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北部侯爵夫人シリーズ

結婚相手の従妹から敵対視されてますが、何を言われようと私が妻なので

作者: えんどう豆


※前作「結婚相手の幼馴染から敵対視されてますが〜」の続編となります


寒さ厳しい北の大地へと嫁いできた少女、シェルリス。

一年中雪の降り積もるそこは、彼女にとってさながら異国の地であった。


しかし、どんなに過酷な環境にも彼女が挫けることはない。


貴族として生まれ、そして春の加護を持つシェルリスはよくよく理解しているのだ。

己の価値と、己に課された役目を――。




シェルリスと北部侯爵スニルヴァンが結婚して、約半年。

まだまだ寒さに慣れないシェルリスは、外から帰って来るや否や、談話室の暖炉前へと飛び込んだ。

今は北部侯爵夫人の重要な仕事の一つである、春の儀式を終えて帰って来たところだ。


儀式は室内で行われることもあるが、今回は北部侯爵領内にある最北の森にて執り行われた。

最北の森は、北部内でも特に気温の低い場所だ。

数時間に渡って儀式を行ったシェルリスは、体の芯まで冷え切っていた。


というのも、春の加護を持つシェルリスは、冬の加護の恩恵を受けられないことが原因だ。


春の国において唯一の寒冷地帯である北部。

北部は冬の加護によって守られており、北部で暮らす者には寒さへの耐性が与えられる。

けれど、春の加護を持つ者にはほとんど効果がない。


春の加護を持つ者……つまり北部侯爵夫人は、この地ではただ力を搾取されるのみ。

それは公然の事実であり、シェルリスも承知の上で北部侯爵家へと嫁いできた。


寒さへの耐性がないシェルリスは、外に出る際はできる限りの防寒を行っている。

耳当てのついた帽子、厚手のコート、更にはその上から毛皮のコート、手袋と靴下に、ドレスの下には毛糸のパンツ。

もこもこ装備は寒さから身を守ってくれるけれど、重たく、動きにくいのが難点である。


コート類を脱いで身軽になったシェルリスは、暖炉に手をかざして一息つく。

その様子を見たスニルヴァンが、侍女にホットミルクを持ってくるよう指示を出した。


すると、侍女と入れ替わるようにして、ひょこりと一人の女が現れた。




「あぁ、可哀想にっ……!」




女はシェルリスに駆け寄り、ぎゅっと無遠慮に抱き付いた。

シェルリスよりも背が高いため、シェルリスの顔は女の胸元に押し付けられ、潰れてしまっている。



「まだ北部の寒さに慣れないのね。そんなんじゃこの先やっていくのも大変でしょう。こんなに可愛い子が震えてるの、見てられないわ」


「んむ……イエニカ様、くるしいです……」



イエニカと呼ばれた女は、数日前から侯爵邸に滞在しているスニルヴァンの従妹だ。

滞在の名目は、北部侯爵夫人(シェルリス)への挨拶と親族間交流である。


彼女は侯爵家へ来た初日からこんな調子であった。

シェルリスのことを可愛いと言い、まるで幼子を相手にするかのように抱き締め、頭を撫でる。

北部の暮らしは大変だろう、可哀想に、と大袈裟なほどに心配をする。


一見するとシェルリスを気遣う行為だが、シェルリスはそれらの好意を素直に受け取ることができずにいた。


直接的な何かを言われたわけではない。

ただ、どこか引っかかる。



「可哀想なシェルリス様。できることなら私が代わってあげたいわ」



イエニカはシェルリスの頭を撫で、可哀想にと繰り返した。

その拘束から逃れようと身動ぐシェルリスを見て、スニルヴァンが声をかける。



「イエニカ、シェルリスを離しなさい。何度も言うが、シェルリスは侯爵夫人なんだ。無礼な行動はよせ」


「もうっ、相変わらず真面目なんだから。私達、家族になるのよ? これぐらい良いじゃない。ね、シェルリス様」



