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「――あれは、とーやくん?」
夢姫は、対峙したままお互いの動きを探っている和輝と燈也を見つけ、小さく呟いた。
砂利に覆われた広いその空間は近隣工場の物置なのだろう。無造作に積まれた木材の陰に身を潜めた夢姫は、高鳴る鼓動を抑え冷え切った腕輪に意識を集めた。
「和輝ぃ! お前が憎い憎い憎い憎い憎い! 憎いんだよ! いつもいつもいつもいつもお行儀よくしてるお前がさ!!」
「あーもう! 憎まれてるのはもう分かったよ! ……だけど、殺される理由にはならないよな? 目障りなことくらい分かってたよ、だから俺……燈也とも、もちろん湊とも関わらないようにしたじゃん! それ以上、何をすればいいんだよ!」
「だから、お前が生きている事自体迷惑なんだよぉ! この世から消えろって言ってるの! あーあ、オレさあ、ついテンション上がっちゃって、湊にもヤベーこと言っちゃったしさ!? お前に死んでもらえないと困るの!」
そんな夢姫の動向に気付かない様子の燈也は、支離滅裂な言葉をちぐはぐに紡ぐとでたらめにナイフを振り回し和輝に詰め寄っていく。
人を相手に戦うことに慣れつつある和輝は不規則な切っ先をかわしながら反撃のチャンスを伺っている様子である。
夢姫もまた、飛び出すタイミングを伺いながら母に託された雨傘を木材の壁に預けるとその身を乗り出した。
「落ち着けっての……この、分からず屋!」
和輝が荒げたその声に呼応するように、とうとう空は大粒の涙で砂利を濡らし始める。
雨に打たれようとも、燈也の心は揺るがないままのようで、雨で滑る事のないようナイフを握り直すと静かに和輝に歩み寄った。
「あ……チャーンス!」
ちょうどその時、燈也が背を向ける形となり……夢姫は小さくガッツポーズを決め意気揚々と飛び出した。
「みな……!? 馬鹿! 来るな!」
黒の杖を天高く振り上げた時、夢姫の存在に気付いた和輝が声を上げた。
“鬼”と対峙している時の剣幕とはまた違う、どこか切迫したような和輝の声を耳にした夢姫は思わず躊躇し後ろへ下がり、息を飲んだ。
「ああ!? よそ見してんなよ! またオレを馬鹿にすんのか!?」
だが、燈也は背後にいる夢姫の存在、それすらも厭わない様子でまっすぐな刃先を和輝に向ける。
徐々に単純な思考に陥ってきて見える燈也の突進を避けようとした和輝だったが、夢姫の存在に気を取られらのか足元の車止めに気付かず、躓き尻もちをついた。
「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ……! 湊を、返せ!!」
燈也が激情のままにナイフを振り下ろすと、布の裂ける音と赤い血が雨にまじり……夢姫は思わず目を逸らした。
雨水に濡れ始めた厚手のパーカー、その肩には和輝の血が滲む。
「――燈也、俺が消えても何も変わらないよ……お前に罪が残るだけ、だよ」
「消えても何も変わらない? ……何それやっぱり馬鹿にしてるじゃん。変わるじゃん? 少なくとも、湊の気持ち変わってくれるじゃん!?」
「変わらないよ! 少なくとも“湊の気持ち”はな!」
座り込んだ姿勢のままの和輝に燈也はもう一度ナイフを振り下ろす……が、今度は横に転ぶ形でそれをかわす。
小石を弾き飛ばし地面に突き立てられた刃先を引き抜こうとする一瞬のすきをついて、和輝は体当たりを決め燈也に向かい立った。
「和輝さあ……どんだけ前向きなん? “俺がこの世を去ってもあいつは一途に想い続けてくれる”ってか?! 調子乗んなよ!! この――」
「燈也の方こそ分からず屋かよ!! 本当に本物の馬鹿だよ!」
体当たりをまともに受けてしまい、背中から転んでしまった燈也はよろめき立ち上がると悲痛な叫びと共に、力の入らない指先でナイフをしっかり握り刃先を突きつける。
指先に力が入らないのは和輝も同じ事……痛むであろう利き腕の傷を庇い、刃を光に返した後の刀を懐にしまうと徐々に強まる雨音に負けない強い言葉を紡いだ。
「湊は……昔っから俺の事なんて見てないよ! ずっと、お前の事だけ見てたんだよ!」
燈也は迷いを振り払うような大声をあげると武器を放棄し無防備になった和輝目掛け、銀色の刃を振りかざす。
「待って! だめ!!」
それまで呆然と二人の攻防を見守っていた夢姫だったが、不意に燈也の腕を掴み封じる。
――その時、雨に濡れ淡い光を放つ腕輪が、夢姫の声に呼応するかのように、燈也の身体から“黒い靄”を吸い出し、鈴の中に取り込んでいた事に誰も気づかなかった。
その事も関係するのだろうか……夢姫の掴む手を振り払えなかった燈也は、力なくその場にへたり込むと、和輝の次の言葉を――察しかけていた先の言葉を待った。
「ずっと……! そうだよ、俺だって湊の事、好きだった! だけど湊はお前の事しか、燈也しか見てなかったよ、昔から! 俺にじゃれてくるのは俺が安全だから……俺に甘えてくるのはお前がヤキモチ妬くから! 全部お前の反応を見る為!」
雨は徐々に激しさを増し、地面を覆う砂利も、和輝も……夢姫達も丸ごと包み込んでいく。
夢姫は燈也の手に残るナイフをそっと抜き取ると刃先を畳みしまい込んだ。
「別に俺は……俺自身がどうなろうと構わないけど、燈也に何かあったら、湊が悲しむから……! 俺、湊の悲しむ顔見たくないんだよ!」
和輝の声が微かに震えている気がして、夢姫は視線を重ねた。視線に気付くと、和輝は俯き黙ってしまったが……それでも、燈也の胸には届いたらしい。
「和輝……」
足元を確かめるように一歩、また一歩と後ずさると燈也は力なく崩れ落ち、やり場のない心を声に乗せ吐き出したのだった。
「――來葉堂に一回帰れ。湊も来ているかも知れないから。……湊が何かごねてるのなら、俺も話聞くからさ」
雨と自分の血で汚れた手をズボンで拭いふき取ると、和輝は手を差し出す。
小さく頷くと、燈也はその手を取り立ち上がり、そのまま走り去って行った。




