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「デブ猫待ちなさいっ! 今日こそは捕まえてやるわ!! 洗いざらい、話してもらうわよ!」
デブ猫、もとい“マリン”は、丸々とした見た目からはとても想像がつかない俊敏な動きで右へ左へと路地を駆け抜けていく。マリンは時折その動きを止めては、夢姫の手が触れる直前にその身を翻し足元をすり抜けた。
――素手で捕らえることが難しいと分かると、夢姫は武力行使に転じる。手にしていた学校指定のカバンを振り回しふかふかとした胴体にぶつけようと試みている。
だが……マリンも一応は猫としての身体能力を持ち合わせているらしい。夢姫が振り回すカバンを反復横跳びのような不規則な動きでかわしていく。
「な、なんかこの前より動きがよくない!? 待ちなさいって、ちょっ……!」
空き缶の一つもかわせずに痛みに悶えていた先日の姿とはまるで別人……もとい別猫のようだと夢姫が戸惑いをあらわにする一方で、マリンはその身を翻すと曲がり角へ消えた。
「うわ!?」
その姿を追い、曲がり角を曲がった瞬間――夢姫は何かにぶつかり跳ね返されるようにして転んでしまう。
どうやら夢姫のいた場所からはちょうど死角となっていた曲がり角に、誰かがいたようである。
「――あいたた……水瀬?」
「へ? あれ?」
一瞬声がどこから聞こえたのか分からず周りを見渡した夢姫は、すぐにその聞きなれた声の主を見付け声をあげた。
「和輝! 何してんのよこんなとこで!」
「それはこっちのセリフ。……相変わらず意味分からないことばかりやって」
夢姫と同様に、和輝もまたしりもちをついてしまっていたようである。埃を払い呆れたように息をつくと、先に立ち上がった和輝は落ちてしまっていた紙袋を拾い上げる。
そう、用事を済ませて帰宅中であった和輝とはち合わせになったのだった。
「マリン、大変だったな、馬鹿女に追い掛け回されたんだな」
紙袋の持ち手を手首に通して指先を解放させると、和輝は夢姫を無視したまま背中に声を投げる。
すると、その名前を呼ぶ声に反応した様子で、背後に身を潜めていた丸々とした猫――マリンがのそのそと顔を覗かせた。
「あ!! そいつ! あたしはそいつに用があるの! ……和輝、大人しくそいつを引き渡しなさいっ!」
しゃがみ込んだ和輝が手を差し出すと、マリンはふかふかとした頭を押し付け喉を鳴らす。
――完全に油断している、捕獲するには絶好のタイミングであろう。鳴らすことも出来ないはずの指の関節を鳴らすようなしぐさと共に両手を広げると、夢姫は静かに立ち上がり猫の丸い背中に狙いを定めた。
「捕まえたっ!! さあさあ! この前みたいに喋りなさい!」
静かに、そして大胆に――夢姫は全体重を乗せマリンの両脇に手を伸ばすと、たじろぐマリンをついに捕らえる。マリンの背中だけを見つめていたせいなのか、何かを蹴ってしまったような足の違和感が残っている。驚いたような和輝の声も聞こえた気がしたが、夢姫はそんなことすらどうでも良いと思っていた。
「……あのさ、水瀬さんは羞恥心とか存在してないの?」
「何とかいいなさ……ん? 何よ――」
――マリンを空高く抱え持ち上げ、詰問し始めていた夢姫であったが……真下から聞こえた和輝の声で我に返る。
そう、マリンだけに集中していてその存在をすっかり忘れてしまっていたのだが――夢姫はマリンの傍にいた和輝を押し倒すような形となっていたのだ。何かを蹴ったような気がしたのは、和輝の足だったのだ。
「へ? はぁ!? ち、違うもん!!」
再びしりもちをつき、地べたに座り込む形となっていた和輝の両足を挟むような恰好で、夢姫は仁王立ちをしてしまっていた。
夢姫は校則を無視して改造を施したことにより、通常よりもはるかに短いスカート姿である。その状況にようやく気が付いた夢姫が跳ねるような動きでそばを離れると、ふわりと舞い上がるスカートの中身を見てしまわないように和輝は目をそらしたのだった。
「もー……花も恥じらう乙女なのに。ちょっと、デブ猫。何とか言いなさいよ。あんたね、パンツよ、あんたのせいで乙女が恥ずかしい目に合うところだったん……ねえ、何ダンマリ決め込んでんのよ」
――さすがに二回も突き飛ばされる格好となってしまった為、和輝が手にしていた紙袋も角に傷が出来てしまっていた。和輝はシールがふさぐ口の隙間から中を覗き、師匠からの“頼まれもの”が無事であるかどうかを確かめる。
一方で夢姫は自身が受けた辱め(完全に自業自得だが)に対する八つ当たりでもするかのように抱え上げたマリンのひげを引っ張っていた。
師匠からの“頼まれもの”はどうやら無事であるらしく、和輝は息をつく。それと同時にもう一つの“頼まれ事”の事を――昨日の言葉を思い出していた。
――やらなきゃ、いけない事。“水瀬 夢姫を殺せ”という師匠の命令の事を。
幸い人通りは殆ど無い道すがら。自身が持ち歩いている道具――“光る刀”は“ま”に対してのみに効力を発揮する代物。切り捨てたからと言って人の命を奪うことはできない。
だが、師匠の命令は――和輝は武器になりそうな何かを探し、和輝は自身の持ち物に視線を落とした。
「……」
元々貴重品と“道具”以外を持ち歩く習慣のない和輝は、凶器になりえそうなものが無いと気が付くと、自身の着ているパーカーの首元に下がる飾り紐を抜きとる。多少苦しめることになるかもしれない。だが他の方法を思案している時間もない。夢姫の背後に歩みを進め――その首に狙いを定めた。