イエニカの拘束が緩むと、シェルリスは彼女からサッと距離をとった。

乱れた髪を直しながら、ハハハ、と乾いた笑みをこぼす。


似たようなやり取りを、もう何度したか分からない。


スニルヴァンは、繰り返しイエニカに言い聞かせていた。

シェルリスを子供扱いするな、まるでシェルリスに不足があるかのような言い方をするな、これ以上はイエニカの家(子爵家)に抗議させてもらう、と。

しかしイエニカは聞く耳を持たず、毎回「家族なんだからこれぐらい良いじゃない」と意に介していなかった。


対するシェルリスは、意外にも苦笑を浮かべるだけに留めている。

基本的に嫌なものは嫌だと言うし、売られた喧嘩は買う(たち)なシェルリス。

けれど同時に、家族や身内には意外と甘いところがあるのだ。

スニルヴァンの従妹であるイエニカに対しても、これが彼女なりのコミュニケーションなのだろう、とつい甘く考えてしまっていた。



「そうですね。良くしてくださるのは嬉しいのですが……」


「でしょう? あ、ほら、ミルクが届いたわよ。こっちで一緒に飲みましょう」



イエニカはシェルリスの言葉を遮り、暖炉のそばに置かれたソファとテーブルのもとへと引っ張って行く。


侍女がテーブルに置いたカップは二つ。

先程侍女とすれ違ったイエニカは、ちゃっかり自分の分も持ってくるよう頼んでいたのだ。



「スニルヴァンは仕事があるでしょうから、女二人でお喋りでもしましょう」


「シェルリスは儀式終わりで疲れてるんだ。ゆっくりさせてやってくれ」


「あら、私と一緒だとゆっくりできないってこと? そんな失礼なこと言わないわよね、シェルリス様」


「はい。イエニカ様とはお話ししたいこともありますし、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」



心配するスニルヴァンへ向けて、問題ないと言わんばかりに満面の笑みを浮かべるシェルリス。

有無を言わさぬ笑顔に、スニルヴァンは後ろ髪を引かれながらも仕事へ戻っていった。


二人きりとなった談話室に、一瞬の静寂が訪れる。

パチパチと薪の弾ける音が響き、二人の間を生温い空気が流れていった。


シェルリスはそっとマグカップを持ち上げ、ミルクを冷ますために息を吹きかける。

真向かいに座ってその様子を見ていたイエニカも、小さく鼻で笑った後、自身のカップを手に取った。



「ホットミルクなんて何年ぶりかしら」


「他の飲み物が良ければ、持って来させましょうか?」


「いいえ、大丈夫よ。それよりも私と話したいことってなぁに?」



問いかけられ、シェルリスはホットミルクの湯気越しにイエニカを見つめた。


年齢も見た目も、イエニカはシェルリスよりもずっと大人だ。

スラッとした長身に、豊かな黒髪、涼しげな目元をしたイエニカ。

平均よりも少しだけ低い身長に、桃色の髪、垂れ目がちな丸い瞳をしたシェルリス。

シェルリスがイエニカと同じ年齢になったとしても、彼女のような落ち着いた雰囲気は出せないだろう。


イエニカの正確な年齢は知らされていないが、恐らくスニルヴァンとそう変わらないはずだ。

十七歳のシェルリスと、二十代半ばのイエニカ。

彼女からすると自分は妹のような存在なのかもしれない、とシェルリスは思う。


妹のような存在。

どこかで聞いたことのある表現だった。


シェルリスには比喩ではない姉が二人いて、彼女自身、可愛がられて育った自覚がある。

姉から心配されたり、過剰に構われたりすることは、実の姉で経験済みだ。


しかし、例え姉相手でも、許容できないことはある。


シェルリスはホットミルクを一口飲んで、ゆっくりと口を開いた。



「イエニカ様が私のことを心配してくださっているのは分かっています。ですが可哀想な子扱いするのは、やめていただきたいのです」



北部侯爵夫人として北部のために尽くす。

