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特段変わったことも何もない、平凡な一日が終わる。
夢姫の放課後は、親友の風見 梗耶と帰宅するのが日課である。
「夢姫! 今日は遅かったですね」
梗耶はクセのあるはねっ毛を肩のあたりで三編みにし、長い前髪を頭の上で束ねた眼鏡の少女だ。
夢姫とはまるで正反対。生活態度は優等生と称していいほどいたって真面目、成績も良い方である。
当人がその気になれば生徒会などの組織に所属し、他の生徒の模範ともなりうる逸材といえる少女であるが……梗耶自身はそこまで高みを望んでいないらしい。
クラスが違うというのに、わざわざこの問題児・夢姫の面倒を買って出ており、友人というよりは保護者のような……二人はそんな関係なのだ。
とはいえ、別に梗耶も“ボランティア”などで行動を共にしているわけでもない。
――梗耶と夢姫は物心が付く前からの幼馴染だった。
幼い頃からあまり変わらないままで、無鉄砲な夢姫をお姉ちゃん気質な梗耶が面倒を見る。
その関係性のまま、高校まで同じところを選び今に至るのだ。
しかし、変わったものもある。
――今を遡る事十年前。その日、とある事故が起きた。
ニュースで連日連夜伝えられた“商業施設の火災事故”
死者十名、ケガ人は分かっているだけで百八名。
平和そのものである日本ではそう起こり得ない、甚大な被害を生みだした事故であった。
梗耶はその火災で家族を失った被害者の一人だ。
その日家族で買い物に来ていた梗耶は、親の傍を離れて妹と遊んでいた。
たまたま火災発生直後にいた場所が非常口の近くであったらしく、彼女は唯一被害を免れたのだ。
――事故以前の梗耶は年相応にお転婆で、明るい少女であった。
だが、その一件で肉親を失ったショックが関係しているのだろうか……梗耶は冷淡な性格に変わっていたのだった。
「――そういえば夢姫? また何かやらかしたんでしょ。続木先生が探してましたよ」
「ああ! 呼ばれてたんだった! 忘れてた。もう先生てばツンデレなんだから」
「ツンデレとは違う気がしますけど」
梗耶があきれたように眼鏡を指先で押し上げる。夢姫はすっかり忘れ、そのまま帰るつもりでいたのだが……そういえば先ほど続木から“放課後、職員室に来るように”と指示されていたのだ。
面倒そうに渋っていた梗耶を無理やり引き連れ、夢姫が職員室に向かうと――長い時間一人で待ち続けていたのだろう……続木がイライラした様子で残っていたのだった。
「いっちーごめんごめん」
「…………水瀬。お前、忘れて帰ろうとしてたろ」
「ばれてた」
「ったく本当にもう……俺の授業だけじゃなくて、今日はマジで一日ずっと寝てたらしいな? 他の先生たちから苦情が来ているんだぞ! 罰として教材を初等部に運んでくれ。初等部の職員室に持っていけば解るから」
「えー!! やだよめんどい」
「おま……もう! 良いから行け!」
続木が顔を赤くし声を張り上げるので、さすがにいたたまれなくなってきた夢姫は観念した様子で机上に準備されたダンボール箱を両手で抱える。幸い、中身は軽いもののようであった。
だが、続木は容赦なくそのダンボールの上にどんどんと箱を積みあげていく。
両腕に伝わる微かな振動とともに徐々に重みがのしかかっていった。
「あの、これ一人で持つのおかしくない? 梗耶手伝ってよー」
「先生が手伝うなって」
「いじめ、良くないよ……分かったわよ行けばいいんでしょ行けば!」
―――
――二人の通う明陽学園は小学校から高校までの一貫教育が売りの学校である。
敷地内には初等部・中等部・高等部とそれぞれの校舎と小さい庭があり、共有の広いグラウンドがある。校舎は敷地内の道を隔てて臨在しているのだ。
時刻は黄昏時――校舎内に生徒はほとんど残っておらず、部活動に勤しむ生徒のはつらつとした声がよく聞こえる。
「……て言うかさあ。通り魔が出るよー! って言ってるのにさ、こーんな美少女を居残りさせるなんてダメじゃんよ」
ふいに聞こえてきたのは流行りのラブソングの一小節。恐らく吹奏楽部が繰り返し練習を重ねているのだろう。歌詞を付けるとすれば、甘くて都合のいい言葉だけが並ぶラブソングだろうか。
先に進めそうで進めない。盛り上がる“サビ”にたどり着けないもどかしさに、妙に苛立たしい気持ちとなっていた夢姫はやつあたりでもするかのように前を歩く梗耶に声を投げた。
