六話
合コンが始まって二時間ほど経った頃、そろそろ二次会会場へ行こうという流れになっていた。元々途中で帰るつもりだったので、二次会は不参加しようと思っていた。
トイレのために一旦席を外して、用を済ませてから時間確認しようとケータイを取り出したら、通知ランプが点滅していることに気づいた。
「ん、悠にぃ?」
通知は悠にぃからの「どこの店?」というメールだった。しかも一時間も前のメールだ。
「やば、連絡してくれたのに返信すんの忘れてた!」
慌ててメールで店の名前と場所を教える。
「でも悠にぃにしては珍しいなぁ」
いつもなら「気をつけて帰ってきなさい」とか「帰る頃に連絡して」というお兄さん独特のものが多いのに、今日にかぎっては心配する彼氏みたいな反応だ。
「もしかしてようやく私の魅力に気づいたのかな、なぁんてね。んなわけないない」
自分でも悠にぃから異性として意識されているとは悲しいかな、思えない。きっと単なるきまぐれだと思う。
トイレのドアを開けると、目の前に隣に座っていた髭チャラくんの姿があった。正直驚いて悲鳴上げそうになったけど、なんとか堪えた。私偉い。
「智海ちゃん、良かったら二人で抜けない?」
「……よく意味が分からないんだけど」
少なくとも髭チャラくんとは最初の会話から、ちゃんとした会話らしい会話はなかったと記憶している。
「俺、智海ちゃんのこと知りたいんだ。智海ちゃんにも俺を知ってほしい」
この人、酔ってんのかな。自分に。
ドラマとかでたまに見る展開に私は客観的な視点になる。
「ごめんなさい。兄弟に心配かけたくないから帰るの」
「ええ? 夜はこれからだよ。智海ちゃんももう大人じゃん。少しぐらい遅くなっても大丈夫だって」
その根拠はどこからくるのか謎だけど、名前も知らない人と一緒にいるほどの甲斐性は持ち合わせていない。
「本当にごめんなさい」
一応誠意を込めて頭を下げたのだけど、髭チャラくんは私の意思など微塵も気にしてないのか、まぁまぁ、とかよく分からないことを言って徐に私の肩を抱き寄せてきた。
「!」
瞬間、私の脳裏に十年ほど前の記憶が甦る。
五年生の時に感じた男の息遣いと肌の温かさ。それら全てが恐怖と嫌悪感で侵される。
「いやっ!」
悲鳴にも似た声で私は拒絶を示す。
私はあの日以来、成人の男性に背後から抱き締められることに恐怖と嫌悪感を抱いた。酷ければ真後ろに立たれるだけでも吐き気がすることもある。
「そんなに嫌がるなよ。俺達きっと相性いいぜ?」
耳元で囁かれる生暖かい息と声に恐怖が甦り鳥肌が立つ。全力で抵抗を試みても男女では力の差がありすぎた。
やだ。怖いっ!
悠にぃ!
お兄ちゃん!!
恐怖で涙が溢れ、私はそれでも必死で抵抗した。どんなに足掻いても、びくともしない。
気持ち悪い。
だれか!
咄嗟に目を閉じて最後の力を振り絞り、髭チャラくんの体を引き剥がそうとした。その時。
「なに触ってんだよ!」
聞き慣れた声と共に、自分の体が解放された感覚がした。驚いて目を開けた私の視界には床に腰をつき、腫れた頬に手を当てた髭チャラくんの姿が映った。
「俺の許可なしに、よく触れたな。クソガキ」
そう言って指を鳴らしている男の背中に、私は目を見開く。
だって、いるとは思わない。
来るなんて思ってなかった。
「遊にぃ……どうして」
その背中は間違いなく、私を他人だと言い切った遊にぃだった。高い身長に染められた明るい茶髪、そして無駄に整った顔。悠にぃはお義父さん似で、遊にぃは亡くなった元モデルのお母さん似だと、前にお義父さんが言っていた。
「智、怪我はないか?」
振り向いた遊にぃの心配げな声に私は、堪らず涙を流した。
「智⁉ 何かされたのか⁉ 今俺がアイツを絞めるから待ってろ」
「遊にぃのせいだよ!」
「……は?」
「遊にぃが家出てくから! 私を他人て言ったくせに助けるからぁっ」
「え⁉ 俺が泣かしてんのかよ⁉」
その場に座り込んで泣き続ける私の頭に手を置いて、ひたすらオロオロしたように私を宥めようとする遊にぃ。
遊にぃは、やっぱりお兄ちゃんなんだ。
あの時の言葉はきっと何かの間違いだったんだよ。じゃなきゃ、こんなところにいないし、助けてもくれないもん。
「で、なんで店にいたの?」
遊にぃが迎えに来た、という名目で店から出られることになった私は、遊にぃの車で本当に家まで送ってもらうことになった。車が発進したのを確認して私は本題を切り出す。
「兄貴から電話で、智が飲み会に行ったって聞いたからだよ。智が俺の晩酌に付き合ってくれて、それなりに強くなってるのは知ってるが、まだ若いからペース配分知らないで飲み続けて倒れかねなかったから、兄貴に迎えに行けって言ったんだよ」
運転しながら遊にぃは説明してくれる。遊にぃはホストをしていた経歴もあり、確かに顔は良いほうだと思う。だけど、それって黙ってればの話なのよね。口悪いし、女癖悪いし、軽いし、いい男の要素がこれっぽっちも浮かばない。
「でも迎えに来たの遊にぃじゃん」
「……いろいろあんだよ」
私が指摘すると、遊にぃはバツの悪そうな顔をして濁した。
家を出る前に珍しく悠にぃとケンカして以来、兄弟間に変な蟠りでもできたのかな。
車を走らせてほどなくした頃、ようやく家の前に着いた。ナビシートから降りると、遊にぃが運転席から顔を覗かせた。
「今日はシャワー浴びて早めに寝ろ」
「あれ、遊にぃ。家に入らないの?」
てっきり一緒に玄関に入るものだと思っていたから、遊にぃの言葉に疑問を投げかける。すると遊にぃは妙な間を開けてから、再び私を見た。
「悪いな、仕事残ってるから帰るわ。とにかく早く寝ろな。じゃ、また」
遊にぃはそれだけ告げると、私の返事も待たずに車を発進させた。ただ私は遊にぃの車が見えなくなるまで見送るしなかった。
長女は一旦こちらで止まりますが、まだ続きます。
またお付き合いいただけたらと思います。