それはシェルリスにとって当たり前のことであり、誇りでもあった。

現状を嘆いたことは、一度たりともない。


だからこそ、今の自分を可哀想などと言って、哀れに思うことだけはやめて欲しかった。



「……ふぅん? 何か気に障ってしまったかしら」


「私は自分のことを、可哀想だとは思っていません。なので何度も可哀想と言われるのは、あまり良い気分ではなくて」


「……そう。ごめんなさいね。小さな子が頑張ってるのを見ると、つい可哀想に思えて。気を悪くしないで」


「私は侯爵夫人として当たり前のことをしているだけですから。応援してくださるのでしたら、何か美味しいお菓子でも差し入れしてくださると嬉しいです」



そう言って人懐っこい笑みを浮かべるシェルリスに、イエニカは目を細める。

窘められ、けれど気を遣って「差し入れが欲しい」ななどとおどけてみせているのだと気付いたからだ。


子供だと侮り、見下していた人間に、己の言動を指摘される。

それはイエニカにとって、非常に腹立たしいことだった。



「でもシェルリス様はまだ幼くていらっしゃるから、心配なのよ。北部侯爵夫人の責務は、あなたにはまだ重過ぎるでしょう? それに……スニルヴァンとのことも、心配なの」


「スニルヴァン様とのこと、ですか?」


「えぇ、子供相手にスニルヴァンが満足できるのか……ね?」



いやらしく片方の口端を上げ、蔑みの視線と共に投げかけられたイエニカの発言に、シェルリスは驚いた。


子供だからと下に見られ、小馬鹿にされていることは分かっていた。

心配している体を装って、駄目出しされていることにも気付いていた。

とはいえ、年齢を今すぐどうにかできるはずもなく。

シェルリスにできることは、北部侯爵夫人としてひたむきに、真摯に目の前の仕事をこなすことだけだった。


けれど、イエニカが言ったことは、そういうことではない。

彼女の言い方からするに、従妹という立場から跡継ぎを心配しているわけでもないだろう。


イエニカは、スニルヴァンのことを男として見ている。


そう理解した時、シェルリスはこれまでイエニカに感じていた違和感の正体に気が付いた。

妹のような存在だなんて、とんだ思い過ごしである。

彼女は女としてシェルリスを敵対視し、言葉の裏には明確な敵意を滲ませていたのだ。


またか、とシェルリスはげんなりする。

そしてやれやれと緩く首を振り、イエニカに向かって困ったように微笑んでみせた。



「イエニカ様、そういうことはスニルヴァン様に仰ってください」


「え?」


「スニルヴァン様の愛人になりたいんですよね? 愛人としての立場を弁えてくだされば私は構いませんので、あとはスニルヴァン様に聞いてください」


「は……? 何を急に」


「違うのですか? え、では単純にそういったお話に興味があると?」


「し、失礼な言い方をしないで! 私は北部侯爵家の未来を憂いて」


「でしたらあんな下品な聞き方はやめた方がよろしいかと……」


「下品ですって!?」


「まぁなんにせよ、イエニカ様に心配していただく必要はありません。スニルヴァン様が満足しているかどうか気になるなら、私ではなくスニルヴァン様本人に聞いてください」


「っ」



これまでイエニカに何か言われても、肯定的な返事をしてきたシェルリス。

そんな彼女がいきなり反論してきたものだから、イエニカは思わず言葉に詰まってしまう。


その様子を尻目に、シェルリスは適温となったホットミルクを一気に飲み干した。

立ち上がれば必然的にイエニカを見下ろす形となり、イエニカの顔が僅かに引きつる。



「私、イエニカ様とは仲良くしたいと思っていたんです。姉がもう一人増えたみたいで……。でも、イエニカ様が女として私を敵視するのであれば、残念ながら話は変わってきます。家族ではなく愛人の立場を望むのなら、相応の態度を。無礼な振る舞いは控えてください」


