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『再生のシンフォニア』  作者: ロングアイランド
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アレグロ・コン・ブリオ

あの春。私の完璧だったはずの設計図は、体育館のけたたましい喧騒の中で、音もなく、粉々に砕け散った。


県立海峰かいほう高等学校。

海沿いを走るローカル線の車窓から見える、見慣れた故郷の田園風景に別れを告げ、私が自分の意志で選び取った、未来への第一歩。真新しいブレザーの袖は、まだ私の肌に馴染まなかったが、心だけは、未来への期待で、ちりちりと熱を持っていた。


体育館で行われた部活動紹介。私は、パンフレットを握りしめ、ただ一つの文字を探していた。

「合唱部」あるいは「声楽部」。

しかし、いくら目を凝らしても、その文字は、紙面のどこにも見当たらなかった。


「……ない」


声に出したつもりはなかったが、隣に座ったクラスメイトが「何が?」と怪訝な顔で私を見た。

頭が、真っ白になる。全身の血が、さあっと引いていく。ステージの上で、吹奏楽部が華やかなファンファーレを演奏しているが、その音は、まるで分厚いガラスの向こう側のように、遠く、現実感を失っていた。


嘘だ。何かの間違いだ。

放課後、私は、職員室前の廊下に張り出された部活動の一覧表に、ほとんど顔を擦り付けるようにして、食らいついた。震える指先が、紙の上を何度も、何度も、往復する。

やはり、ない。

私の「声」を、私のすべてを、受け止めてくれる場所が、この学校には、存在しない。


私は、どうすればいい?

この、使い道のない「声」という武器を抱えて、三年間、どう生きろというのか。

じわりと、目の奥が熱くなる。

屋上へと続く階段の踊り場で、私は膝を抱えてうずくまった。窓の外で、入学を祝うように咲き誇っていた桜が、無慈悲な風に、はかなく散っていく。それは、私の脆い期待そのものだった。


その時だ。

どこからか、音が聞こえた。

一つのメロディーを奏でているようで、それでいて、まだ調和しきれていない、荒削りな響き。

特別棟の三階、あの、部活動紹介で、ステージにいた、吹奏楽部。


正直、興味はなかった。楽器なんて、リコーダーくらいしか触ったことがない。

それでも、その音は、目的を失って空っぽになった私の心に、不思議と強く響いた。

それは、悲鳴のようにも、あるいは、産声のようにも聞こえた。

私は、何かに導かれるように立ち上がり、その音が鳴り響く音楽室へ、吸寄せられるように、歩き始めた。


音楽室の重い扉を、おそるおそる開ける。

その瞬間、むっとするような熱気と、金属と木と油が混じり合った独特の匂い、そして、鼓膜を直接揺さぶる音の洪水に襲われた。

「もしかして、見学?一年生?」

ショートカットが似合う、快活そうな二年生の田中先輩が、声をかけてくれた。

「あの、声楽部が…なくて…」

しどろもどろに話す私に、「ああ、そうなんだ。うち、ないもんねー」とあっけらかんと笑い、「でも、吹奏楽も楽しいよ!歌うのも楽器吹くのも、息を使うのは一緒だし!」と続けた。その屈託のない笑顔に、少しだけ心が軽くなった。


部屋の奥へと促され、私は、一つの楽器に目を奪われた。

黒く艶やかな管体、複雑に配置された銀色のキー。

それを、一人の女子生徒が、まるで身体の一部のように操り、流れるような、温かく、柔らかく、どこか人間の声に似たメロディーを奏でていた。

特に、その高音は、澄み切っていて、まるでソプラノ歌手のようだ。

「あれは、クラリネット。木管楽器の女王様だよ」

「……きれい」

もし、私がここで何かを始めるなら、これしかない。私の心は、決まっていた。

数日後、私は、震える手で、正式に入部届を提出した。


しかし、現実は甘くなかった。

希望通り、クラリネットパートに配属され、初めて手に取った楽器はずっしりと重かった。マウスピースにリードという葦の薄い板を装着し、恐る恐る息を吹き込む。

返ってきたのは、「プピーッ!」という、けたたましい、苦しむアヒルのような悲鳴だけだった。

もう一度、強く吹く。「ググッ…ピギャア!」

周りの先輩たちが、くすくすと笑う気配がする。顔が、かあっと熱くなった。

歌なら、生まれつき得意だった。誰に教わるでもなく、私は自分の声をコントロールできた。

しかし、この黒い管は、私の言うことを全く聞いてくれない。息を吹き込む角度、唇の締め方(アンブシュア、というらしい)、指の押さえ方。全てが未知の世界だった。


来る日も来る日も、練習は「ロングトーン」という、ただ一つの音をできるだけ長く、美しく伸ばすという地味な基礎練習の繰り返し。音楽室の隅で、メトロノームの無機質な音に合わせて、ひたすら「ソー」の音を伸ばし続ける。

