「その恋は、××エンドの色だった」
「お兄ちゃん、おじょうずだねぇ」
いつもの公園で、真剣に絵を描いていた。
そんなとある日、後ろから少し舌足らずなソプラノが聞こえ、意識を戻して振り返る。
そこには、小さな小さな女の子がいた。
見た目からして、5・6歳くらいだろうか。
「こんにちはお嬢ちゃん、この絵、うまいかい?」
「うん! おじょーず!」
「はは、ありがとう」
小さい子の飾り気のない言葉を、素直に受け取る。
すると後ろの方から「絵美子!」という、少し焦った色を感じさせる女性の声が響いた。
再び振り返ると、こちらに慌てて向かってくる一人の女性。
想像に容易いが、この子の母親なのだろう。
「もう! この子ったら、ごめんなさいねお邪魔して」
「ああ、いえいえ。 大丈夫ですよ、お母さん」
「お兄ちゃん、おなまえは?」
「こら!」
自分と母親が話していると、女の子、もとい絵美子はマイペースで話を振ってくる。
その様子に苦笑いをしつつ、彼女と目線を合わせるべく、膝を屈めた。
「俺は、絵衣人だよ。 よろしくね、絵美子ちゃん」
「なんか絵美子とおなまえ似てるね」
「はは、響きがなんとなく似てるかもねぇ」
「絵美子はね、漢字?で書くとお絵かきに美しい?子どもなんだって!」
「へぇ、俺はお絵かきに衣の人って書いて、絵衣人だよ」
「お絵かきが同じだ!」
「そうだね、おそろい」
ほんわかした会話をしてると、上からクスクスと声が聞こえる。
屈んだままで見上げると、少し笑っている母親の姿があった。
「可愛いお名前ですね」
「あー、普通は瑛に人とかで"瑛人"とかですよねぇ」
「いえいえ、将来は画家にでも?」
「・・・まあ」
「ならご両親は先見の明があったんでしょうね」
「そんなんじゃないですよ、単に"瑛人"だと誕生日に対して画数が不幸とかなんとか?らしくて、こんな当て字にされただけで」
母親とそんな話をしていると、袖をグイっと引っ張られる。
その方向を見てみれば、少しむくれている絵美子。
「絵美子とあそんで!」
「こら!」
「いいよ、お絵かきでもする?」
「えぇ、いいのよ絵衣人くん・・・!」
「大丈夫です、張り合い相手が欲しかったんで」
そう笑いながら、予備のスケッチブックを貸してあげた。
彼女は嬉しそうに受け取ると、一緒に予備で持ってきていた(少し高めの)クレヨンで意気揚々と絵を描き出す。
そうしてこれが、日常になった。
一年が経ち、三年が経ち、五年、十年。
少女はどんどん大人になり、翻って自分は歳を重ねていく。
そうして気づけば、自分は34歳、彼女は22歳になっていた。
自分に影響されたとかで、絵美子も絵の道に興味を持ち、美大へと通っている。
そんな妹的な存在だった彼女を、最初に意識したのは彼女が19歳の時だった。
いつもの公園、いつもと同じように並んで絵を描く。
ふと、絵美子にこの構図はどうだろうかと意見を聞こうと彼女を見やった。
そこには、真剣な眼差しをした、見慣れているはずなのに初めて見たような、大人びた顔がある。
どきり、とした。
しかしすぐに現実に返り、何を考えたと自分を叱咤する。
そうして深呼吸をして、何食わぬ顔をして彼女に意見を求めたのだった。
そんな事が何度も繰り返され、その度に自分を罵倒したし、意識しないようにしたが意味はなく。
結果、絵美子を諦める前提で気持ちを受け入れ、何食わぬ顔をして傍に居続ける事にした。
そう、想うだけで何もしない。
いつか彼女は歳が近い素敵な男性と出会い、恋をし、愛を知る。
そうして結ばれた彼女の幸せだけを、願うだけ。
それだけなら、許してほしい。
まるで懺悔にも似た気持ちで、想いを抱えながら生きてきた。