「なっ……私は、あなた達のことを心配してあげてるの。幼いあなたが侯爵夫人として上手くやれるのか、スニルヴァンと上手くやっていけるのか、心配で。なのにあなたはそんな言い方をするのね?」


「心配だと仰るのでしたら、具体的に私の何が駄目なのか教えてください。ただ年齢が、と言うのであれば私にはどうすることもできませんが……」


「そ、れは」



年齢以外でシェルリスを非難できる内容が、咄嗟には出てこなかった。


シェルリスが何かしでかしたわけじゃない。

屋敷が荒れてるわけでも、儀式を失敗したわけでも、領民や他貴族からの評判が悪いわけでもないのだ。



「……儀式で疲れているので、続きはまた明日お話ししましょう。では、失礼いたします」



再度口ごもったイエニカを見かねて、シェルリスは軽く頭を下げ、談話室を後にする。


残されたイエニカはわなわなと震え、持っていたマグカップをテーブルに強く叩きつけた。

衝撃でミルクが飛び散るも、彼女が気にする様子はなかった――。









その日の晩、イエニカはスニルヴァンの執務室を訪れた。

一人で仕事をしていたスニルヴァンは、突然の訪問に手早く手元の書類をまとめ、イエニカへと視線を向ける。



「こんな時間にどうした?」


「……こんな時間でもないと、二人で話せないでしょう?」



イエニカはスニルヴァンに近付き、椅子に座る彼の肩へしなだれかかるようにして手を置いた。

近過ぎる距離にスニルヴァンの眉間に皺が寄るけれど、イエニカは気付いていない。



「私、心配なの。まだ幼いシェルリス様には、北部侯爵夫人の荷は重過ぎるわ。彼女を支え、手助けする人が必要じゃない? スニルヴァンも子供の相手は大変でしょう?


「……」



スニルヴァンは肩に置かれた手を払いのけ、立ち上がる。

期待のこもった目でイエニカがスニルヴァンを見上げるも、不快そうに歪められた顔を見て、息を詰めた。


拒絶がありありと浮かぶその顔に、どうして、とイエニカは思う。


イエニカには自信があったのだ。

シェルリスに対し、スニルヴァンも不満を抱いているはずだと、根拠のない自信が。


強いて言うならば、スニルヴァンの幼馴染を追い出した、と聞いたからだろうか。


スニルヴァンと幼馴染は、二十年来の仲だった。

長年の幼馴染を嫉妬で追い出した幼い妻、というのがイエニカの所感である。

周りは幼馴染が悪いのだと言っていたが、北部侯爵夫人に忖度しているに違いない。


現にイエニカから見たシェルリスは、非常に幼かった。


いまだ北部の環境に慣れず、屋敷に帰るなり寒い寒いと体を丸めている姿は情けなかった。

見た目だって弱々しく、すぐに泣いて逃げ出してしまいそうで。

スニルヴァンがシェルリスを庇うのも、彼女が頼りないからだろう。


なのでイエニカは、きっとスニルヴァンも不満が溜まっているはずだと考えた。

自分がちょっときっかけを与えてやれば、シェルリスへの不満を口にし、自分を頼ってくるはずだと思ったのだ。



「……シェルリスは弱音を吐くこともなく、北部侯爵夫人として十分過ぎるほど頑張ってくれているよ。君が心配することは何もない。手助けする人が必要と言うならば、モア夫人が協力してくれている。夫人ほど頼りになる存在はいないだろう」



