24-3
佐助が帰り、出かけるソラを送り出した後の來葉堂には静かすぎるほどの時間が流れていた。
大きな柱時計は耳障りなほど大袈裟に時を刻み、客を出迎える大きな扉はしっかり閉ざしても尚、隙間風を店内に呼び込む。
風の音と共にカタカタとその身を打ち鳴らし続けている扉を締め直すと、クララはため息を落とした。
「――今、どんな気分?」
ふと、背中に冬の冷たい風のような声が投げかけられ、クララはため息交じりの声を返す。
いつの間にか居室から姿をあらわしていた様子の八雲はカウンターの端の席に座り、燃えるような赤の瞳で冷ややかな視線を送っていた。
「何か言いたげね? 八雲さん」
「“相手が何か言いたそうにしている”って考える時ってさ、本当は相手が言わんとしてる事じゃなくって“自分自身”の考えてる事なんだよねえ……で? さて俺は何を言おうとしてるでしょう、クララちゃん?」
わざとらしい言い回しでそう紡ぐと、八雲はカウンターに肘をつき、クララの言葉を待つ。
言いたい事が伝わったらしく……クララはため息を落とすと、困った様子で視線を伏せた。
「本当に……性格悪いわね。分かってるわよ、子供じゃないんだから」
「そう?」
いつも通りの涼しげで気だるげな様相の八雲を一瞥するとクララは準備が既に終わっている朝食の膳を取りに厨房へ向かう。
朝食の膳を八雲の前に据えると、クララは八雲に背を向けたまま低い声を紡いだ。
「本当は、八雲さんだって内心焦ってるんじゃない?」
「……どうしてそう思う?」
「だってあの子の事、“身代わり”にしてるでしょ? いつも」
湯気が立ち上る味噌汁の水面が零れそうなほど揺らぐ中。
柱時計の時を刻む針の音だけが來葉堂を包み込んでいた。
―――
「やっばばばー!! きょーや! 刹那っち!! 凄いよーまさにゴーストタウン!!」
夢姫達は長旅の末、人もまばらな駅のホームに降り立った。
改札を抜けると正面の広場でタクシーが数台、乗客を待っているが……人よりも鳩の方が多そうだ。
たむろする鳩の群れを追いかけると、夢姫は声を弾ませ二人を呼んだ。
「うん、夢姫ちゃん。その太陽みたいな爛漫さは君の魅力ではあるけど……バスに乗るから、こっちにおいで」
「おっけー! よし、いこー!!」
はしゃぎっぱなしの夢姫を連れ、時刻通りにやってきた閑古鳥が鳴くバスに三人は乗り込んだ。
「……和輝さん達は恐らく新幹線の方で来ている筈ですから、うまくいけば到着時刻はほぼ同時に合わせられるかも」
「んでんで、はち合わせたら、いよいよ! みなとちゃんをパーン! と」
「しません」
「面白くない!」
「夢姫ちゃん、君は何を望んでいるんだい」
夢姫達の他には背中の曲がった老人が数人乗り合わせているだけのバスの車内、思わず声をあげてしまった梗耶は自身の口を押さえ、シートに身を潜める。
それと同時に刹那も長い指先で夢姫の口を塞ぐと「静かに」と苦笑いした。
タイヤの回る音とエンジン音だけが響く車内……夢姫の願望に相槌でも打つかのように鈴の音が鳴り響いた事には、誰も気付かないままであった。
―――
「――黒崎です。ただいま戻りましたわ!」
湊と和輝は燈也を家に帰した後、和輝の実家――“HINO建設工業”の事務所を通り抜け、二階に在する社長室の扉をノックする。
湊が弾けるような声で呼びかけるも、返事は返ってこなかった。
「……帰ってきたのね、本当に」
不在なのだろうかと湊が首を傾げている最中、後ろから二人を呼びとめる中年女性の声が耳をつき二人が振り返る。
そこにいたのは和輝と良く似た女性の姿があった。
「母様……ごめんなさい、迷惑ばかり」
「社長ならもうすぐ戻る筈よ。社長室で少し待ってなさい」
「……ありがとう、ございます」
「その恨めしそうな目は変わらないわね。……先が思いやられるわ」
よそよそしくも冷たい親子の会話を交わしながら、母は社長室の扉を開ける。
湊と和輝を中へ通すと、ため息を落とし足早に立ち去っていったのだった。
「おばさま、相変わらず冷たいね」
湊が耳打ちすると、和輝は力なく微笑み室内を見渡していた。
歴代社長の――和輝にとって先祖にあたる人達の写真と、県からの認可証、表彰状の類が所狭しと飾られた室内は広々としているはずなのに息苦しさを覚える。
「仕方ないよ。俺はあの人にとって“疫病神”だから」
「おばさまってお兄様に激甘だよね。私からしたらお兄様の顔見てる方が不幸になりそうなんだけど。……私は和輝派だよ? あの気持ち悪いお兄様とだったら、許嫁の話も迷わず蹴ってたんだから!」
湊は何かを思い出したように身震いさせると、長旅に疲れた身体を綺麗な革張りのソファに投げ出す。
「……気持ち悪い、は言いすぎだと思うけど」
「ええ? 昔っからキモかったよ! ふにゃふにゃしててさ!」
和輝にとってはおぼろげな兄の記憶。
記憶の片隅に残る弱々しく笑う姿に、懐かしさと……何故かつい最近見たような既視感が押し寄せた。
和輝が記憶を辿ろうと窓の外の懐かしい風景に目をやった時、ふと、手に触れる温かい感触が思考を遮った。
「もー! 私という許嫁がいるんだから、他の事考えるの禁止!」
頬を膨らませながら湊は和輝の手を両手で引き寄せ強引に隣に座らせると、そのまま膝の上に体を投げ出した。
無邪気と言えるほど奔放な目下の少女に色々言いたいことはあったが、切り出しにくかった和輝は代わりにため息を空に投げ湊の両肩を支え起き上がらせる。
「……湊、分かってる? 許嫁って言うのはさ、つまり……“そう言う関係”になるんだよ? もう燈也と一緒にいられなくなるんだよ」
「だから、バカとーやはもーどうでも良いんだってば! しつこいなあ!」
「本当に……それ心から言ってる? 湊さ、昔から」
「もう! しつこい!」
言いかけた和輝の両頬を包み込むように湊が自らの手を重ね、可憐な顔を近づける。
「私、和輝なら“そう言う関係”になっても良いよ……?」




