金色の檻
私の新しい人生が始まった。
それは全てが佐藤先輩という太陽の周りを公転する、名前のない惑星のようだった。
彼という絶対的な引力に導かれ、私はただ、その軌道をなぞるだけの存在。
彼の手助けのおかげで大学の履修登録や新生活の準備は瞬く間に整った。
夢にまで見た音楽大学でのキャンパスライフ。
真新しい校舎、最新の設備、そして音楽を志す若者たちの熱気。
しかし入学式の喧騒の中でさえ私の心はそこにはなかった。
期待よりも不安が、希望よりも孤独が、じわりと胸を侵食していた。
講義には真面目に出席した。
席はいつも一番後ろの隅。
誰とも目を合わせず、ただひたすらノートを取る。
発声練習も楽典の授業も真剣に受けた。
けれどそれは義務感だけだった。
響子先生との、あの、魂を燃やすようなレッスンとは違う。
ここでは誰も、私の「声」そのものを見てはくれない。
ただ、決められたカリキュラムをこなすだけの、無味乾燥な時間。
何よりも私を打ちのめしたのは周囲の才能豊かな同級生たちの存在だった。
彼らはまるで違う星の生き物のようだった。
幼い頃から当たり前のようにピアノやヴァイオリンに触れ、絶対音感を持ち、外国語でオペラのアリアを口ずさむ。
その技術も知識も、十七歳まで故郷の小さな音楽室でしか世界を知らなかった私とは、絶望的なまでに、次元が違った。
十七歳のあの冬、響子先生に叩き込まれた基礎が、ここでは「最低限の常識」でしかなかったことを思い知らされた。
私は井戸の底から這い上がり、ようやく地上に出たと思った。
しかしそこは、私にはあまりにも広すぎる、巨人の国だったのかもしれない。
彼らにとって私は「声は綺麗かもしれないが、基礎が全くできていない田舎者」でしかなかった。
誰も口には出さない。けれどその視線や態度が雄弁に語っていた。
好奇と、侮蔑と、そして無関心。
その全てが私を透明人間のように扱った。
彼らの輪の中に入ろうとする気力もなかった。
何を話せばいいのかわからない。
彼らが熱心に語る有名な指揮者の名前も、最新のオペラの上演記録も、私には呪文のように聞こえた。
それでも私は必死だった。
食らいつかなければ。
この場所で、彼にふさわしい存在でなければ。
その一心だけが私を突き動かしていた。
図書館に籠り、朝から晩まで楽譜を読み漁った。
誰もいない練習室で、喉が潰れるまで発声練習を繰り返した。
でもそれは全て彼に認められるため。
彼に褒めてもらうため。
彼に「すごいな、奏」と言ってもらう、ただその一瞬のためだけに。
音楽そのものへの純粋な喜びは、もうどこかへ消え失せていた。
友人とも呼べる存在は作らなかった。
いや作れなかった。
周りの学生たちは皆輝いて見えた。
新歓コンパ、サークル活動、アルバイト、そして新しい道標。
私にはそのどれもが眩しすぎて、目を細めることしかできなかった。
私には健太先輩に裏切られたあの深い傷がまだ生々しく疼いていた。
もう二度と、誰かに心を許して、傷つくのはごめんだ。
そして何よりも私には佐藤先輩がいればそれでよかった。
他の人間関係など必要ない。
彼だけが私の世界の全てであり、私の価値を証明してくれる唯一の存在なのだから。
そう本気で思っていた。
いや、そう思い込もうと必死だったのかもしれない。
この圧倒的な孤独から目をそらすために。




