見つめている。夕焼けの茜空のせいだろうか、先ほどより瞳の色が赤みがかって映っていた。
「あたしの名前は水瀬夢姫よっ! ゆーきちゃんとでも何とでも呼んでちょうだい! ねえねえ、あたしと友達になろーよ!」
少年が何か言おうとしたのか口を開く――が、梗耶はいよいよ耐えられなくなった、と言わんばかりに阻むと声を上げる。
「もう! 帰りましょう夢姫。……どうもお世話になりました、ありがとうございました。失礼いたします」
早口でまくし立てると、少年の元から夢姫の手を引き離した。何かに焦っていたのか、その声には普段の冷静さ代わりに苛立ちのような敵意が混ざっていた。
「……分かっている。……“友達”は丁重にお断り致します。じゃ。“きょーや”さん、“ゆーき”さん」
睨みつける梗耶の“敵意”すらも“慣れている”ようで、怯む風でもない少年はただため息を落とす。
自嘲的なようでいてどこかたきつけるような言葉を紡ぐと、梗耶は何かに怯えたように唾を飲んだ。
梗耶は夢姫の腕を強く握り締めたまま、早足でその場を立ち去って行く。夢姫はなすすべもなく、少年に向かいただ手を振り返すばかりであった。
―――
――暫く早歩きで街を駆け抜けていた少女たち。やがて梗耶の住む一軒家の前につく。
梗耶は疲労を滲ませため息を落とすと、ようやく夢姫の手を解放したのだった。
「ねえ? きょーや、あの人知り合いなの? ねえねえねえどんな関係?」
夢姫はわざとらしい口調で問いかけてみる。話を遮られたことに対するちょっとした報復でもあろう。
肩で息をする後ろ姿に声を投げたが返事は帰ってこないまま……やがて相槌の代わりに、梗耶はその場にうなだれた。
「名前、覚えられた」
「んまーちっと暗そうだったけど、イケメンなんじゃない? いやあ、そっかそっかきょーやったら」
「もう駄目だ……! 私達は“疫病神”に魅入られてしまったんですよ!」
状況が呑み込めない夢姫が、震える梗耶の背中に触れようと手を伸ばす。その時、梗耶は堰を切ったように口を開いた。
「“友達になろう”……ふざけないで!! 私はそんなの嫌です! 不幸になんかなりたくない。せっかく生き残ったのに、死にたくないんだ!」
「きょーや? 何言って」
「もう沢山だ、私はただ平穏に過ごしたいだけなのに!」
―――
――猫は悲しげに首元の鈴を鳴らす。少年の肩に飛び乗り頬ずりをすると、焦茶色の髪が揺れた。
「そう、ですか。きょうは、がっこうでそんなことが」
「うん。……まあ、前に見られてたんじゃないかな。……片方は分かりやすく拒絶してたから」
「あの、さしでがましいのですが、たまにはしっかりせつめいなされてみては? わかってくれるひとが」
「……そろそろ行くぞ、ソラ。今日は満月だ」
――わだかまる感情を吐露し終え、落ち着きを取り戻した梗耶を家の中へと見送る。
「夢姫。道中気をつけて。くれぐれも」
「はいはい。あの人に関わるな、でしょ。おけおけ。じゃね! きょーや、また明日~!」
「……返事が軽いなあ」
淡々とふるまっていた親友が珍しく見せた動揺。夢姫はその耳にした言葉を脳内でぐるぐると繰り返しながら梗耶の背中に手を振った。
――彼は疫病神なんです!私は見たんです。あの火事の時に見たものと同じ“それ”を。
“それ”があの人に従うように連れ添ってたんです!
それだけじゃない。
そもそもこの小中高一貫校と言う狭い社会であるにも拘らず、誰一人としてあの人の素性を知る者はいない。
加えて彼は素行が悪いらしく、良く夜中に一人で出歩いては先生に補導されているとか……!
あの通り魔もきっと関与してる筈です! そうに違いないんです!
その表情、言葉からして、適当な妄想だけではなさそうと夢姫にも分かる。
「あたしが避ける? んな訳ないない! そんな面白案件……飛び込むに決まってるじゃないっ!」
疫病神? 何よそれ面白いじゃん。やばい、見つけたかも。
夢姫の顔に自然と笑みがこぼれる。
夢姫はずっとずっと探していたのだ。つまらない“日常”をぶっ壊してくれる存在。
安い恋愛ドラマやちんけな友情なんかより、ずっと刺激的ななにかを。
「疫病神だろうが死神だろうが大歓迎! 全部まとめて面倒見てあげるわ!!」
夢姫は走り始めていた。目的地なんてどこでもなく。
もう少しで“日常”が壊れる――そんな気がして居ても立ってもいられなかった。