そんなある日、だった。
「絵衣ちゃん、私たち付き合おう?」
「・・・は、」
いつのように公園で、絵を描いていた。
慣れた静寂の中で放たれた、衝撃の一言に筆を止め、それを落とす。
「・・・なに馬鹿なこと言ってるの、おじさんはお子様に興味はありません」
震えるな声、頼むから。
そう叱咤激励をしながら、ようやく拒む言葉をやんわりと吐いた。
「半分は噓なの知ってる」
しかし、彼女が素早く反撃をする。
嘘と言われて、不覚にも肩が震えた。
「お子様に興味ないのは本当でも、私のこと好きなのは知ってるもん」
「そりゃ、妹みたいな存在としては好きだよ」
「違うよ、知ってるもん。 絵衣ちゃん、私を見る時、たまに好きな子に向ける男の子の顔してる」
「・・・は、」
「私、そういうのには目ざといから」
図星を突かれて、また呼吸が止まった。
待て、自分はずっと"何食わぬ顔"をしていたはずだ、いつ、そんな顔をしたんだろう。
「・・・駄目だ」
いや、そんな事は今はどうでもいい。
バレてしまっている以上、今ここで後悔してもなんの役にも立たない。
だから、はっきりと断るしかないのだ。
「・・・なんでっ? 私もう大人だよ?付き合えるよ!?」
「いいか、俺とお前の歳の差、いくつだと思ってる。 12歳、干支一回り分だぞ」
「だから何!? 好き合ってるならいいじゃん!」
「良くない、世間の目はそんな甘くない」
「世間と私たちと何か関係ある!? そんなの気にしてても意味ないじゃん!」
嗚呼、やはり彼女はまだ子供だ。
世間の厳しさも目の色が変わる事でどう見られるかも、まるで分かってない。
「俺と一緒になったら、少なからずとも世間から腫れ物扱いされる。
お前は自分たちが幸せならいいって思ってるだろうが、それは"メリーバッドエンド"ってやつだ。 ・・・俺は、好きな女には"ハッピーエンド"になってほしいんだよ」
スケッチブックを片付けて、立ち上がる。
絵美子はまだ色々と言いたい顔をしているが、言葉が見つからないのか、口を開いては閉じてを繰り返していた。
「俺は確かにお前のことが好きだ、好きになってしまった。 だけどな、お前の人生に今以上、入り込むつもりはない」
そう告げて、足早にその場を後にした。
流石にここまで拒絶すれば、曲がりなりにも二十歳は過ぎているのだから理解をして、諦めてくれるだろう。
「・・・ねぇ、絵衣人くん。 絵美子ちゃんと結婚するって本当?」
「・・・はい?」
そう、思っていた。
しかし次の日の正午、近くのコンビニまで絵を描くためのお供を買いに行く道中、近所の仲のいい奥様たちからそう問われて固まる。
「そ、れはどうしてこうして、そうなって・・・?」
「絵美子ちゃんが昨日の夕方くらいから、"絵衣ちゃんと結婚するから!"って触れ回ってるのよ、知らなかった?」
「・・・~~~っ!?」
どうやら、彼女は頑固というか強引というか。
自分たちの交際を"ハッピーエンド"にするために、とんでもない強硬手段を実力行使していたようだった。
雷に撃たれるとは、この事を言うのだろうか。
絵衣人は頭を抱えてしゃがみ込み、奥様たちに心配される。
「とにかく、あの・・・結婚はしませんし、付き合ってもいませんのでっ」
ただ、そう言うだけで精いっぱいだった。
そうして思う、これではきっとただのいたちごっこにしかならない、と。
(このままじゃ、駄目だ・・・)
何食わぬ顔で傍に居られればいいと思っていた、あの子の幸せを一番近くで願いながら。
しかしそれも許されない事態になったらしい、これはバレてしまっていた自分の失態だ。
このまま近くに居続ければ、きっと絵美子は諦めない。
なら、心理的にも物理的にも、距離を取ってしまおう、それしかない。
