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「――人は“考える”……悩み、苦しみながら、より良い道を探し続けて生きている。他の動物にはなく人間に与えられた“心”ってやつ。しかしその力の代償に他の動物には無いモノまで生み出した」
梗耶は続きの言葉を聞く為に傘を置き、再び八雲の前に座る。
「それが“ま”……。少しでも楽をしたい、怠けたいと思う心の“間”であり、周りを疎んじ、蹴落とそうとする心の“魔”」
「心の……」
――心の中で生まれた“ま”は、もがけばもがく程……逃げれば逃げる程に肥大化し、その人自身を蝕む。そうなると、もうその人は自分で自分の心を制御できなくなる。欲望のままにふるまう“鬼”になる。
八雲はそう続けると梗耶へ赤い瞳を向ける。
その赤い瞳の奥に――あの日に見た一面の炎が重なって見えた。炎の中で見た黒い人々は“鬼”で、取り込まれていった少年は――
「梗耶ちゃんが見えたっていう“黒い人”はその成れの果て。その宿主の中で肥大しすぎた“ま”が、暴走して別の自我を持ったものなんだ」
傍で耳を傾けるうちに夢姫も興味を持った様子。夢姫は和輝と初めて会った日の出来事を思い返していたのだ。
「あの時の通り魔……あれが“鬼”だったんだ。で、その後出てきた黒いのが、その成れの果て――」
和輝が口にした言葉――“悪い狼を黙らせる”事。それがつまりが“鬼”の暗喩で、鬼を対峙する、という行為だったのだろう。勉強が出来る方ではない夢姫だが、感覚でそう辿りついていた。
―――
「どうして、私には見えるんですか? 普通の人には見えないものなんですよね?」
「それについてだけど……恐らくは君も和輝と同じで“道具”に選ばれたんだろうね」
「道具……?」
八雲はおもむろに立ち上がると、隅に飾ってある骨董品を手に取り愛おしげになでる。
「人は道具を選ぶ……実は違うんだよ。選んでいるつもりで、本当は選ばれているんだ。……俺も詳しく知らないけど“鬼”を打ち負かせる“道具”がいくつか存在するらしい。それは誰にでも使いこなせるものではなく素質のある人間を選んでいる」
「道具が、選ぶ……」
「どうせ見たんだろ? あの“光る刀”を。あの子を選んだ道具……あの刀は、心を切り裂く刀。“ま”を斬る刀はそんな“道具”の一つ、だよ。……多分、その内おでこちゃんも出会うよ。君を選んだ“道具”にね」
和輝がやってみせたように、梗耶もまたそれに似た力を持つ“道具”に選ばれた人間である。
どうやら八雲はそんな結論に至ったようであった。
一方で夢姫は腕にしっかりとはまる腕輪を見て、何かに気付いた様子である。
「ってことは、この腕輪ちゃんもあたしを選んでやって来たって事だね~」
そう、夢姫は思い出したのだ。
梗耶はともかくとしても、元々夢姫は“ま”やら“鬼”やらそういった類のモノなど見えた事がなかった。
見えていたらとっくの昔に首を突っ込んでいるはずである。
初めてその姿を認識できたのは、和輝と出会ったあの日に手にした“腕輪”がきっかけだった。
その事が意味するものは、“腕輪”という道具が自分を選んだということなのだろう。
点と点が繋がり、夢姫はその右手に鈍い光を放つ腕輪を掲げ、惚れ惚れと見つめる。
夢姫の挙動に目を奪われた八雲が視線を腕輪に手向けた。――その目には驚きと憎しみの混ざったような、複雑な感情が湛えられていた。
「それは……!」
八雲は夢姫の細い手首を掴み上げ、腕輪を見つめる。
手を掴まれ困惑を擁した夢姫が、声も出せずその様子を見つめていると――八雲は我に帰ったように掴むその手を離した。
「あ……ごめんごめん。君、ずいぶんと珍しい品を持っているね?」
「う、うん……そなの?」
「……気にしないで。それより…可愛い子達はもう帰らないといけないね」
梗耶と夢姫は窓の外を見る。雨はいつの間にやら止んでいたらしいが……外はすっかり日が落ち、真っ暗になっていた。
「暗っ!! ゆ、夢姫! 帰りましょう?」
「クララ、この子達送ってあげて」
あからさまに嫌な顔をする梗耶を後目に、奥で料理の仕込みをしていた風のクララはご機嫌な様子で投げキッスを乱舞させる。もちろん三人は全力で避けたのだった。
―――
――薄闇の中、扉につけられたベルが鳴る。帰宅した和輝を一人出迎えた八雲は、カウンター近くの椅子に座っていた。
「遅かったね、和輝。君のガールフレンドならクララに送らせたよ」
「クララ……にですか?」
白塗りの顔に相当衝撃を受けた様子であった梗耶が気にかかっていた和輝。“クララに送らせて、かえって大変なことになってはいないだろうか”――そんな不安が頭を掠める。
「君にお願いしたいことがあってね。クララは邪魔になるから。和輝、こっちにおいで。……夢姫とか言ったかな、黒髪のあの子」
「は……はい」
八雲が訝しげに紡いだ名前に、和輝は別の意味の不安を抱いた。やけに気があっていたようだし、まさかあの発言の数々は本気なのか、と。
和輝は脳裏に浮かんだ嫌な想像を、そのまま表情に露わにする。
――だが、八雲はそんな和輝の頭を軽く撫でると、予想し得ない言葉を口にしたのだった。
「あれは野放しにしてはいけない存在だ。……殺してきてくれる?」
「え……?」
「君なら出来るね?」
“殺す”と言う直接的な言葉。和輝は懸命に他の意図を考えてみていた。
それが表情に表れていたのだろう、八雲が諭すように沈黙を破った。
「ねえ和輝。今まで俺が君に教えてきた事に間違いはあった?」
「いえ……そんな事ありません」
「これは誰かがやらなきゃいけない事。他の誰かに任せられるものでもない」
「……でも」
「俺は君にしか頼めないんだ」
少しだけ迷った、だが彼には選択肢など存在しなかった。……そう、和輝にとって師匠の言葉は絶対なのだ。
迷いを断ち切る様にしっかりと八雲のその紅の瞳を見つめると“頑張ります”とだけ小さく返した。
「うん、いい子だね」
「勿体無い御言葉、です」
八雲は和輝の頭を撫でる。夕闇に紅い目が妖しく光っていた。




