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「――いらっしゃ……あらやだっ和輝くんが女の子を連れ込んだわ!」
「貧血で倒れたの! と、とにかく何か布団とかなんか持ってきて」
いつものように真っ白な顔で和輝達を出迎えたクララは、背中に背負われていた詠巳の存在に気付くと慌ただしく店の奥へと消えていく。
和輝が店内の端に据えられたソファの上に詠巳を寝かせている一方で……“この人の顔には未だに慣れない”と、梗耶は平静を装いながらそう思うのだった。
「……で。水瀬、お前何したの? ……犬飼の様子がおかしくなったのは、明らかに水瀬のせいだと思うんだけど」
クララは店の奥から一枚のブランケットを持ち出すと、横たわる詠巳を包み込むようにそっとかける。
彼女(彼)の私物なのだろうか。やたらと主張の強いピンク色から目をそらすと、和輝は睨むような鋭い視線を傍らの夢姫に投げかけた。
「あ、あたし!? 何もしてないよ! ただ、よみちゃんに占ってもらおうと!」
「じゃあ、お前のろくでもない未来が見えたんじゃねえの?」
「はぁ!? 何よそれ!?」
――ああ、これいつもの流れに入るな。梗耶はそう即座に察してしまう。
普段なら止める面倒さが勝り、静かに見守るのみなのだが……今はそうもいかない。寝ている人が居るのだからわざわざ起こすような行動をとるべきではない。梗耶が立ち上がり制しようとした時――
「ふうん。また、面白い子を連れて来たねえ」
――その背後から涼しい声が降り注ぎ、両肩に添えられた色素の薄い細腕が梗耶を再び席に押し戻したのだった。
「そんな怖い顔で睨まないでよ梗耶ちゃん。こんにちは」
「どうもこんにちは春宮さん」
「八雲で良いのに」
八雲は尚も睨む梗耶の肩を軽く叩くと、そのまま和輝をねぎらっている。
夢姫への冷たい態度とは真逆といえよう。八雲に対してだけ丁寧な言葉を紡ぐ和輝の姿が癇に障った様子の夢姫は、さらに大きな声で噛みついていた。
「和輝!! あたしと態度が全然違うじゃない!!」
「何で同列だと思えるの? 水瀬なんかとは格が違うんだよ、師匠は!」
「はあ!?」
八雲の登場により、火に油を注いだような格好だ。売り言葉に買い言葉となり、夢姫と和輝の言い争いはさらにヒートアップしていく。
争いの種を残しておきながら静観に徹している八雲をよそに、梗耶とクララが諫めようとそれぞれの言葉を口にした時であった。――ブランケットが床に落ちる小さな音が聞こえた。
「――ここは」
そのかすかな音に混ざって聞こえたか細い声が夢姫たちの喧嘩を止める。
半身を起こすと、詠巳は見慣れないはずの室内を見渡した。
「ここは來葉堂。喫茶店だぞっ」
「……そうですか。ありがとうございます」
足早に駆け寄ったクララがそう答え、ウインクをして見せると詠巳は納得した様子で微笑む。
極めて冷静なそのふるまいに梗耶が内心で“あの白い顔を真正面で見て正気を保つ人がいるなんて”と驚愕したのはまた別の話。
「ねえ……よみちゃん、もしかして、あたしのせい?」
和輝の言葉が気になっていた夢姫が、申し訳なさそうに声を顰める。和輝の言う通り、“自分の良くない未来”でも見えてしまったのではないかと。だが、詠巳は首を横に振る。
「あなたのせいではないわ。これも“必然”……ごめんなさい、夢姫さん。過去も未来も何も見えなかったわ。今日は調子が悪かったみたい」
詠巳の声がとても小さいので、夢姫は耳をすましてしばらく聞き入っていた。
やがて言いたいことが伝わったようで、夢姫は安堵し明るい笑顔を浮かべたのだった。
―――
「――和輝、送り狼になったりしてないかなあ」
「和輝さんに限ってそれはないでしょう。この春宮さんじゃあるまいし」
「梗耶ちゃん、とことん俺のこと嫌いでしょ」
「はい」
帰り道、街灯だけが照らす薄明かりの中を夢姫と梗耶…そしてその後ろから八雲が付き添い、そんなやり取りをしながら歩いていた。
詠巳だけが家の方向が反対だったこともあるが「私人見知りなの」という要望もあり、三人とは別で和輝が送ることになったのだ。
「むしろ、和輝が心配なんだなぁ俺は。……あの子流されやすいから」
同じ頃――薄明かりの中を、和輝と詠巳は歩いていく。
詠巳が言うほど暗い道が続くでもない住宅街を静寂が支配していた。
もともと口数の少ない二人だけあって、会話はなく気まずささえ感じるほどの沈黙である。
「灯之崎君が今考えてること、当てていいかしら?」
沈黙を破ったのは詠巳の方だ。
昼間の喧噪の中では消え入りそうな詠巳の声だが、この静寂を破るには十分である。
和輝は不意をつかれた形で少し驚いたが、すぐに平静を取り戻すと頷いて見せたのだった。
「“運命がどうとか、俺がどうとか。さっきのあれはなんだったんだ。一体水瀬と何があったんだ”」
「……そこまで分かってるなら、答えまで教えろよ」
立ち止まり、心を読んだかのように口調まで合わせてみせた詠巳を追い越すと和輝はため息をつく。
後ろから詠巳のクスクスと笑う声が聞こえた。
「貴方も気づいているのでしょう? 水瀬 夢姫という人の“底に在るもの”に。……それが私を呑み込もうとした」
「……何が見えた?」
和輝の問いかけに、詠巳の返事は返ってこなかった。
後ろから耳に届いていた、擦る様にして歩く足音も止まり、和輝は思わず振り返る。
「あまり占いめいた事やアドバイスする事はしたくないのだけど……一つ、忠告させて」
「……あ?」
「貴方は“貴方自身”が見えていないのね。今のままでは近い将来、その手で大事な全てを壊す事になるわ」
心の奥にあった微かな思いを引きずり出されたような感覚に、和輝は言い返すべき言葉を見つけられずにいた。
詠巳はあいも変わらず薄闇の中、口元だけの笑みを浮かべる。
「私は“道具”の持主じゃないけど、相談くらいなら乗ってあげるわよ。……家、ここなの、送ってくれてありがとう。じゃあ、また明日……灯之崎君」
和輝は思わず詠巳の目の前にある一軒の家を見上げた。
確かに表札には“犬飼”の文字……軒先には植木鉢が並ぶ、至って普通の家である。
こんな恰好で出歩く娘だから、もっと蔦のはびこるような不気味な家を想像していた和輝は拍子抜けした様子で詠巳と家とを見比べた。
そんな様子を見てか詠巳は微笑み、そして和輝の言葉も待たず扉の中へ消えていった。
「水瀬 夢姫は――」
和輝の呟きも、ため息も静寂に消えていったのだった。
【登場人物】
犬飼 詠巳
学校指定の制服の上からさらに黒いローブをまとい、前髪を校則違反に伸ばした黒髪ロングの同級生。
夢姫同様、続木先生を禿げさせる存在。