絵衣人はそう決断して、決意して。
踵を返し、すぐに行動すべく、準備に取り掛かる事にした。
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「絵衣ちゃんがいない!!!」
そうして、あの告白から一ヵ月が経った明くる日の事。
絵美子は自宅のリビングで大声を出しながら、泣き叫んでいた。
しばらく公園へ行っても彼が来る事がなかった、気まずいのかもしれないと絵美子もしばらくは彼を待った。
けれど一ヵ月を過ぎても公園に来ない彼に怒りを覚え、その感情のまま突撃をする。
そうして、彼が借りていた一部屋がもぬけの殻になっていた事を知りえたのだ。
泣き叫ぶそんな我が子を見て、両親は心配をしつつも、どうしたものかと困っている。
実のところ、両親は彼がいなくなった理由と、どこへ行ったのかを知っていたからだ。
遡る事、一週間。
絵美子が大学へ行っている間の日中、父親は在宅で仕事をしており、その日は母親も仕事は休みだった。
父親の休み時間を見計らって、絵衣人が家を訪ねて来たのだ。
無論、話の内容はここ最近の絵美子による「絵衣ちゃんと結婚する」発言について。
しかし彼は、自分の心中についても語った。
「俺はあの子が好きです。
でも幸せになってほしいから一緒になる気はありません、そして俺のためにあの子が自分を犠牲するくらいなら、俺があの子の前から消えます」
そう、絵美子が好きだと告白したのだ。
同時に、身を引くという決意も。
自分を犠牲という言葉の意味は、おそらく絵美子自身がどんな色眼鏡で見られても構わないという、今の行動の事だろう。
「・・・何処へ行くんだい?」
「そう、ですね。 英語はそんな得意じゃないんで、日本人街があるらしいタイへ、とりあえずは」
乾いた笑いをしながら、絵衣人は告げる。
そうして「ご迷惑をおかけしますが、絵美子さんのフォローよろしくお願いいたします」と頭を下げて、彼は出て行った。
そして、今に至るわけで。
父親は泣きじゃくる絵美子を見ながら、ひとつ息を吐いて。
「絵衣人くんのことは忘れなさい、それがお互いのためだ」
と、短く告げた。
その言葉にピタリと泣き止んだと思えば、絵美子は父親を睨んだ。
「私の"ため"を勝手に決めつけないで!!」
そう叫んで、リビングから出て行き、今度は自室へ籠った。
昔から思い決めた事に関しては一直線が美徳な我が子、しかし今回はどう説得したものかと両親は思い悩んだ。
一方、絵美子は自室のベッドで泣きじゃくりながら、昔を少し思い出していた。
二十歳になるかならないかあたりだったろうか、変に彼がたまにギクシャクと自分に接する時がある事に気づく。
そこから少しずつ観察していくと、時折、こちらを見るとある表情にも気づいた。
(あ・・・)
知っている、これは好きな相手に向ける顔だ。
つまり、彼は自分の事が好き、なんだと感じた。
そうして観察していく中で、彼がその気持ちに葛藤している事にも気が付く。
どうやら年下趣味とかではなく、純粋に自分の事が好きなのだろうと思い至った。
(絵衣ちゃんと付き合う・・・)
ぼんやりと想像してみる、劇的な変化はないだろうが、そこに恋人らしいスキンシップが加わって。
デートをして、好きだと愛の言葉を囁かれて、ハグやキスをして。
「・・・悪くないかも」
部屋で一人、そんな気持ちを馳せた。
様子を観察し続けている日々の中で、ふざけて彼に背後から抱き着いて、耳元で「絵衣人」と呼んでやった日がある。
すると彼は頬を赤らめてジトッとした顔をしながら「やめなさい」と、牽制の色が強い注意をした。
(か、かわいっ・・・!)
