表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『再生のシンフォニア』  作者: ロングアイランド
13/50

綻び始めたハーモニー

四月。

音楽室の重い扉が、新しい風を招き入れた。

希望に目を輝かせる新入生や、まだ不安げに俯く新入生。私たちの部にも新しい音が加わる季節が来た。

クラリネットパートにも、中学時代の私を彷彿とさせる、少し緊張気味の可愛い後輩が二人入ってきた。

私は、去年の自分を鮮明に思い出していた。

あの絶望と緊張の中で震える手で開けた、この扉。

その私が、今や彼女たちを導くパートリーダーなのだ。


「望月先輩の音、すごく綺麗です…!」


初めて四人でのパート練習を終えた日。後輩の一人が、頬を上気させながら私にそう言った。

胸が熱くなった。

アンブシュアの作り方やロングトーンの大切さ。教えるという行為は想像以上に難しく、自分の感覚を言葉にして伝えることにはもどかしさがあった。

しかし、その一言で、すべてが報われた気がした。

私はここにいてもいいのだ。

私にはここで、やるべき役割があるのだ。

佐藤先輩が私にしてくれたように。

その充実感が、私という存在の「幹」を、太く、強くしていくのを感じていた。


しかし、その幹が陽の光に向かって懸命に枝を伸ばそうとすればするほど、私のもう半分の「根」は、冷たい闇に蝕まれていった。

私の心のもう半分を占めていた、健太先輩との関係。

その和音は、明らかにきしみ始めていた。


「受験勉強が、大変なんだ」


部活に顔を出しても、すぐに帰ってしまう。

メールの返信も、以前よりずっと遅く、素気ないものになった。

「お疲れ様」「頑張って」。

そんな単語が並ぶだけ。

私もそれを信じようとした。

三年生なのだから当たり前のことだ。

寂しいなんて言って、彼の邪魔をしてはいけない。

私は「聞き分けのいい、彼女」でいなければならない。

そう、自分に言い聞かせた。


でも、彼の態度はそれだけでは説明がつかなかった。

たまに廊下ですれ違う。

私が「あ」と声をかけようとする前に、彼はふいと目を逸らす。

部室で二人きりになる瞬間があった。

私がそっと彼の制服の袖に触れようとすると、彼はまるで何かに驚いたかのように、微かに身体を引いた。

その小さな、しかし明確な拒絶の仕草。

それが私の心の柔らかな部分を、じわじわと冷たく凍らせていった。

私に、触れたくないの?


ある日の放課後。

彼が部活に来なかったので、心配になって三年生の教室を覗きに行った。

しかし、彼の姿はもうなかった。

「あれ、伊藤なら、さっきA組の鹿島と、楽しそうに帰ったぞ」

たまたま通りかかった彼のクラスメイトの男子が、悪気なくそう教えてくれた。


A組の、鹿島。


私の知らない名前だった。

その単語が私の鼓膜を通過した瞬間、心臓が氷水で掴まれたように縮み上がった。

全身の血の気が引いていく。


楽しそうに、帰った…?


私にはあんなに疲れた顔しか見せないのに?

私には触れることさえ避けるのに?

他の女の子とは、「楽しそうに」?


黒い嫉妬と不安の渦が、私の頭の中をかき乱した。

どんな子だろう。

可愛いんだろうか。

いつから?

私がパートリーダーだなんて浮かれていた、あの時から?

私とのメールを面倒くさそうに返していたあの時、彼はその子と笑い合っていたの?


その夜、彼から「ごめん、疲れて寝てた」と短いメールが来た。

白々しい、と思った。

その嘘が私を切りつけた。

私は震える指で、「そっか、お疲れ様」とだけ返信するのが精一杯だった。


本当は問い詰めたかった。

A組の鹿島って、誰なの?

私に嘘をついているの?


でも、聞けなかった。

もし本当のことを聞かされてしまったら?

もし「もう、好きじゃない」と、言われてしまったら?

もし「あの子の方が、いい」と、言われてしまったら?

このかろうじて保たれている穏やかな関係が、粉々に壊れてしまうのが怖かった。


私は、気づかないふりをすることを選んだ。

疑う心に無理やり蓋をした。

「聞き分けのいい、彼女」の仮面を貼り付けた。

いつものように「頑張って」と、笑顔の絵文字を送った。

しかし私の指先は、氷のように冷たかった。

私たちの間に響き始めたその不協和音は、もう私の耳を塞いでも、消すことができないほど大きく鳴り響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