25-5
――その頃、無理難題を押し付けられた燈也は行くあてもないままに駅前の広場を彷徨っていた。土地勘もなければ、ほとんど面識もない相手の足取りを予想することなどできるはずもない。
ふと、携帯が街の雑踏にまぎれながらも音を奏で始め、見なれた名前の少女からの着信に慌てて通話ボタンを押すと、耳に痛い甲高い声がスピーカーを打ち鳴らした。
「み、湊! ご、ごめん、まだ見つからな……」
「はあ? もう何時間経ってると思ってるの? ……っていうか、あんた今どこにいるのよ。……まあ良いわ。私、もう帰るから、あんたはあのオカマ見つけるまで帰ってくるんじゃないわよ!」
「ええ、ちょ……おい!」
無情にも通話終了の画面が表示される携帯を鞄にしまうと、空を見上げ白い息を冷たい風に溶かす。
今にも雨が降り出しそうな空は燈也の心をそのまま描いたかのようで、気持ちを重ねるとポケットに手を忍ばせた。
「マジ無理ゲー……もう、捨てちゃおうかな、受け取り拒否のテンションだべ」
厚手のジャンバーのポケットから取り出したのは、赤のリボンが彩る小箱。若い女性に絶大な人気を誇る雑貨屋のロゴがあしらわれた、特別な物だ。
中身を確かめるように箱を揺らすと、応えるようにカタカタと音を立てた。
「都会ってコンビニにゴミ箱置いてないんだなあ……公園にあるかなあ」
掠れそうな声で誰にでもなく呟くと、燈也はあてもなく歩き始めた。
商店街は色とりどりのリボン、電飾に彩られ、心弾む音楽がどこからか聞こえてくる。
通りを行きかう人々も年に一度の聖なる日を待ちわびていた様子で仲睦まじく、楽し気な声を弾ませていた。
その光景は曇った燈也の心には痛々しく思え、人目を避けるように路地を駆ける。
日が傾き始めた黄昏の中――燈也が辿りついたのは小さな公園であった。
「……捨てたら、帰ろ。“聖夜の奇跡”なんて、存在しないわな」
ベンチと鉄棒が設置されているだけの小さな公園、辺りを見渡してみてもゴミ箱のようなものは無いようである。
「もういいや。誰か拾ってくれるっしょ」
一日歩き通しで棒になりそうな足をベンチに投げだすと、燈也は横に小箱を置き、その場を後にした……が。
「ねえ、お疲れなお兄ちゃん! これ……忘れものだよ~?」
無垢で舌足らずな声が燈也を呼びとめる。
閑静な住宅街に響き渡る少女特有の高い声を無視する事が出来ず……燈也が観念し振り向くと、そこには置き去りにした筈の小箱と犬のぬいぐるみを抱きしめた少女の姿。
――そう、燈也が知る由もない、あの学園祭の日の少女……優菜が微笑んでいたのだった。
「これって、“ぷれぜんと”ってやつでしょ~? 忘れたら大変だよ! ねーライタくん」
優菜は満面の笑みで小箱を燈也の手に握らせると、犬のぬいぐるみ……“ライタくん”の頭を撫でる。
中学生くらいの外見に似つかわしくない、遥かに幼い振舞いを見せる少女の姿に、燈也は違和感を隠し切れず苦笑いを返した。
「あ、ありがとう。……でも、これはもう、オレには必要ないものなんだ」
「そうなの~? ワケアリさんなんだねえ」
「ああ……あ、そうだ。その箱、お嬢ちゃんにあげるよ。……元々、女の子にあげるつもりで買ったものなんだけど、あげる予定、無くなっちゃったからさ……オレがもってても意味ないし」
燈也は自棄気味な笑顔を作ると、思いついた様子で優菜の手に再び小箱を返す。
“袖触れ合うも多生の縁である”と半ば強引に理由を作り、不思議そうに首を傾げる無垢な少女から逃げるように燈也が背を向けた。
「良いの? わあい、可愛い箱! ありがとう~……だけど、おにいちゃん悲しいのね。“心が泣いておる”ってライタくんが言ってるよ!」
上着の袖を掴まれ、振り払うことも出来ないまま振り向いた燈也に、優菜は“ライタくん”を差し出して見せた。
当然ながらただのぬいぐるみのはずの“ライタくん”が相槌を打つ筈もなく……差し出されたぬいぐるみは冷たい風に長い耳を微かに揺らすばかりであった。
――ああ、きっとこの子は精神が“アレ”なんだ。
舌足らずな言動に幼げな振舞い、そして喋る筈の無いぬいぐるみを目の当たりにした燈也はそう納得した。
「……ライタくんは優しいんだね」
「うん! ライタくんは弱い者の味方なの! だからね、おにいちゃんのお悩みも解決してあげたいって言ってるよぉ!」
嘘も偽りも感じさせない無邪気な笑顔を手向ける少女を前に、燈也はお人好しな性格ゆえに変に刺激する事も良くないだろうなと察し、苦笑いを返したのだった。
「――おにいちゃんは、その女の子の事が好きなんだね」
ベンチに並んで座り、燈也はそれまでの事、つい先程までの出来事の一部始終を紡ぐ。
優菜はコクコクと頷き、時にぬいぐるみに耳を貸すような仕草を見せながら、まるで“誰か”の声でも聞こえているかのように耳を傾けていた。
「ライタくんがね、こう言ってるの! “好きなら、奪い取ってしまえ”って!」
「……え?」
無邪気な笑顔のあどけない口ぶりから想像しえない不穏な言葉に、燈也は思わず耳を疑った。
「い……意外と情熱的やねえ、お嬢ちゃん。……でも、奪い取れるだけの力も……オレ和輝に勝ててるところねーんだわ」
「“勝ててる”とかそんなの関係ないって! ライタくんは、“邪魔ものはこの世から葬ってしまえば良い”って言ってるの!」
“葬る”――子供は時折残酷であると揶揄される事はあるが、到底子供が覚えうる言葉では無い。言葉を失う燈也を横目に、優菜はぬいぐるみと話をしているように楽しそうに相槌を打っていた。
「おにいちゃん、良かったね! ライタくんがお手伝いしてくれるんだって」
「お手伝いって……なにを」
まるで“ライタくん”から指示をもらったかのように自信満々な様相で紡ぐと、戸惑う燈也が言葉を紡ぎかけた口をぬいぐるみからのキスの形で塞ぐ。
埃っぽい布の感触と共に、仄暗い“何か”が頭を、心を支配していくような感覚が燈也の全身を駆け巡っていった。
「ちょっと早いけど、メリークリスマスなの! ライタくんサンタ、略して“ライタ”からのプレゼントだよ……頑張ってね、応援してるの!」
優菜は楽しそうにぬいぐるみの手を大きく振ってみせると、踵を返し足取りも軽く立ち去って行く。
「そっか……そうだよ、“勝てない”って諦めたら、そこで試合終了、だよなあ……はは、はははは、はははははははははははは……!」
――朝から曇っていた空はとうとう涙を堪え切れず、大粒の滴で地面を濡らし始めていた。




