現世: 復讐と儀式
▪️ーこれは先の未来。あるいは選択せし分岐。
夜が更け、辺りは霧に覆われ鬱蒼とした森は、様々な生き物が身を隠している。そんな中でぼんやりと光る教会は異質。恐怖に似たような不気味さがある。その教会で神父の天薙は祭室にある寝台に寝かされた少年に語りだした。
「これは物語の一片だ。魔王が存在し、勇者も存在する。幾年も繰り返される世界の中、魔王は暗闇に身を潜め、勇者は王国を築き王となり新たな力を手にした。やがて迎える終焉に王は魔王を追い詰める。追い詰められた魔王は王が持つ聖剣により魂が封印される。聖剣は魔王の胸に突き刺ささり、奈落の底に落ちていく。だが、これで終わりではなかった。聖剣を無くした元勇者の王。聖剣を手に入れた魔王の魂は時を新しくし幕を開ける……王が悪を葬る異能を身に宿し、魔王は新たな肉体を求める」
椅子に腰掛け儀式を見届ける母親。玖遠黎華その傍らでシスターのフィリアが寄り添っていた。
少年の名は玖遠刻夜、彼が寝かせられた寝台と祭壇の上には聖遺物である茨の冠を模した荊冠があり、至聖所の壁面に飾られた天使の石像が少年の胸に向かって剣を構えている。
「七ノ元徳。知恵・勇気・正義・希望・節制・信仰・愛。天は人に試練を与え統括し、七ノ大罪。傲慢・憤怒・怠惰・強欲・暴食・嫉妬・色欲。悪は人に自由を与える。刻を渡りて方舟は行く無情の理へ、我の内に眠りしヴァーチュズよ、少年に宿りし同胞を導き給へ」
この日、薄暗い礼拝堂で降霊術を用いた儀式が行われた。
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ーー時は少し遡る――。
とある昼下り、刻夜とその母親である黎華は商店が並ぶ街角の陽光届かない路地裏でぽつんと光る占い屋を見つけた。
占い師の老婆は囁くように細い声と手招きで二人を呼び止める。
黎華は拒む刻夜の握る手を振りきった。まるで人が変わったよう。
「帰ろうよ、母ちゃん。なんかあのお婆さん怖いよ。 ねぇねぇってばー行かないでよ、お母さん……」
占い師は語りかけた。
「そなたの心には綻びが見える。ここでないどこか。光あるいは闇、どちらでもない世界との楔、空間をつなぎとめる調律。この子もまた悲痛の呪いを宿しておるな。それならこの教会を訪れるといい。きっと助けになるだろう」
占い師の老婆は教会へ黎華を誘っては、闇に紛れる霊体のように姿を消した。その後、数秒遅れて黎華は自我を取り戻した。
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ーー時は儀式後に戻るーー。
儀式は無事に終えて経過観察。
応接間に場所は移された。
「そのうち刻夜君は目覚めます。安心して下さい」
天薙は優しげに黎華に話しかける。
「シスターフィリアあなたは礼拝堂の聖遺物の保管をお願いします。黎華さんも休憩室で休まれては」
「私も執務室の方にいますので、後はジュディスが刻夜君を見ていますので大丈夫ですよ」
ジュディスと呼ばれた老婆が黎華に寄り添う。
「これで楔は外れ解放されるよ。貴方もこの子もよう頑張った」
「心使い感謝しますジュディスさん。もう少し私は刻夜と一緒に」
「黎華さんは息子さん想いの優しい人です。だから、なおさら体調には気をつけてもらいたいんです。息子さんのためにもね」
電話のベルが奥の執務室から鳴り出した。
「すいません。離れます」
天薙が電話に出るや、陰気な表情を浮かべる。
反対に電話先の声は希望を見たそんな感じのようだ。
『天薙よ。儀式の方は順調かな』
「滞りなく儀式は成功しました。今は身体に多少の負荷があったようで、横になっておりますが、そのうち安定するかと」
『そうか、それでいい。一度経験のある君に任せて正解だ。ほんと良かった良かった』
「貴方からお褒めの言葉が聞けるとは、御堂神父」
『そんなかしこまらなくていい。頼んだのはこっちの方なんだ。それでだ、今度こっちの集会に参加してくれないか。その後で祝杯をあげよう』