その顔があまりにも幼い子供のようで可愛らしく、思わず胸が高まる。
けれどすぐに何事もなかったかのように絵を描き始める彼、今度はそれをじっと見た。
先ほどとは打って変わって、真剣で、真摯な顔。
本気が見て取れるその顔色に、別の意味でまた胸が高まった。
(うん、私、絵衣ちゃんが好きだ)
もちろん、昔から好きだった。
兄のような存在として、その"好き"の意味合いが変わっただけ。
(絵衣ちゃんからは告白し辛いだろうから、私からしよう)
そうすれば、彼と付き合える。
これからの日々の色が、別の色に変わって、きっと楽しい。
その時は、明るい未来に思いを描いていた。
ところが、現実はどうだ。
両想いなのに告白をしたら拒絶され、あまつさえ何処かへ姿を消した。
「・・・許せない」
勿論、世間の目とやらを変えようと強硬手段に出た自分にも非がある事は分かっている。
だが問答無用でいなくなるのは、あまりにもあんまりではないか。
「絶対に見つけてやる・・・!」
未だに流れてくる大粒の涙を拭って、ベッドから起き上がり、ノートパソコンを開く。
何か、少しでもいい。
情報を探してやる、見つけてやる。
絵美子は執念に満ちた目で、キーボードの指を動かした。
絵衣人と離れて半年後、色々と準備を整えつつ、彼を探す日々。
「お父さんお母さん! 今すぐタイまで行ってくるから!!」
そうしてその日々に、絵美子は終止符を打った。
リビングでお茶を飲んでいた両親は、絵美子の宣言にお茶を吹き出す。
「どうして分かったんだ・・・!?」
次いで、タイに行くという事は絵美子が絵衣人の居場所を掴んだという事だ。
こちらからはヒントすら与えていなかったのに、見つけ出した娘に驚きを示す。
「絵衣ちゃんがやってる講座動画を見つけたの!
背景がなかなか映らなくて苦労したけどっ、一動画に特徴的な家具が少し映りこんだから画像検索とAI使って居場所掴んでやった!!」
両親の問いかけに絵美子が半ば叫ぶように答えると「今の子、恐ろしいな・・・」と、父親は思わず漏らしてしまった。
続いて、絵美子から父親へ睨みが飛ぶ。
「"どうして分かったんだ"って言ったねお父さん、つまり絵衣ちゃんの居場所を知ってたんだ?」
「う・・・」
「知ってて、教えてくれなかったんだねお母さん?」
「・・・・・・」
父親と母親に問い詰めると、二人は口ごもる。
しかしそれを構わないと言わんばかりに、絵美子は玄関ドアへと向かった。
「待ちなさい、絵美子!」
「待った! 半年も待った!!」
「絵衣人くんの気持ちも考えなさいっ」
「じゃあ私の気持ちは!?」
ぐるりと、勢いよく両親を振り返る。
その顔は今にも泣きだしそうな、怒りだしそうな顔で。
「どうせ"私のためを思って身を引いた"とか言うんでしょう!? 分かってるよ、分かりたくないけど!」
「絵美子っ、お前もいい大人になっただろう? だったら少しでも聞き分けが良くなりなさい!」
「いや!!」
父親の言い分を、叫んで拒否をする。
その瞬間、目から涙がボロボロと零れた。
「現実を受け入れて諦めるのが大人なら、私は現実を変えようと足掻く子供でいい!」
最後にそう叫んで、彼女は家から飛び出して行った。
残された両親は絵美子が去った方向をぼんやりと見ながら、深いため息を吐く。
「・・・・・・誰に似たんだ、あの頑固さは」
「あなたでしょうね」
「・・・お前も大概だろ」
そんな投げやりなやり取りをして、ひとまずは遠い異国にいる彼に絵美子を託した。
同時に、迷惑をかけて申し訳ないという謝罪も一緒に。
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「あー、今日も空が青いなぁ・・・」
彼女の傍を離れて、早半年。
ぽっかり穴が空いた日々に慣れてきた、彼女の事は片時も忘れた事はないが。
「怒ってるよなぁ、・・・でもそろそろ諦めた頃合いか?」
傍らに飾ってある、二人で映っている写真を見ながら悲しい笑みをする。
諦められていたら、次は忘れるだけだ。
そうして思い出になって、次の恋を探していてほしい。
「あー・・・」
幸せになってほしい、でも忘れてほしくない。
正反対な気持ちを抱きながら、椅子にもたれかかって仰向けになる。
(女々しい上に未練タラタラで、・・・・・・すげぇ重いな俺)
いい歳した男が、情けない。
などと自嘲していたら、いきなり扉がドンドンと叩かれた。
「なんだ・・・?」
別にご近所トラブルなどは起こしていなかったが、と思いながら席を立つ。
こんなセンチメンタルな時に面倒事は勘弁してくれと思いながら、扉を開けた、直後。
「はぐっ・・・!?」
腹部と胸部あたりに、強い衝撃が。
家の中へ押し戻されるように強引に押し入られ、扉がバタンと閉まる音が聞こえる。
「いでで・・・」
ついでに、上手く受け身が取れなかったので頭も打った。
痛みに耐えながら、誰だと瞳を開けて人物を確認しようとする。
「え・・・」
そこには、瞳いっぱいに涙を溜めた、顔を真っ赤にして怒った顔をしている絵美子がいた。
なんでここに、どうやって、いやもしかして夢?
