通夜の夜と来訪と
今、隣の部屋で、事が終わるのをひたすら待っている。
それは、とても長く、まるで何時間も待たされたような気がした。
二人とも、無言だった。
「2時になった、戻ろう。」
やっと、長い長い1時間が過ぎた。
ほっとしたような、怖いような。
部屋に戻って、いったい俺は、何を見るのか?
部屋の中は、ほとんど変わっていなかった。
供えられた花。
祭壇。
消えたままの線香。
変わっていたのは、棺の中にあるはずのお祖母ちゃんの遺体が、無くなっていた事。
お祖母ちゃんが着ていた白い着物が、ぐしゃっと棺の中に残されていた事。
文月は、無言のまま、棺の蓋を閉めた。
俺は、ただ文月を見ていただけだった。
ドンドン!
「何方か、いらっしゃいませんか?!」
?!◎%※#?!!!!
突然、響き渡る女の声。
俺達が、どれだけ驚いたか、解っていただけるだろうか?
ええ。
少しだけ…ほんの少しだけ、お漏らししてしまいましたとも。
文月も驚いた表情を浮かべている。
俺達は、ビクビクしながら玄関に向かった。
「ど、どちら様ですか?」
もう、恐る恐るである。
「綾さんは、いらっしゃいますか?」
!!
文月は、玄関扉を開けた。
そこには、小さな赤ちゃんを抱いた若い女性が立っていた。
ジーンズ生地のワンピースに不安げな表情を浮かべ、白いおくるみに包まれた赤ちゃんを大事そうに抱いている。
「あの、綾さんは?」
「母は…1ヶ月前に亡くなりました。」
「そんな…。」
女性は、今にもへたり込んでしまいそうだ。
「あ、貴方は綾さんの息子さんですか?」
「はい。」
「だったら、助けてくださいっ!お願いです!」
その女性の、あまりに必死な訴えに、追い返す事ができなくなってしまった。
「とりあえず、お話を聞かせて下さい。」
「私は、小野 理沙と申します。」
「息子の、遠藤 文月です。」
「子供の頃から、入退院を繰り返していました。
退院しても、部屋から出る事はあまり無くて。
窓から外を覗く私に、いつも手を振ってくれる人がいました。
それが、綾さんでした。
10歳の時にとても長い入院をして、子供心にもう家には戻れないのだと悟って居た私の元に綾さんが、お見舞いに来てくれたんです。
綾さんは、私に赤くて丸い手鏡を見せながら言いました。
"お願い事を言ってごらん。"と。
私は?生きていたいと言いました。
すると、鏡の中から声が聞こえてきたんです。
"寿命を十年貸しましょうや…その代わり、いつか産まれるそなたの娘をもらい受けまする。
娘が、産まれて五日目に迎えに伺いまする故。"
今日で、5日目。
そして、もうすぐ10年が経ちます。」
横に居る文月を伺い見る。
どうするんだ?
何もできない、守ってもらうしかないと文月自身が言っていたのだ。
文月は、固い表情で、小野 理沙に抱かれる産まれたばかりの赤ちゃんを見つめていた。
「ちょっと、待ってて下さい。」
文月は、勢い良く立ち上がり、部屋をですかと思うと、分厚い革の表紙の手帳を持って戻ってきた。
「文月、何?ソレ?」
「母さんが残した手帳。」
おお!秘伝書的な?!
文月は、必死の形相でページをめくる。
「は、早くしないと来ちゃうよっ!!」
「ん?来るって?」
「いや、だから!」
「えー!ここに来んの?!赤ちゃんを取りに?!」
小野 理沙の表情が、一層曇る。
あわわ、ゴメンナサイ!
「場所は関係無い。この人が居る所に来る。」
文月が、また部屋を出て、今度はタオルと紐を持って来た。
「隼!これで赤ちゃんをっぽいモノ作って!」
「えー?!わ、わかった!」
「すみません、その、おくるみ貸して下さい!」
「は、はい!」
「え~っと、筆!あと、墨、墨、墨!」
お祖母ちゃんが持ってたはず!
そう思い、あちこちの引き出しを開けまくった結果。
「文月、スマン。これしか…。」
「筆ペンかぁ…しょうがない。」
文月は、筆ペンで、赤ちゃんの額に"無"と書いた。
そして、赤ちゃんもどきの顔には、大きく"男"と書き込む。
それを、おくるみに包んで、小野 理沙に渡す。
「赤ちゃんは、後の座布団の上に寝かせて、これ抱っこして。」
「はい!」
「貴方が、産んだのは、男の子!良いですね!」
「は、はい。わかりました。」
"ごめんくださいまし。"
来た…?!
本当に来た!!
