灰色のフーガ
二十三歳の朝は二十二歳の夜の続きから始まった。この街にある精神科病院、その閉鎖病棟の固く閉ざされた扉の内側で私は新しい年を迎えた。窓の外で新しい時代への期待が囁かれ始めた頃、私の時間は色のない時代で完全に停止していた。
病棟での一日は厳格なまでの規則性を持って静かにそして容赦なく繰り返された。
午前六時起床。薄暗い廊下に看護師の足音と鍵束の擦れる金属音だけが響く。まるで眠っている囚人を起こして回る看守のようだ。私は重い鉛の鎧を無理やり引き剥がされるようにしてベッドから身体を起こす。身体が自分のものとは思えないほど重い。思考も感情も昨夜飲まされた薬のせいで濃い霧に覆われている。
洗面所で鏡に映る自分を見る。目の下には深い隈が刻まれ肌は血の気を失って青白い。髪はぼさぼさで生気のない瞳をした知らない女がそこに立っていた。首筋にはあの手術の痕が薄紫色の線となって私が「かつての私」ではないことを静かに主張していた。
朝食は大きなテーブルがいくつか並んだ食堂で他の患者たちと一緒に摂る。メニューは栄養バランスだけを考えられた味気ないものだった。米味噌汁焼き魚申し訳程度の漬物。私はそれを砂を噛むようにゆっくりと時間をかけて胃に流し込んだ。美味しいとも不味いとも感じない。ただ生きるために必要な作業として。
食堂には様々な患者がいた。虚空に向かって何かを呟き続けている老婆。食事をスプーンでただかき混ぜているだけの若い女性。時折奇声を発しては看護師に宥められている中年の男性。私は彼らと目を合わせることはなかった。彼らもまた私のことなど見てはいなかった。私たちは同じ空間にいながらそれぞれが自分だけの決して交わることのない閉じた世界の中に生きていた。
食事の後朝の服薬の時間。看護師が一人ひとりの名前を呼び小さなプラスチックのカップに入った数種類の錠剤と水の入ったコップを手渡す。私はそれを言われるがままに飲み下した。これが私の脳を正常に保つためのお守り。あるいは私を私でなくすための毒。そのどちらなのか当時の私にはわからなかった。
午前中は自由時間と名のついた空白の時間だった。テレビが置かれた談話室で一日中ぼんやりとワイドショーを眺めている者。病棟内の短い廊下を目的もなくただ行ったり来たりしている者。私は大抵自分のベッドに戻りカーテンを閉め切って再び眠りに落ちようと試みた。眠っている間だけが唯一何も考えなくて済む救いの時間だったからだ。
週に数回「作業療法」という時間があった。革細工編み物塗り絵。指先を使うことで脳を活性化させリハビリに繋げるというのが目的らしい。私はただ無心で塗り絵の決められた枠の中を色鉛筆で塗りつぶしていく。赤青黄色。しかし私の目にはそのどれもが同じ灰色の濃淡にしか見えなかった。
世界は色を失っていた。
喜びも悲しみも怒りさえも感じることができない。ただ巨大な灰色の虚無感が私の心を支配していた。主治医はそれを「感情の平板化」と呼んだ。うつ病の典型的な症状の一つだと。
私の人生はまるで壊れたレコードのように同じフレーズをただ延々と繰り返すだけの灰色のフーガ(遁走曲)になってしまっていた。