『わかりました。その際には伺わせていただきます』
電話の向こうでは、神父が敬意を向けているように聞こえているのだろう。
『そうかそうか。では、後程連絡する。黒城の一件も過去にはあったから慎重にな。では、失礼する』
「はい失礼します」
神父は執務室のドアを開き応接間の黎華を手招きで呼ぶ。
「黎華さん少し話よろしいですか?」
「はい」
「今の状況に相応しくないかも知れませんが、息子さんの為ですので伝えておきますね。えーとですね。黎華さんはこの世界の他に別の世界があると思います?」
「天国とかですか?」
彼女の無垢な返答に少し戸惑ったのか、神父はこめかみ辺りを指でかくような仕草をする。
「えぇまぁ天国も我々には確かに存在しますが、ここと似たような他の世界も確かに存在する事を覚えておいて下さい。息子さんはいずれ必ず訪れる事になります」
「……そうなんですか」
唐突な話に気が抜けた返答をした彼女は、意味が分からないようだった。
あたりまえだ。この時の彼女にとって他の世界の話をしても不思議で根拠がない事柄だ。
老婆は執務室のドアを慌てたようにノックし告げた。
「神父。ルシフェル様がこの現世に再誕されたぞ!!」
神の御使いであり、大天使の長であったルシフェルの名を老婆は確かに言った。
「そうですか。すみませんが黎華さん。この部屋で待っていて下さい」
「何がどうしたんですか? 私も。ルシフェルって……」
「いいですか黎華さん。いいと言うまで開けないで下さい。こっちに入って来ないで下さい」
彼女、黎華は待ってろと言われおとなしく待っていられるはずもなく、気になりドアに身を寄せ耳を澄ませる。
少年の身体は黒いオーラに包まれながら上体を起こし立ち上がる。いや、立ち上がると言うのは正しくない。足裏を床に着けておらず、わずかに浮遊していたからだ。
これは手品ではない。人がなす現象ではない。
少年を中心に部屋は重く深い禍々しさが漂うそんな雰囲気に覆われていく。そして、少年は口を開き言葉を発した。
「妾をこの地に呼び出したのは……お前か」
黎華は応接間に響くように何度もドアを叩く。
『神父。天薙神父。何があったんですか! 私にも教えて下さい。私の刻夜に何があったんですか』
黎華はドアノブを回し、身体をぶつける。中から押さえていた老婆は倒れる。
「入ってきてはだめです黎華さん」
老婆は倒れながらも黎華を入らすまいと言い続ける。
その力も及ばず、黎華は目の当たりする。息子、刻夜の異質な光景を。
「大丈夫ですから落ち着いて下さい。刻夜君に降霊術した理由は一つ、彼の魂を呪われた運命から隔離し、生きる道を正すためなんです。これはただの過程です。呪われた運命を降霊した魂に移し変えるだけです。執務室の方に戻っていて下さい」
天薙はそう言い聞かし、改めて少年の姿を借りたルシフェルに敬意を示した。
老婆は崩れ落ちた彼女を慰めるように身を寄せる。
「畏れながら私のような者が名乗る事をお許しください。私は神父をしている天薙紅刃と言います。この度は転生おめでとうございます」
「貴様なのだな妾を呼んだのは。妾は神より追放されこの世を造り出したもの。ある者は妾を惑わしの魔王と呼び恐れ、ある者は知識と探求を求める神と崇拝する。妾は姿なきもの原初の竜と恐れ畏れられるものであり罪の象徴として人を造り出したもの。名をルシフェル。貴様の真意を問う」
「異世界とこの世界の変革、新たな神話の構築。その為に力添えを承りたく」
「人間ごとき神にでもなろうと言うのか。甚だしいな。妾を憑かせるならお前自信だったはず」
ーーやはり智天使といったところか、思考が早い。これ以上の計画を詮索されるとまずい。
「ルシフェル様のお能力は完全に覚醒を成されていないため、その人鎧にて力を蓄えていただきたく思っております」
「妾を謀っておるまいな」
「そんな滅相もありません。私は貴方と忠誠の儀を交わし、貴方が能力を行使できるその日まで、私は貴方の御心の僕となりましょう。人鎧に魂の定着、封印させていただきたく」
