6-1
「きりーつ! きょーつけ! れいっ!」
「せんせーさようならっ!」
明陽学園・初等部の校舎からは、あどけない声が響き渡る。
この日の授業が終わり……日直の生徒の元気な号令が終わるや否や、待ってましたと言わんばかりのいきおいで、ほとんどの生徒が廊下へと飛び出して行った。
「あ、宙君、ちょっと」
「……はい?」
他の生徒同様にランドセルを片手に教室を出ようとしたソラは、担任の優しげな声に立ち止まる。
何故か困ったような笑顔を見せる先生の手には、しわくちゃになってしまった学級通信のプリントが握られている。
――それは、ソラにとって見覚えがあった物のようで……教師の顔を見る事が出来ず視線を泳がせていた。
「……お体の関係でお家の方が来るのが難しいのは、先生も知ってるわ。……でも駄目よ? ちゃんとお知らせだけでもして欲しいな」
「すみません」
「はい。……新しいプリント渡しておくから、ちゃんと持って帰ってね」
綺麗に折り畳まれたプリントを握りしめ、ソラはため息をついたのだった。
―――
「きょーやー。和輝はー?」
授業後のホームルームも終わり、帰宅部の生徒達は帰り始めている。この日は珍しいことに続木による居残り授業は執り行われず、夢姫にも自由な放課後が与えられた。
だが、帰りたいという気分でもなかった様子の夢姫は、自分の机に腰かけ足をぶらつかせたまま傍らに立つ梗耶に問いかけていた。
「私が知る訳ないでしょ。ほら、帰りますよ」
夢姫に付き合っていられないと思った様子で、梗耶はため息をつく。彼女は支度を完璧に済ませ、あとは家に帰るだけなのだ。
どうやら和輝は先に帰ってしまったようで、夢姫の教室には迎えにやってきた梗耶以外の誰も残っていない。そんな梗耶も夢姫を置いたまま廊下へと向かってしまい――教室内は夢姫だけが佇む孤独の空間と相成ってしまっていた。
「むう……何か面白いこと起こんないかなあ」
夢姫が両手を振り上げ言葉を空に投げる。その言葉を受け取る者はこの空間に誰一人としていない。
……だが、まるで誰かの代わりに相槌を打つかのように――夢姫の手首で揺れる腕輪の鈴が、澄んだ音を響かせたのだった。
夕焼けに紅く染まった來葉堂、その扉の前。
ソラは手にプリントを握りしめたまま俯いていた。教師の手前、受け取らざるを得なかったが気が進まないようで……ため息を一つ吐くと扉に手をかける。
少し考え、意を決した様子で重たい扉に体重を預けた、その時であった。
――押し開けた扉の隙間から、何やら野太い悲鳴が聞こえてくる。
何か嫌な予感を察知し、ソラは扉から手を放しその身を守るように距離を置く。直後、勢いよく扉が開き、野太い悲鳴の主が飛び出してきた。
扉の前に立ったままでいたら、たくましいクララの腕力で凶器と化した重い扉と壁との間に挟まれ、ソラはぺしゃんこになっていただろう。危険を察知出来たこと、自身の直感を褒めたい気持ちになっていた。
「和輝くんんんん! 早くやっつけ……あ、あらいやん、ソラ君だった。お帰りなさいなのだぞ!」
そう――飛び出してきたのは、白塗りの顔にピンク色の髪を二つに束ねた艶やかな着物姿の妖怪……もとい、クララである。
何故か目に涙をためたまま、クララは助けを求めるように両手を広げ駆け寄ってくる。その姿は下手なホラー映画のクリーチャーよりも恐怖心を煽るものであり、並みの子供であれば泣いてしまっていただろう。
慣れてしまっていたソラは怖じることもなく右から左へと受け流す。そして開け放された扉の奥へと目を向けると――そこに見えたのは、気だるそうな八雲が丸めた新聞紙片手にゴキ……もとい、黒い“あれ”と向かいあっている姿であった。
「……クララ。一寸の虫にも五分の魂と言う言葉があるね。こいつを倒す事でクララは救われるかもしれない。でもこいつにも命があり、家族があり、歴史があるんだ。人間はそこを無視して何故」
「八雲さんそーゆーの良いから!! 早く早くっ!!」
クララの悲痛な叫び声が黒い“それ”にも伝わっているのか、“それ”はふるふると触角を震わせている。
そして――八雲が新聞紙を弄んでいる隙をつくと、素早く棚の下へと潜り込んでしまったのだった。
「あ」
「あ……」
ただならぬ殺気を背中に感じたソラは、恐る恐る後ろを振り返る。
普通の子供だったら泣きわめき逃げ出してしまいそうなほど恐ろしい顔をした体格の良い巨人が指を鳴らしている。――むごいようだが、八雲は無傷では済まないだろう。聡明なソラがそう悟り目をそらす。
一方で八雲はそんなソラに救いを求めるように小さな手を掴み話をそらし始めたのだった。
「あ、そ、ソラ? 何を持ってるのかな?」
「た、ただのがっきゅうつうしんですよ!! ……きに、しないでください」
「あら。学級通信なら見せてくれても良いじゃない? どうして隠すの?」
八雲の問いかけで気が付いた様子でクララもまたソラの手元に視線を落とす。そう、この日学校で教師から渡されていたプリントの存在を知られてしまったのだ。
ランドセルの中へ片付けずその手に握りしめたままであったことが災いしたようだ。
「え、あ、……あのじつは」
「ん?」
暫しの沈黙が辺りを包む。短い時間であったが、並みの大人より周りに気を遣ってしまう性格のソラは色々なことを考えていた。
――やがてたどり着いた答え、それは“気を使わせてしまうくらいなら黙っていよう”というもの。
息を呑み、そしてため息を落とした。
「……なんでもないです。ぼく、がっこうにわすれものをしたんで、とりにいってきます」
そう微笑むと、ソラは二人が追及する隙も与えないまま慌てて來葉堂を飛び出していった。
―――
街中の雑踏、ソラはとぼとぼと歩き、空に言葉を捨てる。
「せんせいにはもうしわけないのですが……すてよう。このへんなら、せんせいにもばれないかな」
辺りを見回しゴミ箱を探す。ふと、ソラの目に飛び込んだのはコンビニの前に据えられたゴミ箱だった。だが、駆け寄ろうと足を踏み出したその瞬間……何かにつまづきよろけてしまった。
知らない男の声が聞こえた気がして、体勢を立て直し後ろを振り返る。そこには――いかにもと言うか“お約束”というのか。分かりやすく派手な風貌の悪そうな少年が座っていた。
その派手派手しい上着の裾に、少年が手にしていたジュースが零れてしまったのだろう。べったりと濡れ、変色してしまった様子が見て取れた。
「ご、ごめんなさい。あの……おけがはないですか?」
「ごめんなさい、だぁ? んなもんで済んだら警察はいらねーんだよ!! ちゃんと前見て歩けやクソガキが!」
誰がどう見ても完全にぶち切れている不良を前に、流石のソラも怖じけ身を竦める。
助けを求めようと周囲を見る。だが、周りの大人たちはみな“関わりたくない”と言わんばかりに目をそらし離れていった。