「通り魔、ね。……正体、私は見当が付く気がするんですよね。流石にもう帰っていると思うけど」
「へ? 何? 正体分かるの?」
前方が全く見えていない夢姫を先導し、梗耶がポツリと呟く。
その小さな声はラブソングに混ざり消えそうであったが……夢姫は聞き逃さなかった。
「何でもないです。ほら早く行きま……あ!」
その時、何かに驚いたように梗耶が声を上げた。
どうやら梗耶は足を止めていたらしく、状況が飲み込めないままの夢姫はそのまま追突する格好と相成り――反動で跳ね返ってきた荷物に埋まり、尻もちをついてしまったのだった。
いい年して尻もちを付くことなどそうそうない。ましてや夢姫は、校則違反の短いスカートであるのだから、恥ずかしさは尚の事だ。周囲に人がいたら短パンの類を履いていない夢姫は下着をさらす格好となるのだから。
ふと、荷物にまぎれ遮られたままの夢姫の頭上から聞きなれない、静かな低い声が降ってきた。
「……大丈夫?」
「むりー! いったーい!!」
のしかかってくる荷物を振り落とした夢姫は、その声の主に向かい顔をあげる。
その時、初めてその人物を確認できた。
同時に夢姫の視界に入ったのは、何故か目を逸らしぎこちない梗耶の姿だ。
普段人見知りする事も無い梗耶の珍しいリアクションに“顔見知りなのか”と夢姫は感じた。
夢姫は改めて目の前で散らばった教材類をまとめ直してくれている少年の姿に目をうつす。
こげ茶色の髪にこげ茶の瞳。
目鼻立ちはすっきりとしていて、不潔な印象も全くない。
決して不細工では無い(夢姫基準)だが、表情は少し暗いような印象を受けた。
学年は夢姫達と同じ一年であろう、まだ真新しい制服姿である。
――夢姫には、初対面の異性に対して“自分だったらアリかナシか”仕分けするという、極めて失礼な癖がある。
その意図に気付いているのかはともかく。その品定めするような視線に何を思うか……少年は一瞥し、ため息をつくと視線を外した。
「どこまで運ぶ? ……手伝うよ」
「マジ!? ありが」
「結構です」
思わぬ助け舟に夢姫が手放しに喜んだのも一瞬の事。すかさず梗耶が割って入った。
散らばっていた荷物をてきぱきと集めなおし、少年が手にしようとしていた箱までも取り上げてしまった梗耶はそれらを夢姫の腕に積み直す。
そっぽを向いてしまった梗耶の冷ややかな態度は初対面の相手に対して極めて失礼なものといえよう。
だが、対する少年はさほど気にしていない様子。まるで“慣れている”とでも言わんばかりに小さく息をついた。
――が、当人たちが慣れていようがそうでなかろうがそんなことは関係ない。今の夢姫にとってはそれよりも重大な問題であったのだ。
「いやいやいや助かるわ! 手伝って!!」
これを逃せば初等部までの長い道のり、一人で大荷物を運び行くこととなる。それだけは避けたい。
帰ろうとしていた少年の手を掴むと、夢姫はその一心で引き留めた。
「……は、はあ」
夢姫の距離感の無さに驚いたようで、少年は動揺した様子で目を見開く。
その反応もごもっともであろう。初対面とは思えない馴れ馴れしさで満面の笑みを手向ける夢姫は、少年の困惑をよそにその腕の中に荷物を預けた。
夢姫の後ろでは、呆れた様子でため息を落とす梗耶の姿が見えていた。
「えっへへ~助かっちゃったね! きょーや……きょーや? 聞いてる?」
尚も梗耶は視線を逸らしたままであった。――荷物を多めに預けたことで少しだけ余裕が生まれていた夢姫の中にはある疑念がわいていた。“好奇心”とも言うべきか。
梗耶は幼馴染のひいき目を除いてしてもいわゆる可愛い方、モテる方の女子だ。
当然ながら交際を申し込まれることも少なからずある。だが、男性嫌いなのか昔からただの一度も請けた例がないのだ。
「……聞かない。……とっとと運んでくださいよ。帰りましょう、早く」
梗耶は、確かに男性に対して多少塩対応気味な一面を見せることもある。だが、前述の通り基本的には“優等生”であり、無用なトラブルの種となりうるような発言をすることはない。
――これ程まで、あからさまに特定の人物を拒絶する事は無かったのだ。
荷物を届ける途中、少年に話しかけようとする夢姫の背中をつつき、梗耶はそれを咎め続けていた。
好きの反対は無関心、なんて言葉もある。
これほどの拒絶、それはすなわち“逆に興味がある人なんじゃないか”――夢姫は一つの答えを導き出していた。
【登場人物】
風見 梗耶
夢姫の幼馴染の少女。おさげの三つ編みと前髪を上で束ねた眼鏡姿。怒ると怖い。