二話
違う作品のキャラが出てきます。
部屋である程度の服やすぐ使うだろう小物類をかき集めてバッグに押し込めていると、控えめなノック音がした。
「遊にぃ」
来訪者は文乃だった。俺は一旦準備を止めて、文乃を迎え入れるためにドアに向かった。開けると泣き腫らした目で見上げてくる文乃の姿。立ち話するとどこで誰に聞かれるくか分からないので、部屋に招き入れる。
「本当に出ていっちゃうの?」
少し悲しそうに落ち込んだ様子の文乃の言葉に、俺は準備を再開させて肯定した。そんな俺の背中に重みがかかる。振り返ると、文乃が俺を背中から抱き締めていた。
「悪いな文乃。前々から決めてたことだから」
「ねぇ、どうして遊にぃが出ていく必要があるの」
「……」
「遊にぃの気持ちを考えれば、これが一番正しいって私も分かるよ。でも……」
ギュッと俺の腹部に触れる文乃の手に力がこもるのに俺は気づく。
「やっぱり寂しいよ。パパもママも死んじゃって、そこに遊にぃまで居なくなっちゃうの」
「ごめんな」
文乃は俺の智に対する感情を知っている。そして智の兄貴に対する感情さえも。小さい頃から周りの人の顔色を窺って過ごしてきたせいか、他人の機微には少しばかり自信があるつもりだ。おそらく文乃のそれだろう。
「遊にぃ」
「ん?」
「……たまには帰ってきてね。私のために」
「……そうだな」
小さな声でお願いしてくる年頃の妹の手を優しく触れて、俺は安心させるように了承した。
年の離れた末の妹をついつい甘やかしてしまうのは、兄の性だろうか。文乃も俺たちが甘いって知ってるから、こういった甘えた行動をとるのかもしれない。そう考えると将来が心配になってくるな。
「遊にぃ」
「ん?」
「たぶんね、悠にぃはお姉ちゃんの気持ちには気づくことないよ」
「……かもな」
兄貴の智に対する感情は大事な妹ぐらいしかない。態度がそう見える。たぶん智自身もそれに気づいてる。
「悠にぃ。好きな人いるみたいだから」
「だろうな」
「誰か知ってる?」
「いや?」
恋は盲目というから、自分に対する好意には気づかないと思う。智がそれだ。おそらく兄貴もその可能性が高い。
「私知ってるよ」
「誰なんだ?」
「……言いたくない」
キュッと再び腕に力を入れる文乃の態度に、兄貴の想い人になんとなく予想がついた。
「そっか。ならこれ以上は訊かない。ほら、離れろ。動けないだろ」
「やだ」
さらに強く締め付けられる感触に、俺はしばらく文の気が済むまで動かずにいた。
ようやく気が済んだのか、離れてくれた文の頭を撫でてやり、俺は素早く荷物をいくつかのバッグに入れたあと、文と共に部屋を出た。
玄関で靴を履いていた俺に、リビングから顔を出してきた智に本当に出ていくのかって聞かれたとき、なんの事情も知らない智の顔が妙に腹立たしくて、無愛想に短く「あぁ」って言うしかなかった。
俺の気も知らないで、なんて理不尽な怒りを智に投げつける前に俺はそのまま家を飛び出した。
外に出てまず最初にするべきは、新居の鍵受け取りまでの期間内に寝泊まりする場所を確保することだ。ホストを辞めてまだ一ヶ月経ってないが、だからといって元客の部屋に転がり込むわけにもいかない。
俺は家から少し離れた脇道に入るとケータイを取り出して、電話帳から頭に浮かんだ相手の名前を検索してコールすることにした。
《なんだ、なにか用か?》
数コールで相手は応答してくれた。
「あ、史也さん。忙しいのに電話してしまってすいません。今時間良いですか?」
《それは構わないが、遊馬が俺に電話してくるなんて珍しいな》
「ちょっと困ってまして……」
俺の様子に何かしら気づいてくれたんだろうか、思いきって高校時代の先輩である遠藤史也さんに事情をかいつまんで話した。
《なるほど。相変わらず面倒な片想い続けてんのな》
「……余計なお世話です」
《あはは! ちげぇねぇわ。で、泊まるところ探してるって話だったな》
「はい。前に史也さん、いつでも泊まりに来ていいと言っていたのを思い出しまして」
《言ったなぁ。まさか五年以上経ってから言われるとは思わなかったな》
史也さんは懐かしそうに笑っている。
「鍵受け取りまでの数日間でいいんです」
《分かった。部屋は無駄に余ってるから、今から母さんに話つけとくから、家に行ってろ》
「ありがとうございます! 助かります!」
簡単な会話をその後に少し続けてから、俺はケータイの通話を切って史也さんの家へと向かうことにした。
史也さんの家は、徒歩十五分ほど先の住宅街にある一軒家だ。他の家より大きな豪邸と言われてもあながち間違っていない印象がある。表札に「遠藤」と書かれているのを確認してから、チャイムを鳴らすと、しばらくして女性の声が応答する。声で誰なのかすぐに分かった。
「樋口です」
《ああ、遊馬くんね。史也から聞いているわ。どうぞ入って》
自動で門が開くのを見て、相変わらず豪邸だな、と感心しつつ俺はすぐに中へと入って行った。
「いらっしゃい、遊馬くん。部屋は史也の隣でいいかしら?」
「急なお願いを聞いてくださってありがとうございます。数日間お邪魔しますので、その部屋で大丈夫です」
「良かったわ。史也帰ってくるの夜九時ぐらいだけど、自分の家だと思って過ごしてね」
朗らかな笑顔で迎えてくれた史也さんのお母さん、おばさんに俺はどこか癒しを感じつつも、用意された部屋へと向かった。
高校時代、よく遊びに越させてもらった史也さんの家。ある意味第二の実家なんて図々しく思うところもある。二歳年上の史也さんを兄のように慕っていた時期が懐かしい。
あの頃は少しでも家に居たくなくて、史也さんの家を逃げ場所にしていた。智の兄貴を見る目はおそらく、俺が中学の時から続いている。気づいたのは高校に入る前の受験生のときだったから、智の兄貴に対する想いも筋金入りだろうな。
グレることなく一応、全うに家族として振る舞えたのは、両親と史也さん家族のおかげかもしれない。
部屋に入って、俺は部屋の中をなんとなく見回す。五年以上経っても、この部屋は変わらない。綺麗に整頓された部屋。客間として使われている面から置かれている家具はそう多くはないが、それでも生活臭は感じられた。
荷物を置いて、俺は鞄からノートパソコンを引っ張り出して起動させる。メールボックスにあるメールの確認作業だ。
「こんなところか……」
メールにある仕事依頼の数は多くない。本格的に本職として活動を始めたのはごく最近だ。それまではホストをやりながら合間を縫っては副業として活動をしていた。一部にはそれなりに知名度はあるが、有名というほどではないので、軌道に乗るまでの間は地道な仕事をこなしながら知名度を上げ、生活面はホスト時代に築き上げた貯金が残っているから、そこから少しずつ使うとして、今やれることをやっておくことに越したことはない。
俺は改めて、気持ちを切り替えるように、手帳に仕事の打ち合わせや締切日を書き記した。