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ユメユメ~一年目~  作者: サトル
25.兄が思ける様
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25-4


 一方の和輝は、近くを流れる川沿いの道まで走りやってきていた。

 乱れた息を整えるように土手をゆっくり降り、静かに流れ続ける水面に顔をうつす。


 自分自身の見なれた顔のはずなのに、今は、見たくない気持ちが勝り――

 ――冷え切った水面に指先を沈めると流れに逆らい掻き乱した。


 “クララ”と過ごした日々を思い出すほどに湧き上がるのは、裏切られたような……心の奥底に沈む暗い感情だ。


「あいつ、全部分かってたんだな。……分かってて、俺の事を嘲笑(アザワラ)ってたんだ」


 川の流れは留まる事を知らない。冷え切った指先で乱した水面はすぐに元のせせらぎを取り戻し、そこには見慣れた自分の顔が映る。


 ――ふと、和輝の脳裏には“もしかして、八雲は知っていたのではないか”という疑念が掠めた。八雲は和輝の、そしてクララ……兄・蔵之介とはいとこ関係という事にもなる。そして、クララの雇い主だ。

 何故隠していたのか……?

 尊敬しているはずの八雲に対してまでも不信感が湧いてしまいそうな心持ちに陥った和輝は真相を確かめたい気持ちに駆られ、息を整え立ち上がる。


「和輝さん、こんなところで何やってるんですか? ……そんな恰好で、風邪引きますよ」


 そんな時、すぐ真上にかかる橋の上から見知った声が投げ落とされたのだった。


「風見……」

「何かあったんですね。顔に書いてあります」

「……俺は顔に何か書いたり、塗ったりはしない」

「何の話ですか」


 逃げる気分にもなれなかった和輝はそのまま河原に座り込むと、降りてきた梗耶に事のあらましを伝える。梗耶は驚いた様子もなく、ただ淡々と耳を傾け、やがて納得したかのように深く頷いた。


「確信はなかったんですけど、そんな気がしてたんですよね。大人になったらああなるのかなって」

「風見さんは俺にとどめを刺しに来た感じ?」

「ち、違います! そ……そうクララさんって、いつもすっごく和輝さんの事心配してたんです!」


 寒々しいスウェット姿のままの和輝を気遣い、梗耶は自身の首元を温めるシンプルなデザインのマフラーを解き手渡す。だが、受け取る気分にもなれなかった和輝は首を横に振り、梗耶に返した。


「……前に、私が春宮さんを説教に行って、和輝さんと喧嘩になった時……クララさんは心配して話を聞きに来てくれました。クララさんがお休みの日に“人間の食べ物を食べているか不安だから見て来てほしい”ってお願いされたこともありました。……それと、和輝さんの御実家を教えてくれたのもクララさんなんです」

「そんなことが……って言うかいつの間に連絡取り合ってたんだよ」

「え……ああ、えっと、その。春宮さんを説教しに行った日に……」


 梗耶は出会ってからの約一年間を思い返し言葉を紡ぐ。

 丸一年も経っていない、僅かな時間だが……春の終わり頃、同じ川のほとりで話した事、“高血圧誘発剤(死のカレー)”の事、そして走り書きのメモを手渡してくれた事――


「――いつも、クララさんはこう言うんですよ。“和輝をお願いね”って」


 それは、常々クララが口にしていた言葉――誰かに押し付けるでもない、祈るような言葉。


「クララ……兄さん……」


 驚いた様子で次の言葉を待つ和輝に、優しい笑みを返すと、梗耶は立ち上がり手を差し出した。


「あなたのお兄さんは……蔵之介さんは、何か事情があったんだと思います。親元から離れたい事情が。……だって、和輝さんの事を守っていたんですよ。置き手紙の事だって、和輝さんを置いて逃げたんじゃないと思います。きっとあの人は――」


