時限爆弾
あの日以来私の日常は時限爆弾を抱えながら生きているような薄氷を踏むような日々に変わっていた。
太陽が昇ることが怖かった。新しい一日が始まるということはあの夜の記憶がまた一つ鮮明になることと同義だったからだ。鏡を見るのが怖かった。そこに映る自分の顔が汚れて壊れて見えたからだ。眠るのが怖かった。悪夢にうなされるか、あるいは束の間忘れていた罪悪感が夜明けと共に何倍にもなって襲いかかってくるからだ。
大学へ行けばあの夜の男たちと顔を合わせる。彼らは私を見ると気まずそうに目を逸らすかあるいはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべた。その視線がナイフのように私の皮膚を切り裂いた。彼らにとってあれはただの一夜の火遊びだったのかもしれない。しかし私にとっては人生を破壊した一夜だった。私は彼らの視界にすら入りたくなくて常に俯き誰とも目を合わせずに過ごした。まるで透明人間になったかのように気配を消して教室の隅で息を潜めていた。講義の内容など全く頭に入ってこなかった。ただ時間が過ぎるのを石のように待つだけだった。
そして夜。パソコンの前に座り仮想世界へログインする。ここにも私の罪を知る者がいる。Kentoだ。彼はあの日以来何事もなかったかのように私に接してきた。
「奏さん昨日はログインしてなかったんですね。心配しましたよ」
ボイスチャットから聞こえるいつもと変わらない冷静な声。その声を聞くたびに私は吐き気を催した。あの夜私を貪っていた男の声と画面の向こうから聞こえてくる声が頭の中で混じり合い私を混乱させた。彼は何を考えているのだろう。私を嘲笑っているのだろうか。それともあの夜のことなど忘れてしまったのだろうか。
私は彼とまともに会話することができずボイスチャットをオフにして文字だけのチャットで当たり障りのない返事を返すのが精一杯だった。「体調が悪くて」と嘘をついて。画面の中で彼のアバターが近づいてくるだけで動悸がした。
一番辛かったのは佐藤先輩との時間だった。
彼は何も知らない。私が犯した罪を何も知らずにいつものように私に愛を囁く。毎晩のビデオ通話。画面越しの彼の笑顔が私の罪悪感を容赦なく抉った。彼の優しさが私には針のように痛かった。
「奏の声が聞きたいな。どうして最近ボイスチャットオフにしてるんだ?風邪まだ治らないのか?」
その無邪気な問いかけが鋭いナイフのように私の胸を貫いた。あなたの愛するその声の持ち主はもうあなたの知っている清らかな彼女ではないのだと叫びだしたかった。あなたの知らない場所で汚されてしまったのだと。しかし言えるはずがない。この秘密が私たちの楽園を破壊する時限爆弾だということを私は知っていたからだ。言った瞬間この脆い幸福はガラスのように砕け散るのだ。
私は必死に嘘をつき続けた。「うんまだ喉が痛くて…」「マイクの調子が悪いのかな」。そんな子供騙しの嘘を彼はいつまで信じてくれるだろう。彼の顔にほんの僅かな疑念の色が浮かぶだけで私の心臓は凍りついた。
爆弾のタイマーの音は日を追うごとに大きくそして早くなっているように感じられた。カチ、カチ、カチ…。その幻聴が私の耳から離れない。眠っていてもその音で目が覚める。私の心は常に張り詰めいつ破裂するともわからない恐怖に怯えていた。
食欲はなかった。何を食べても砂を噛むような味しかしない。体重は見る見るうちに落ちていった。夜は眠れず隈は深くなるばかりだった。鏡の中の私はまるで亡霊のようだった。
彼に会うのが怖かった。月一の祝祭の日が近づくたびに私は理由をつけてそれを引き延ばそうとした。「課題が忙しくて」「風邪が治らなくて」。嘘をつくたびに罪悪感は雪だるまのように膨れ上がっていった。
それでも彼は優しかった。「無理するなよ」「ちゃんと休めよ」と。その優しさが私をさらに苦しめた。
いつまでこの嘘を続けられるのだろう。
いつこの爆弾は爆発するのだろう。
Kentoが彼に話すのではないか。
あの夜の他の男たちが噂を広めるのではないか。
あるいは私の態度から彼がすべてを察してしまうのではないか。
疑心暗鬼。私の心は誰一人信じられなくなっていた。
街を歩けばすれ違う人々の囁き声が私の悪口を言っているように聞こえた。大学の友人たちの何気ない視線も私を値踏みしているように感じられた。世界中が私の罪を知っていて私を指弾している。そんな妄想に取り憑かれていた。
私は壊れかけていた。
完璧だったはずの楽園はもはや存在しなかった。そこにあったのは嘘と恐怖と罪悪感で塗り固められた張りぼての城。その城壁は日増しに薄くなりいつ崩れ落ちてもおかしくない状態だった。私はただその崩壊の瞬間を息を殺して待つことしかできなかった。審判の時は刻一刻と近づいていた。




