サクランボ
暑くてセミがミンミン鳴いてた日に、ボクとママは半袖のお洋服を着て、帽子を被っていつものように崖の上のレストランに向かう。
その日は、レストランの外でその人が待ってた。
白いシャツを着て腕を組んで、四角い黒い車によっかかってタバコを吸ってる。
いつもより何だかマジメくさった顔に見えた。
ママはトンネルの前のいつもの所に車を停めて、後ろのトランクから、大っきなカバンを一個だけ取りだした。
それからそれを抱えて歩き出して、ボクはその横をくっついてった。
その人が四角い車の扉を、ガラガラガラと横に開いた。
途中でママの足が止まった。
ボクはどうしたのかな、と思ってママの顔を見上げた。
するとその人が、ボク達の方にスタスタとやってきて、ママの抱えていた重たいカバンを取り上げた。
それから、あっ、と思ったら、次にはもうボクのことを、もう片っぽの手でひょいっと抱っこして歩いてた。
太い黒い腕で、車の後ろのシートに、ボクと大っきなカバンを降ろす。
ママはまだ、風に長い髪の毛とスカートを揺らして、さっきのとこに突っ立ったまんま。
紫色のアザの付いた顔を下に向けて、じっと突っ立ったまんま。
その人は、もう一度ママの方へ真っすぐ歩いてった。
それからママを、両手でしっかり抱きしめた。
ママの細っこい指が、その人の背中で白いシャツを握りしめるのを、ボクは車の中で見てたけど、多分、ママが泣いてるんだって分かったよ。
クリームソーダに沈んだサクランボ
ねえ、青レンジャー
白く濁ったグラスの中から
ママの腕を引っ張り上げて……
それからボクとママは、その人と一緒に、初めてトンネルの向こう側に行った。
それでそれきり、ママの車に戻ることは無かった。