唇はすぐに痺れ、音は無残に裏返る。

「望月さん、もっとお腹から息を出して!」

パートリーダーの、あの、美しい音色を奏でる三年生の佐藤先輩から、容赦ない声が飛ぶ。彼女の出す音はどこまでも滑らかで、豊かなのに、それに比べて、私の音はなんと薄っぺらいのだろう。

自分の不甲斐なさに、何度も涙がこぼれそうになった。私の武器だった「声」は、ここでは何の役にも立たない。


それでも、辞めなかった。

何百回、何千回と繰り返す中で、ほんの一瞬だけ、自分がイメージした通りの、まろやかで温かい音が出ることがあったからだ。

それは、自分の声で歌うのとは違う、ゼロから「音」という生命を、自分の力で作り上げる、新しい種類の喜びに満ちていた。

息を吸い、腹筋で支え、唇を震わせ、楽器という媒体を通して、それを「音」に変える。

それは、新しい呼吸の仕方を、学ぶようなものだった。


梅雨に入り、夏のコンクールに向けた練習が本格化すると、私は、新しい「現実」に直面した。

クラリネットパートの一年生は、私を含めて四人。おっとりしているが芯の強い鈴木さん、少し不器用だが誰よりも真面目な高橋さん、そして中学でも吹奏楽部だった経験者で私たちを引っ張ってくれる渡辺さん。

私たちは、いつも一緒だった。

練習でうまく吹けずに落ち込んでいると、鈴木さんが「大丈夫だよ、私もさっきすごい音が出た」と笑わせてくれる。高橋さんは、私が苦手な指使いを、自分の練習時間を割いて根気強く教えてくれた。渡辺さんは、経験者だからといって偉ぶることなく、いつも「一緒に頑張ろう」と励ましてくれた。

それは、私が今まで生きてきた世界とは、全く違う価値観だった。

放送部や合唱では、私の「声」は常にソロだった。際立つこと、評価されること、それが全てだった。

しかし、吹奏楽では、一人が目立ちすぎると、全体のハーモニーが崩れてしまう。求められるのは、調和だった。


ある日の合奏練習で、顧問の鈴木先生が指揮棒を止めて言った。

「お前たちは、一人で音楽をやってるんじゃない。隣の人の音を聴け。前の人の音を聴け。自分のパートだけじゃなく、全く違う楽器の音も聴け。オーケストラ全体で、一つの大きな呼吸をするんだ」

その言葉は、私の胸に深く突き刺さった。一つの大きな呼吸。今まで、自分の呼吸のことしか考えてこなかった。


練習後、パートの四人で音楽室の隅に残り、一つのメロディーをユニゾンで吹いてみた。

最初はバラバラだった。渡辺さんのリードする音に、私たちが必死に合わせようとするが、音程も、音色も、噛み合わない。

「もう一回!」「息、合わせていこう!」

何度も、何度も、繰り返す。

すると、その瞬間が、訪れた。

渡辺さんの音に、鈴木さんの柔らかい音が寄り添い、高橋さんの真っ直ぐな音がそれを支え、そして、私の、まだ拙い音が、その隙間を埋めるように、溶け込んだ。

ピッチが、合った。

私たちの四本のクラリネットから放たれた音は、まるで一本の楽器から鳴っているかのように、豊かに、美しく響き渡った。

「「「「……すごい」」」」

誰からともなく、感嘆の声が漏れた。

一人で出す音とは、全く違う。温かくて、深みがあって、どこまでも飛んでいきそうな、力強い音。

これが、アンサンブル。これが、仲間と音楽を創るということ。


私は、この時初めて、吹奏楽部に入ってよかったと、心の底から思った。

声楽部がなかったことへの絶望は、いつの間にか、この、新しい世界への扉を開くための、必然だったのかもしれないとさえ感じられた。

私の名前は、望月奏。私の自慢は、きれいな声。その事実は変わらない。

でも、今の私には、それだけじゃない。

私には、共に音楽を奏でる仲間がいる。そして、クラリネットという、新しい「声」がある。

十五歳の梅雨空の下で、私は一人ではなくなっていた。夏のコンクールという、最初の試練に向けて、私たちの、新しい呼吸が、始まったばかりだった。

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