しかし、イエニカの当ては外れ、スニルヴァンが不満を口にすることはなかった。


北部の三大侯爵家で女主人を務める、モア侯爵夫人。

彼女はシェルリスの全面的なサポートを買って出てくれており、北部特有のしきたりやマナー、侯爵夫人としての振る舞いまで、きっちりみっちり教育してくれている。

すなわちシェルリスに難癖をつけることは、夫人に苦言を呈することと同義である。


その厳格さで北部の令嬢から恐れられているモア侯爵夫人の名を出され、イエニカは分かりやすく狼狽えた。



「あ……でも……」


「何度も言うが、シェルリスは北部侯爵夫人であり、私の妻なんだ。そこに年齢は関係ない。イエニカがなんと言おうと、彼女が私の妻であることは変わらないよ」


「っ、そ、そんなことは分かってるわ。ただ私は、私にも何かできることがあるんじゃないかって」



焦ったイエニカはスニルヴァンの手を取り、自身の胸元へと押し付けた。

すぐさま振り払われたが、イエニカは諦めない。

ならばとスニルヴァンの胸元に触れ、甘えるようにして上目で見つめた。



「別に妻になりたいだなんて思ってないわ。でもシェルリス様じゃ至らない部分もあるでしょうから……ほら、夜のこととか……」



薄らと頬を染め、唇を舐めるイエニカに、スニルヴァンは彼女の言わんとしていることを理解する。

そして青褪めた顔で、彼女から距離を取るようにして一歩後退った。



「何を……」


「シェルリス様も良いって言ってたわ。あの子も自分じゃスニルヴァンを満足させられないって分かってるのよ」


「待ってくれ、シェルリスに何か言ったのか?」


「シェルリス様の方から愛人になりたいのかって聞いてきたのよ。それならスニルヴァンに聞いてくれって」


「……なるほど」



スニルヴァンは片手で顔を覆い隠し、大きく息を吐き出した。


シェルリスが愛人を許容しているというのは、実に彼女らしいなとスニルヴァンは思う。

彼もまた、シェルリスが愛人を作りたいと言えば反対する気はなかった。

北部侯爵と北部侯爵夫人、それぞれの役目を果たし、筋を通してくれるのであれば問題ない、というのが二人の考えである。


冷たい夫婦だと思われるかもしれない。

けれど二人にとって何より大事なことは北部の安寧であり、愛人の存在など些事に過ぎなかった。

もちろん愛人だからといって大きな顔をし、北部侯爵家に不利益をもたらすのであれば、話は別だが。


そんな愛人を許容しているスニルヴァンではあるが、彼自身に愛人を作ろうだなんて考えはない。


スニルヴァンは北部へ嫁いで来てくれたシェルリスに心から感謝し、シェルリスのことを北部と同じくらい大切に思っている。

シェルリスが寒いと言えば暖かな毛皮を用意するし、疲れたと言えば抱えて歩くし、美味しいと言った物は毎日だって準備する。

実際にシェルリスが何かを強請ったことはないけれど、彼女にとって少しでも北部が温かな場所となるよう、スニルヴァンはなんだってする心づもりである。



「私は愛人なんて望んでない。下世話な心配も不要だ」


「でもっ……!」


「明日の朝、これを持って家に帰りなさい」


「え?」



スニルヴァンは机の上から一枚の紙を取り、イエニカへと渡す。


紙には、イエニカの家(子爵家)に対する抗議文が記されていた。

イエニカの北部侯爵家での振る舞い、シェルリスに対する態度、度重なる警告を聞き入れなかったことへの抗議だ。

加えて今後十年、イエニカは北部侯爵領への立ち入りを禁じ、子爵家自体も親族会議への参加を三年間禁止する旨が記載されている。



「な、なに……どうして……」


「伯父から何か言われていたのかもしれないが、引き際は考えた方が良い」


「!?」



イエニカの父親(スニルヴァンの伯父)は、長男でありながら冬の加護を持っておらず、北部侯爵家を継ぐことができなかった。

そのため次男であるスニルヴァンの父が北部侯爵を継いだのだが、伯父は何かと侯爵家に口出しをし、旨味を得ようと必死であった。