しかしズキズキと痛む体が夢ではなく現実だと、自分に教えてくる。
「なん、で・・・」
カラカラになった喉で、かすれた声で、短い問いかけがやっと出た。
そしてその問いかけが火種になったかのように、彼女は顔をさらに怒りに染める。
「私は! 私が好きなものを!私を好きなものを!私から絶対に逃がさないの!!」
答えになっているような、いないような。
怒り泣きながら、叫ぶように絵美子は言った。
「ん・・・!?」
そして息継ぐ暇もなく、視界いっぱいに絵美子の顔。
唇には、小さくて、やわらかくて、温かい、彼女のそれが合わさっていた。
「えみ、こ・・・!?」
「んっ・・・!」
驚いて一瞬だけ唇が離れた際に名前を呼んだら、その隙を狙うように再度、重ねられる。
小さな舌が、自分の口内に入ってきた。
驚いて彼女を引き離そうとするも、どこにそんな力があるのかと思わんばかりに自分の顔から手を離してくれない。
いや、動揺し過ぎてこちらの力が入らないのか。
そうして彼女と口づけを交わす事、数分。
ようやく満足したのか、絵美子は唇を解放してくれた。
「結婚して」
絵美子はそう言うと、持っていたカバンの中身をドサッと地面に落とす。
その中から取り出したのは、婚姻届とひとつの指輪だった。
「は、はは・・・」
いや、何のために自分はここまで。
世間の目は甘くないと言っただろう、と悶々(もんもん)と考えが巡る。
しかし、それを通り越したら思わず笑ってしまった。
きっとここまで追いかけてきた彼女に何を言っても、諭しても、無駄なのだと否が応でも分かる。
そして、それが嬉しくてたまらない自分がいるのも、また事実。
様々な思いに困惑している絵衣人、だが絵美子はそれを気にしないと言わんばかりに、彼の左手の薬指に指輪を嵌めた。
「ん、ぴったり」
そう言って、左手に頬を寄せる。
その顔はまた、今まで見た事のない女の顔だ。
「・・・お前、すごいな」
「当然でしょ、逃がさない」
「・・・そもそもどうして分かった」
「講座動画から辿ってタイにいるって分かったの、あとは現地聞き込み」
「ストーカーかよ・・・」
「知ってる」
ジロッと、また顔の色を変えて絵美子は言う。
女性の顔から子供のような顔になり、彼女の未熟な部分を、不完全な部分を見ている気分だった。
嗚呼、でもきっと。
彼女の気持ちは、完熟な人になっていて、完全なのだろうと悟る。
「・・・絵美子」
「なに?」
「・・・好きだよ、ごめんな」
「その"ごめん"はなに? いなくなってごめんなら受け取るけど、好きになってごめんなら要らないから」
「・・・うん、勝手にいなくなってごめん」
「帰ってきてくれるなら、許す」
そう言って、もう一度。
今度は穏やかな口づけを交わす、まるでこれがファーストキスだと言われたように感じた。
(もう、きっとこいつにとっては何を言ってもくだらないことなんだろうな)
口づけを交わす中で、そんな事を考える。
何度も躊躇していた腕は、自然と彼女の背中に回り、自分の方へ引き寄せていた。
自分の諦める色を、彼女は諦めない色で塗りつぶした。
その恋は、ハッピーエンドの色だった。