 ――和輝もまた、思い返していた。

 クララは毎朝、日も昇らない内から遅刻もせず出勤してきて、必ず皆が起きる前までに朝食を準備していた事も。


「……あの趣味の悪い弁当も、母さんが作ってくれた事無かったものを」


 母親から与えられることのなかったものを、代わりに与えてくれていた事を――


「帰りましょう、來葉堂に。……クララさん、蔵之介さんは帰ってきます。待ちましょうよ」


 梗耶が促すと、和輝は一度だけ深く頷き、差し出された手を取る。

 そして、二人は来た道を引き返していったのだった。


「――何の騒ぎ……うっげ……厄介なのフルコース……」

「やくもさま、きこえますよ……」


 同じ頃。

 尚も睨みあいのような様相を保ち続けていた來葉堂では、ようやく目を覚ました様子の八雲が目に飛び込んできた災厄(サイヤク)のフルコースに苦々しいため息を落とす。


 常日頃から騒々しい女子と、それに引けを取らない女子。

 そして本来いる筈の白おば……クララがいない惨状を目の当たりにした八雲が戸惑いを露わにソラを呼び寄せる最中。八雲の姿に気がついた湊は一笑に伏すとスカートの裾をつまみ上品に挨拶して見せた。


「起こしてしまいましたか? 春宮様ごめんなさい、何かこのゴキブリみたいなやつが騒がしくって」


 聞き捨てならない言葉に、いてもたってもいられなかった夢姫が湊へ掴みかかろうと飛び出す。

 だが……湊は無視したままでカウンター席の椅子を、まるで汚いものでも扱うかのように手ではたき腰を落ちつける。


「御存じだったんでしょ? あのキモい従業員が、御一族の大事な跡取……次期社長候補であった事を。……何を思ってあんな危険物を(カクマ)って差し上げたのかは聞きませんけど、良い機会ですから、若い女性でもお雇いになった方がお店の為だと思いますわよ。まあ、このまま畳むって言うのもありだと思いますけど~」


 愛らしくも辛辣な湊の言葉が店内に響き渡る。八雲は何を思うか、黙ってその言葉を呑み込んだ。


「ちょっとあんた! さっきから何なの!?」


 聞いていられなくなった夢姫は、とうとう湊が身にまとうふわふわなファーコートの襟を掴み、自らの方へ向かい立たせる。


「ちょっとやめてよ! このコート高いんだから」

「知らないわよ、あんたが好き勝手やるからでしょ!?」


 夢姫が掴む手を振り払うと、抜け落ちたファーの毛が宙を舞う。

 それが不快だった様子。今度は湊が夢姫を突き飛ばし、冷たい視線を投げつけた。


「夢姫!? 大丈夫ですか!?」

「湊! 何やってるんだよ!」


 その時。店内に飛び込んできたそれぞれの声が響き渡り、梗耶はよろけた夢姫を後ろから支え、和輝は苛立ちを隠さないままの湊に詰め寄った。


「な、何で私が怒られるの!? あっちが先に手を出したんだもん!」

「いくら水瀬が馬鹿でも、理由なく暴力振るう事は無いと思う。湊が何か言ったんじゃないか?」

「和輝、それあたしを庇ってる? けなしてる?」

「水瀬が馬鹿なのは仕方ない」

「ちょっと!」


 昂る感情そのまま、和輝に飛びつこうとしている夢姫を梗耶が羽交い絞めで食い止める。

 背中で繰り広げられるいつもの光景を見ないままに和輝は“ほらね”とため息を落とした。


「……やっぱり、変わっちゃったんだね。前はどんなときだって私の味方で居てくれたのに」


 消えそうなほどの微かな声で湊が呟く。

 誰にぶつける訳でもないその言葉だが、和輝にはその言葉の意味が理解出来た。返す言葉を見つけられず、俯いた少女から目を逸らした。

 見かねたように、梗耶が口を開いた時……湊は鋭く夢姫を睨みつけると、その真正面に詰め寄る。


「……私、絶対あなた達なんか認めない。絶対、和輝の事返してもらうから!」


 そして、強い言葉を紡ぐと湊は踵を返し扉を力任せに押し開け立ち去っていったのだった。


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