スニルヴァンの父曰く、悪い奴ではない、とのことだけれど。


イエニカの一連の行動も、伯父が裏で手を回しているのだろうとスニルヴァンは考えていた。

実際、伯父は「イエニカが愛人の座に納まれば僥倖、収まれずとも侯爵家の動向が分かれば良し」と思い、イエニカを送り出していた。


しかし、シェルリスを見下し、愛人の座を望んだのは、他でもなくイエニカ自身の意志である。

スニルヴァンへの好意に、父親の目論見や計画なんてものは一切関係していなかった。



「お父様は関係ない! 私はスニルヴァンのためを思って……!」


「それが余計なお世話だと言ってるんだよ。私のためだと言うなら、こんな真似は二度としないでくれ。シェルリスへも敬意を払い、相応の態度で接してくれ」


「っ、あんな、あんな子供の肩を持つの?」


「当たり前だ。シェルリスは私の大切な妻なんだから」



スニルヴァンにとってイエニカはただの従妹であり、それ以上でも以下でもない。

恋愛感情を抱いたこともなければ、そもそもそういった対象として見たことすらないのだ。


だからこそ、この時点で彼はイエニカの恋心にも全く気付いていなかった。

シェルリスがいれば、なんて鈍い男なんだ、と半目で見られていたことだろう。



「イエニカ、分かったら今日はもう部屋に戻りなさい」


「……嫌よ。私が愛人になってあげるって言ってるのに、何が不満なの!? これまであなたを支えてきたのは私じゃない! それを今更ッ……!」



涙を浮かべて強く反発するイエニカに、ようやっと彼女の気持ちに気が付いたスニルヴァン。

同時に、いつだったかシェルリスに言われた『もしかしてスニルヴァン様、他にも同じように誤解を与えてる女性がいらっしゃるのでは?』という言葉を思い出していた。


シェルリスからそう言われた時、そんな存在はいないと慌てて首を振った。

その場しのぎに否定したわけではなく、スニルヴァンは本気でそう思っていたのだ。


けれど目の前のイエニカは、それはもうしっかりと誤解していた。

別に好きだと言われたわけではなく、小さな勘違いが積み重なって、大きな誤解となっていた。



――例えばあの頃。

スニルヴァンとイエニカが、まだ十代半ば頃のこと。


イエニカが「後継者教育は大変でしょう?」と聞けば、スニルヴァンは「そうだね、でもこれが僕の役目だから」と答えた。

イエニカが「どうしてそんなに頑張れるの?」と聞けば、スニルヴァンは「イエニカや北部のみんなが大事だからだよ」と答えた。

これにイエニカは、自分にだけ弱い部分を見せてくれているのだと喜んだ。


イエニカが「たまには息抜きしましょ!」と誘えば、スニルヴァンは大抵の場合、誘いに乗った。

屋敷にこもっているだけでは学べないこともある、という両親の教えがあったからだ。

別れ際、まだどこかあどけなさの残る笑みで「ありがとう、楽しかったよ」と言ってくれるスニルヴァンに、イエニカはときめいた。

こんな笑顔を向けられるのは自分だけだと、舞い上がった。


他にもドレスや髪、容姿を褒められたことだってある。

親戚だから誤解もされないだろうと、何度か夜会等でパートナーに選ばれたことがあるのだ。

パートナーの装いを褒めることはマナーであり、スニルヴァンに他意はなかった。



そうした勘違いが重なり、イエニカは自分がスニルヴァンにとって特別な存在なのだと思い込んでしまっていた。


今になって誤解させていると気付いたスニルヴァンは、更に一歩、イエニカから距離をとる。

これ以上、彼女に誤解を与えぬよう、できる限り冷たい表情を作ってみせた。



「イエニカ、君のことは従妹としか思っていない。愛人になって欲しいなんて思ったこともない。ただ従妹として、親戚の一人として接してきたに過ぎないよ」


「嘘ッ……」


「嘘じゃない。それに、仮になんらかの事情で愛人が必要になったとしても、私が君を選ぶことはない。私にとって一番大切なのはシェルリスで、彼女に敬意を払えない人間は必要ないからね」


