無題2―no title―(後編)
夜道を二人で歩く。
夏も終わりに差し掛かると、夜風は心地好く体をすり抜けていく。
「ありがとね」
隆祐がぽつりと言った。
「?」
「あんなに嬉しそうな母さん、久しぶりだった。佐久間さんのおかげだ」
「……」
しばらくの沈黙。
「ねえ」
隆祐が振り返る。
「私、誰かに似てるの?」
可南子の表情を思い出すと、聞いてはならない事のように感じたが、
「うん」
隆祐は嬉しそうに笑った。
「兄さんに、ね」
「……へ、ぇ……?」
――これは、失礼な話と言うものじゃないだろうか。
混乱する頭で考える。
――兄? 私ってそんな男っぽい? しかもオバさんも一目見て私と、その兄ってのをタブらせたみたいだし……?
「この人」
突然目の前に生徒手帳が広げられた。
中に知らない男が笑っている写真が挟まっている。
「……あんた、ブラコン?」
思わず聞いてしまう。
隆祐は戸惑い、照れたように笑って、
「……かな?」
頭を掻いた。
「……ああ、そう」
もう何も言う気にならない。
「憧れてたんだ。生き方とか、考え方とか。俺には無いものをいっぱい持ってた」
悠子は先程の写真を思い出す。日に焼けた肌、鍛えた体でにかりと笑う姿と、自分の何が似ているのか解らない。
「……もう、五年会ってない」
隆祐の言葉にぎくりと身を固める。
隆祐があまりにも明るく話すので、勘違いだったかと思っていたのだが、やはり侑子の考えは当たっていた。
隆祐の表情は暗く、淋しそうに笑っている。街灯が乏しい夜の道では、さらに暗く感じた。
「中東で戦争があったよね。……それから、しばらくしてかな。自分の目で見て来るって、家を飛び出して」
「……」
「それから音信普通。生きてるのか……死んでるのかも分からない」
風が吹く。先ほどと変わらぬ風のはずなのに、今はやけに冷たく感じる。
「俺も母さんも占いが好きで、そんな俺たちを見て兄さんは良く言ったんだ」
ばっかじゃねーの、って。
悠子はぴくりと反応する。
「自分が歩いてるより前に、道は無いんだって、自分が歩いた場所……過ごした時間が人生で、占いなんか意味無いんだって」
「……それ」
隆祐がにっこり笑う。
「いつか、佐久間さんが俺に言った言葉に似てるでしょ」
「……うん」
――そうか。
悠子は納得する。
――そういうタイプの人だったんだ。お兄さん。
そりゃ、中東に飛び立つたりするくらいだもんね。
「俺も母さんも、日本人や、他の国の人が人質になる度に、兄さんもどこかで殺されてるんじゃないかって怖くて不安で……兄さんが父親代わりみたいなモノだったし」
侑子は隆祐が母子家庭だったと悟る。
「たまらなく不安だから、兄さんの前向きな言葉を聞きたくて、でも兄さんは居ないから。だからあの時、思い切って声をかけた。……佐久間さんなら言ってくれそうな気がして」
「ばっかじゃないのって?」
「うん。前向きな、何かを……」
「……なんで」
「そう思ったかって?」
侑子は頷く。
隆祐は考えるように遠くを見つめた。
「最初に見た時から、なんだか雰囲気が兄さんと似てるなって思ったんだ。強い意志を持って、自分を信じてるっていうか……それに」
「それに?」
隆祐が侑子に向く。
「陸上部の奴らに誘われて困ってた時、言ってくれたよね、覚えてない?」
「……ああ」
走る意味を見い出せないと言った隆祐と、それに怒った陸上部員の遣り取りを、たまたま廊下で耳にした侑子は思わず言ってしまっていたのだ。
――走る意味が分からないって言うんだから、走る必要ないし、誘わなくていいじゃない。それがコイツの意見で、意思で、アンタ達がとやかく言うことじゃ無いでしょ!
「言った。確かに。……あれがお兄さんに似てた?」
隆祐が頷く。
「五年も経って、兄さんの生存を絶望視してきて、どうしても救われる言葉が欲しかったんだ。佐久間さんなら、兄さんみたいなこと……また言ってくれるかなって」
「それで、ウンメーとかシュクメーとか。……私ってそういうの嫌いに見えた?」
「うん」
「……」
侑子は息を吐く。
「……じゃあ、これも言ってあげる」
隆祐は視線をはずすことなく、言葉を待つ。
「いーい。まだお兄さんの遺体を見た訳でも無いのに、絶望視なんてするのがそもそも間違ってるのよ。家族なんだから、信じて待ってなくてどうするの?」
「うん」
隆祐は嬉しそうに笑う。
「お兄さんは、生きてるから。絶対」
「うん」
「お兄さんが私に似てるんなら、絶対ぜったい、しぶとく生きてるから」
「うん」
薄暗い道の上でも、隆祐の目が濡れているように見えたが、侑子はそれ以上何も言わなかった。
◇◇◇
隆祐は駅についても別れることなく、侑子の家が見える所まで送って来ていた。
「何もココまで来なくていいのに……」
侑子はぶつぶつと文句をたれる。
「佐久間さんに何かあったら、俺が母さんに殺されるから」
ぼんやりしながらもハッキリした口調で、隆祐はここまで乗り切った。やはり可南子と母子なんだと侑子はしみじみ思う。
「俺が、兄さんと同じこと言うクラスメイトが居るって言った時、久しぶりに母さんが嬉しそうに笑ったんだ。だから家に来て欲しくて……。無理言ってごめん、今日はホントにありがとう」
珍しく、明るい優しい笑顔を真正面から受けて、侑子は少し顔をそらす。
「……別に。いいけどさ。ご飯美味しかったし」
「ホントに!」
さらに輝いた隆祐の笑顔が近づく。
「じゃ、また来てくれる?」
「……え」
「絶対、母さん喜ぶから」
「……ああ、うん」
反射的に頷いてしまっていた。
「やった。じゃあ、また!」
隆祐はいい土産話ができたと思ったのだろう、軽い足取りで去って行く。
「……ああー……なんだか、しまった……」
侑子は、隆祐どころかその母親までも、長い付き合いになる気がしていた。