二話
次男である遊にぃが家を出てから、すでに二週間が過ぎた。死んでしまったお母さんの代わりを私が担うことになり、講義の時間をやりくりしながら、掃除洗濯炊事をやる。私一人に負担をかけられないと、中学生の文乃が炊事を率先してくれたり、朝から講義の時は悠にぃが掃除や洗濯をしてくれたりと協力してくれる。
お母さんみたいに美味しいものを作れたらいいのだけど、なかなかうまくいかなくて。今更ながら、お母さんにちゃんと料理を教わっておくべきだったと後悔してる。
全てお母さんに任せていたツケなんだろうな。21にもなって、ろくに料理も作ったことないとか流石に女としてどうかと自分でも思う。
こんなのじゃ、いつまで経っても悠にぃに女性として見てもらえるわけない。お菓子だけなら自信あるんだけど。悠にぃに喜んで貰うためにいろいろ作ったりしていたから。ここにきて致命的な欠点を見つけるとは……。
「……」
私は目の前に広がる惨状に呆然とする。レシピ本を手に美味しい料理を作ろうとしたけど、キッチンはすでに魔の巣窟化としていた。
おかしいな。ちゃんと野菜洗って秤で重さを計ったし、皮だってピーラーという便利道具を使って剥いた。調味料だってちゃんと計ったし、水の量だって間違いはない。
なのに、なんでこの肉じゃがは焦げたのだろうか。ちゃんと時間だって確認していたのに。灰汁だって取ったのに。鍋からは醤油の香ばしい香りが漂っている。
「……」
まだ流し台には洗い物が山ほど残っている上に、溢した調味料も散乱している。自分がやったことだと分かっていても、これから鍋に焦げ付いたジャガイモや肉をひっぺがし、中を綺麗にしなければならない行程が待っていると思うと、眩暈がしてくる気がした。
「お姉ちゃん、私がやろうか?」
キッチンの惨状と途方にくれている私を見て、末っ子の文乃が気遣い気に声をかけてきた。文乃がやろうか、と聞いているのは洗い物の処理ではなく、間違いなく夕飯のおかずの調理のことだろう。
「ううん、私がやるわ」
ここは姉としての威厳もある。絶対に妹には任せない。
「でもお姉ちゃんがやると、材料がいくらあっても足りないし、その度に買い足してたらお金がなくなっちゃうよ」
ごもっともです。
くそぉ、年の離れた中学生の妹にここまで言われて反論できない自分が悔しい。
なんで同じ女で、同じくお母さんに任せきりにしていた文乃のほうが料理が上手いの?
「お姉ちゃんは頭固すぎるんだって。家庭料理なんかだいたいの分量さえ間違えなければ食べられるんだから。お菓子と違ってきっちり量る必要性無いんだよ」
ダイニングテーブルに置かれたエプロンをつけながら文乃がキッチンに入ってきた。
「あとは要領を掴めばそんなに難しくないと思うよ」
「その要領が掴めないんじゃない」
「味見とかしてる?」
「し、してる」
「してなかったね、その反応」
くぅっ。
妹にこんなにバカにされるなんて!
「いいじゃん。お姉ちゃんはお菓子担当で、私が料理担当で万事解決じゃん」
「私は料理も上手くなりたいの」
「……素質ないんじゃない?」
トドメを刺された。
でも私は諦めない!
悠にぃに「美味しいよ」て言われるまでは、悠にぃのお嫁さんになるためには!
あ、自分で言ってて恥ずかしくなってきた。火照る頬を隠すように両手を当てる。
「なに一人で百面相してるの、お姉ちゃん。気持ち悪い」
「う、うるさいな。とにかく、私が作るの」
文乃の冷たい発言にへこたれそうになりつつも、私は気持ちを切り替えて料理をしようと袖を捲る。
「お姉ちゃんはカレーライスとか目玉焼きぐらいしか作れないんだから、やめとこうよ」
それでも止めようとする文乃。
「スクランブルエッグとかハムエッグ、ベーコンエッグも作れるわ」
私だって料理はできるのよ。
「それ単に焼くだけだから料理とは言わない。せめて味噌汁とか煮魚とか煮物が出来てから料理できると言ってお姉ちゃん」
き、厳しい。
さっさと汚したもの片付けて、て指示されて姉の威厳を叩き割られた気分でいそいそと洗い物に手をつけることにした。その横で、文乃がテキパキと調理に必要な材料を手慣れた手つきでさばいていく。
女子力、完全に文乃に負けた気がする。
男の人はお菓子作れる女よりも料理ができる人を好むの聞く。あれだ、胃袋を掴むというやつだ。
ここでは文乃が断然有利と言えよう。
なんか悲しくなってきた。
「私だってママみたいに料理上手になりたいから勉強中。お姉ちゃんが私を羨ましがることないよ」
「それは嫌味なのかしら、文乃ちゃん?」
「ふふふ」
ニヤニヤ笑う文乃を見て私は思う。
絶対にバカにされてる。
文乃、余裕を見せていられるのも今のうちなんだからね。お姉ちゃんを甘く見てもらっては困るわ。いつか絶対にギャフンて言わせてやるんだから。
というよく分からない闘志を燃やして、私はまずは目の前にいる洗い物と闘うことにした。
結局は文乃が私の代わりに失敗した肉じゃがを作り直してくれた。テーブルに並べられた綺麗な色合いの肉じゃがとサラダ、味噌汁まで用意されている。帰宅した悠にぃが「旨そうだな」なんて嬉しそうに手を合わせているのを見て、私は静かに落ち込んだ。
挙げ句には……。
「旨い。文は良い嫁さんになるなぁ。ああ、今から悲しくなってきた」
「まだ中学生だし、相手もいないっつーの。相変わらずウザいなぁ悠にぃ」
「文乃、彼氏を連れてくるときは必ずお兄ちゃんに言うんだぞ? 見定めてやるから」
「結構だし。要らないし、鬱陶しい」
なんて会話を妹とするものだから、私は黙って食事してるしかなかった。文乃って、私より悠にぃと仲良いよね。羨ましい。
「私なんかより、お姉ちゃんのが先に嫁に行っちゃうじゃん」
とここで私の話題を出すのはやめて。絶対に悠にぃはいつものように言うんだ。
「たしかに。智、結婚式にはちゃんと招待してくれよ? お兄ちゃん楽しみにしてんだから」
ほら。言うと思った。しかもニコニコと悪意の欠片もない純粋な笑顔でさ。こっちの気も知らずにさ。
私は小さくため息をつく。
どうして悠にぃを好きになっちゃったんだろう。報われないかもしれないって分かってるのにさ。男なら他にもいるのに、どうしても悠にぃじゃないとダメな理由。
そうだ。あれは小学五年の時だ。