「っ、それは、謝る、謝るから」


「謝る相手はシェルリスだろう?」


「……」



悔しそうに俯き、拳を握り締めるイエニカ。

ぽつり、床に落ちた涙を見ても、スニルヴァンの心が揺らぐことはなかった。



「ほら、もう部屋に戻りなさい」



再度スニルヴァンから退出を促されれば、イエニカは重たい足取りで出口へと向かう。

扉の前で一度振り返り、縋るようにしてスニルヴァンを見やるも、彼の目は既に執務机の上へと向けられていた。


ぱたり、なんとも物悲しい音を立てて閉じられた扉。

再び一人きりとなった執務室で、スニルヴァンは小さく息を吐き出した。




――翌朝、シェルリスが起きた頃には、既にイエニカの姿は侯爵家になかった。

彼女はシェルリスに直接謝罪する勇気が出ず、逃げるようにして実家へ帰って行ったのだ。




別れの挨拶ができなかったことを残念がるシェルリスだったが、すぐにピンときた。

スニルヴァンと彼女の間に何かあったのだな、と。



「愛人はお断りしたのですか?」



朝食を食べながら躊躇いもなく問いかけてくるシェルリスに、スニルヴァンは苦笑する。



「あぁ、私には必要ないからね」


「そうですか……」


「私の身内が失礼な態度をとってすまなかった。じきにあちらからも謝罪文が届くだろうから、対応は君の望むようにするよ」


「私は気にしてないので、スニルヴァン様の良いようにしてください。……それよりも、やっぱり他にも誤解を与えてる方がいましたね?」


「それは、いや、もう、本当に申し訳ない……。私の考えが甘かった」


「ふふふっ、別に怒ってませんよ。誰になんと言われようと、私が妻なので。例えスニルヴァン様が離婚だなんだとご乱心されようと、はっ倒してでも正気にさせてみせます」



にこにこと可愛らしい笑みを浮かべてはいるが、シェルリスは本気だ。

北部を脅かす存在は、スニルヴァン相手であろうと許さない。

逆にシェルリスが北部侯爵夫人として道を誤った時は、スニルヴァンがどんな手を使ってでも正道へと引き戻すだろう。


スニルヴァンとシェルリス、二人は似たもの夫婦なのである。



そして数日後、イエニカの家(子爵家)からは謝罪と共に処罰の減刑を求める(ふみ)が届いた。

もとより厳しすぎる罰であることは分かっていたので、協議の結果、イエニカには二年間の北部侯爵領立ち入り禁止が命じられた。

子爵家は来年度いっぱい、親族会議の出席停止となった。


イエニカは家に帰るなり、彼女の父である子爵と怒鳴り合いの大喧嘩になったそうだ。

子爵夫人の仲介によってその場は収まったが、イエニカは失恋のショックもあり、部屋に篭りがちとなっている。



シェルリスはいつかイエニカが失恋を乗り越え、元気を取り戻してくれれば良いなと思う。

と同時に、他にも誤解してる令嬢がいそうだなぁ、とスニルヴァンへ疑いの眼差しを向けるのだった。







今回はスニルヴァンの覚悟ガン決まりっぷりを書きたいと思っていたのですが、頼りなさが増しただけでは?

とちょっと心配しております。


スニルヴァンは幼い頃から「自分はいずれ北部のために政略結婚するんだ」という自覚が多分にありました。

なので政略結婚の相手以外は眼中にないというか、皆平等というか。


少しでも似た者夫婦に見えていれば良いなと思いつつ……

ここまで読んでいただきありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
特別な存在だと思い込のは、ヴェルタースオリジナルくらい貰ってからにするんだな
投稿感謝です^^ まさか代替わりごとにこんな騒動が起こることまで北部の伝統として織り込み済みなのかな? だとすると…… 次は美人な年上の未亡人かな? それとも北部侯爵に心酔する若手男衆かな? シェ…
北部は女性でも婚期が遅いのかな?愛人狙ってたから気にしなかったのかな? 一番近くに居た幼馴染すら排除されたのに、どーして自分ならいけるって思うのか… 思い込みの激しい親戚多過ぎ問題!w
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