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同じ頃。燈也の動向など知る由もなく……嵐が過ぎ去った後の來葉堂では皆が皆、各々の想いを呑み込んでしまったままの沈黙があたりを支配している。
飛び出していった湊の動向も気になるが、それよりも今だ連絡が取れないクララと、そのクララを探しているであろう燈也。
彼らをむやみに探しても意味のない事だと頭では理解していても、その心中が穏やかである筈がなかった。
「……和輝、どこに行くの?」
意を決したように和輝が軋む扉に手を掛け、八雲が静かに問い掛ける。
和輝は、自身の幼馴染達と……そして自身の兄が関わっているのだから落ち着いて待っていることができなかったのだろう。
立場が違えども、その気持ちが理解出来た梗耶とソラがそれぞれ追いかけると、振り向いた和輝は息をつき八雲に視線を返した。
「……燈也は傘なんてもってないだろうから。とりあえず、行きそうな所でも探してきます」
重々しく建てつけの悪い扉を引き開けようとした時、何故か扉がいつもより軽く感じられた。
勢い余りよろけそうになった体を支え体制を整えなおした時、見知らぬ少年の声が重い空気の店内に舞い込んだのだった。
「――わわわ、すみませんすみません! 雨宿りさせてもらってました!」
少年は弾むような声に乗せ勢いよく頭を下げる。
ざあざあと降りしきる雨に打たれたのだろう。和輝と同じくらいの背丈のその少年は右目を覆い隠すほどに長い非対称的な前髪も、身にまとう薄手の洋服もびしょびしょに濡れてしまっていた。
「びしょぬれじゃないですか! ぼく、なにかふくものをおもちいたしますね!」
予期せぬ来客を前に思考が追いつかなかった一同の、誰よりも先にソラが声を上げると二階へ続く階段に消える。
いくら立て込んでいると言えども、この冷たい雨が降りしきる中見知らぬ少年を寒空の下に追い払う事が出来る筈もなく。
和輝は少年を店内に押し込むと入口の扉をしっかりと閉じた。
ソラが大量に持ってきたタオルで少年が濡れた服を乾かす傍ら、梗耶は温かいお茶を本来の店主――クララに代わり少年の前に据える。
「ありがとうございます……でも、今持ち合わせが無いもので……」
「そんなの気にしないでください」
「おい風見」
ごくごく自然になじんでいた“店主もどき”に対し和輝がすかさずつっこむと、梗耶は眼鏡を指で押し上げ“そんなケチくさい事言ってる場合じゃないでしょう”と切り返したのだった。
「――ねえ、君見かけない顔だね? 高校どこー?」
少年が体を拭き終わり、ちょうど良い温度になり始めたお茶で体を温め始めていた頃、暫くその姿を眺めていた夢姫は身を乗り出すと尋ねる。湊へのいら立ちやクララへの配慮も、好奇心には勝てなかったらしい。
呆れた様子の和輝達に気付く事はなく、少年は明るい笑顔を夢姫に返していた。
「ああ、すみません。自己紹介もしていませんでしたね。俺、吾妻 美咲って言います。中学生です。……身長高いんで間違われるんですよねえ」
「マジ? ……また年下か!」
夢姫が悔しがる傍らで、梗耶が一人“懲りないな”とため息を落とした事には誰も気付かないのであった。
「――ちょっと雨弱まってきましたし、俺はそろそろお暇させて頂きます。何から何までありがとうございました」
無情にも振り続けた雨は日が完全に傾き切った頃に弱まり、美咲と名乗った少年は屈託のない笑顔を湛えると一同に頭を下げた。
「みさきさん、まだあめがふっていますから、ゆっくりしていけばよろしいかとおもいますが……」
「いえいえ、大丈夫ですよ! うち、門限あるんでこのままだと締め出されちゃいますし……こう見えて体は丈夫に出来てますからね!」
「もんげん……それはしかたないですね。そういうことならば、カサをつかってください! ごじつ、ちかくをとおるさいにでもおかえしいただければじゅうぶんですから、ねえやくもさま」
美咲が冷えた身体を温めている間――一言も言葉を発する事も……その場を後にする事もなくただ静かに黙って佇んでいた八雲に、ソラが笑顔を手向ける。
八雲は考え事でもしていたのだろうか……少し気おくれしたようにソラに視線を返すと、静かに頷き、厨房の奥に置いている傘立てを取りに姿を消したのだった。
「みさきさん、しょうしょうおまちくださいね」
「……」
「……みさきさん?」
八雲の姿を目で追う美咲が一瞬だけ憎悪の表情をまとった気がして、ソラが少年の手を引く。
我に返った様子で屈託のない笑顔を取り戻した美咲は首を横に振ると、八雲が持ち寄ってきた色とりどりの傘の中から一つを選び出していた。
時刻はまだ七時ごろ、と決して遅い時間では無いにしても振り続いた雨の影響で外は漆黒の闇……親も心配している頃であろう。
和輝が視線を促すと、ようやく時間に気がついた様子で夢姫も慌てて帰り仕度をし始める。
「やっば! 今日はお母さん帰ってくるの早いんだった、泣いちゃう!! ……クララちゃんの事は心配だけど……和輝! 送りなさい!」
「はいはい分かってるよ。風見も……あと、吾妻さんも、駅方面なら一緒に送るけど」
「へ? ああ、俺は大丈夫ですよ。皆さんお優しいですね」
美咲が素直な笑みを湛え頭を深々と下げると、和輝は感心した様子で手を叩く。
一般的にはごく普通の礼儀作法なのだろうが……ろくな中学生と接していなかった為、尚の事礼儀正しく見えていたのだ。
「……佐助に爪の垢を飲ませたい」
「佐助さん……どちら様ですか?」
「いや何でも無い」
勢いよく礼をして見せると、少年は瞬く間に漆黒の闇へと消えていく。
その姿を、八雲もまた訝しげに見つめていた。
【登場人物】
吾妻 美咲
左右非対称な前髪で右目を隠した少年。中学生くらい。
中学生の割に背は高く、和輝と同じくらい。
夢姫曰く「また年下か!」