家の外に居るはずなのに、まるで側に居るように聞こえる甲高い男の声。
緊張した表情で、大きく深呼吸する文月。
「どうぞ、お入り下さい。」
それは、突然現れた。
おくるみに包んだ人形を抱く小野 理沙のすぐ後。
頭から、歌舞伎の黒子のような頭巾を被り、黒い着物を着た男が立っていた。
頭巾で、表情はおろか、顔が全く見えない。
それが余計に不気味だった。
逃げ出したい。
正直、そう思った。
必死に抑える。
今、逃げ出したら格好悪すぎる。
"今こそ、約束をはたしてもらいましょうや。"
「その約束なのですが。」
文月の方が、免疫がある分落ち着いている。
「少々、手違いがありまして。」
"手違い、とな。"
胃にかかる威圧感が増した。
「産まれた子が、男でございました。」
"なんと…。"
アレ?動揺…してる?
"おかしや。おかしや。女のはずじゃ。おかしや。おかしや。おかしや。おかしや。おかしや。おかしや。おかしや。おかしや。おかしや。おかしや。"
同じ言葉を壊れたように繰り返しながら、上半身だけが左右に揺れている。
ううっ…怖い怖い怖い怖い!
「もしかしたら、次に産まれる子が女だったのかも知れません。」
文月の一言に、ピッタっと動きが止まる。
くるり、と上半身だけが回り、文月から小野 理沙へと視線を向ける。
小野 理沙は、一歩も引かなかった。
ありったけの勇気を振り絞り、対峙しようとしているのがわかる。
その姿は、神々さすら漂わせていた。
視線を合わせたまま、じりじりとした時間が過ぎる。
実際には、一瞬の出来事だったのだろうが。
"ぬしにもう一度、10年の寿命を貸そう。
次こそ女が産まれるであろうや。そして、今度こそ我が嫁に…。"
え?
えーっ?!
嫁ぇー!!!
てっきり、食べてしまうとか、グロい事を考えていた俺は、拍子抜けというか、ほっとしたというか。
チラッと文月を伺い見ると、驚きで目を見開いていた。
ははは。
そりゃびっくりするよな。
"では、またその時にぬしを訪ねるとしょう。"
消えた。
まるで、ろうそくをふっ…と吹き消すように。
そのとたん、彼女は、へたり込んだ。
ああぁ!ああぁ!ああぁ!
部屋に響き渡る、力強い新生児特有の声。
彼女は、はっと我に返り、急いで抱き上げた。
女の人は強いなぁ。
「私にこの子と居られる10年をありがとう。」
そう言った彼女と赤ちゃんは、まるで絵のように美しかった。
女性に泣きながらお礼を言われた事など初めてで、
何を言えばいいのか解らなかった俺は、
「いえ。良かったですね。」しか、言えなかった。
文月も、長い間考えて絞り出した言葉が、
「どういたしまして。」だったので、俺と同類と思われる。
ぷぷぷぷ。
顔に男と書かれた気持ち悪い赤ちゃんもどきから、おくるみをひっぺがし、彼女に返した。
「あの、ここまでどうやって?」
「車です。だから大丈夫です。」
彼女の笑顔は、晴れやかだった。
玄関から、出て行こうとする彼女に文月が声をかける。
「あ、あのっ!」
「10年後、また待ってます。それと、女の子が産まれた時も。それまでには、もうちょっとスキルアップしてますから…たぶん…。」
文月は、苦笑いで、二人を見送った。
俺は、晴れ晴れしてたけど。
そして今度は、俺達がへたり込んだ。
「つ、疲れたぁー!!」
「文月!お前やるじゃん!」
「いや、アレが大人しかったのは、あかずの間に居るもんのおかげだよ。」
「そうなのか?なぁ、文月。結局アレは、何だったんだ?嫁探ししてたの?」
「嫁には、びっくりしたな。でも、考えるのは止めた方がいい。考えても、答え出ないから。アレらは、ああいうモノ。俺は、そう思う事にしてる。
何か解った所で出来る事は、何もないから。」
何か、達観してるな。
この、いとこの目にはどういう世界が見えているのだろうか?
知りたいような…知りたくないような。
再び、お祖母ちゃんの棺と祭壇が置かれた部屋に戻った。
部屋の真ん中にぽつんと座る小さくて丸い塊。
「卯月!」
ふわふわ天使ヘアーが振り向いて、にぱっと笑う。
文月に抱き上げられ、嬉しそうに手足をバタバタ動かしている。
「なぁ、文月。コレ、どうすんの?」
それは、もちろん空っぽの棺の事だ。
「火葬場の主人は、お祖母ちゃんの古くからの友人らしい。話は、通ってる。」
おお。なんか抜かりないな。
「他の従業員に気付かれるとマズいから、火葬場に持ち込まれたペットの死体を棺に詰めて…。」
えっ?!まてまてまて!
「どうかなぁ…それ人として、どうかなぁ。」
ペット及びペットの飼い主さん、ゴメンナサイ。
その後、中々眠ろうとしない卯月をあやしながら、朝を待った。
ここまでが、5日前に俺の回りで起こった出来事。
そして今日、"筆屋"のペンネームでネットに投稿する。
つづきは、また、直ぐにでも。
それでは、また。