天薙は頭を下げつつ手元には先ほどの剣。(鞘から抜かれし黄金に光る炎剣)を空間から顕現させた。これまた現実世界ではあり得ない現象。その剣は炎を纏う。
その剣は戒め、転生したルシフェルを幾年も苦しめた聖遺物だ。
「どの時代でも世界を統べる者は王であり、王を討ち取る者も新たな王である」
「それはミカエルの剣か。貴様の真意は能力を手に入れる事にあるのだな。妾の能力を使って何をする。妾は堕天の王。妾の同胞すら能力を分け与えた存在。時に一つ根源たる妾。愚か、肉体が滅ぶリスクを恐れぬか人間」
黎華は天薙に問いかける。
「その剣で何するおつもりですか天薙神父」
「安心して下さい。息子さんは傷つきません。だから下がっていてください」
聖剣を構えた天薙は詠唱を唱えだす。
「黄金の炎を纏いし聖剣よ、邪気を喰らいて名誉を示せ、さすれば黎明の時訪れん」
「思い通りにさせてたまるものか。妾は王だ。人間ごときに何度も邪魔されてたまるものか。この人鎧……自由に動かん。何故にまた、人間風情がその剣を……あの時も魔女になり果てた女の身体にいた時もだ。なぜ、皆その剣を持つ」
天薙が詠唱を唱えると同時に剣とは違う所から蛇が這うように光る鎖が少年の両腕両足に巻き付きしめつけた。
この鎖は魔技による拘束。それにより動きを更に制限された少年に対し、天薙は嫌悪な表情で聖剣を手に勢いよく向かう。
今のルシフェルには成す統べない。意識だけの存在には能力を行使できない。聖剣は少年の胸を突き抜け、炎は少年の身体を優しく包み込む。
「どうしてあなたが私の前に……」
天薙の目の前には黎華の身体があった。
ルシフェルである息子を庇い入った黎華は共に聖剣に胸を貫かれていた。
「こんなはずではない。ルシフェルは封印されるだけで死ぬ事はないが、この子には害もない。勿論死ぬ事もない。君が庇う意味もない」
「やっぱり、この子の母親ですから……」
「そうか、この人鎧はこの女の子供だったか。なんてバカな親だ。この女も妾も神父の手のひらにいたと言うわけか。望み通りしばしこの人鎧で力を蓄えるとしよう。だが、妾を封印した事でお前もまた仮初めでも王の称号を手にしたわけだ。それも魔の王の称号をな……だが、妾の魔力が少年を支配した時、世界を変革する。貴様が妾を勝るにあたいするか見物だな。せいぜいその間は好きにしろ」
黎華から流れる血は、突き刺さった聖剣を伝って少年に取り込まれていく。聖剣もまた形を持たなくなっていった。
「黎華ーーー!!!」
天薙は大声で叫びながら血の滴る黎華を抱え込む。
室内を覆っていた黒い雰囲気は消失。
全てを見守った老婆は天薙に語る。
「気を落とされるでない。彼女の魂も神の御許に送られる」
「あぁ……」
天薙は狂ったように笑いを我慢しきれず、嘲笑いだす。
「そうか、そうだな。あの頃の俺は黒城に言われ異世界へ。あの教会には俺と親父以外に黎華が入るのを見ている。これがすべての始まり……そして時が満ち再びあの異世界に行く術を手に入れた。時を異世界でやり直す。いや違う。あの呪われた物語に終止符を打つ為に過去に干渉するんだ」
静まり返った室内にまた暗雲が立つ。天薙の身体を蝕むように闇が覆い尽くす。
「飲まれるな神父。このままだと暴走するぞ」
「くっそ! 大丈夫だ。異世界なら制御できるはず」
天薙を蝕む能力はルシフェルの持つ認識の改変が天薙の身体をすり抜け拡散し始める。
後にこの天薙の暴走した魔力によってオブリビオン・メモリーと呼ばれる大災害をもたらす事になる。
ーー黎華を殺めた。この手でだ。こんなはずではなかった。
空間の歪み。黎華は死の間際、無意識で異世界のゲートを開いていた。
皮肉にも天薙の身体から溢れた魔力が黎華の魔技を呼び起こしていた。
ーー計画に問題ない。少し早まっただけ……俺も勇者に憧れていた。黎華は俺の大事な人だ。なぜ、記憶がなくなり違う記憶を。おそらく元凶は黒城神父あいつのせいなんだ。
ルシフェルの認識の改変と黎華のゲートを通して天薙は黒いローブを纏い異世界へ時間を遡る。




