3
遠くでトンビが鳴いた気がして、永和は頭をあげた。
しかし、頭上にあるのは憎らしい程に輝く太陽と青い空だけ。
ため息をつく。
砂漠に入ってから、今日で一週間。
前を歩く、ローブを着た少女と一面の砂漠が変わらずに視界にある。
この一週間、何一つ変わらない景色だった。
未だに町は見えず、それどころか一度も商隊すら見ていない。
そろそろ、食料と水も底を突く。
せめて、水が欲しい。
オアシスがあればいいのだが、周囲には水の気配すらない。
なんとしても、町に辿り着きたい所だと、永和はぼんやりする頭で思った。
歩き続けてた朱螺が、いきなり立ち止まった。
何か、見つけたのだろうか。
永和は、彼女の横で歩みをとめる。
彼女の視線の先。
見慣れた、いつも通りの砂漠だった。
何か、朱螺には見えているのだろうか。
「どうしたんだ、何かあるのか」
朱螺には、魔力がある。
そして、力を感知することや視ることもできる。
しかし、永和には魔力の欠片すらない。
そのため、彼女が見えているものが見えない事がよくあった。
「おかしいと、思う」
彼女は、眉をひそめた。
普段は、はっきりと断言するのだが、今回は何か引っ掛かるようだ。
腕を前で組み、砂漠を睨んでいる。
「おかしいって、どうゆう事なんだ?」
今回も、自分には見えないようだ。
永和は静かに彼女の様子を見ていた。
朱螺は、何かを探るように目を細めていた。
そして、ある一点に視線を注視した。
「……わかった」
彼女は嫌そうな顔をして、前髪を掻き上げた。
「恐らく、ここ一帯の空間が歪んでいる」
「歪み?」
そんな事言われても、よく分からない。
視界には、変哲もない砂漠。
歪みなんて、見えなかった。
「あぁ、この歪みのせいで、私達は無駄に彷徨っていたようだ」
朱螺は、すっと目を伏せた。
不意に、朱螺は右腕を胸の前まで上げた。
腕に、赤い光がまとわり始める。
朱螺は指先に光を集め、印を描き始めた。
指先が通った軌跡が、徐々に円を主体にした魔法陣になっていく。
魔法陣が完成し、鮮烈な閃光が辺りを照らした。
その瞬間、大地が――砂漠が揺れ始めた。
振動で、足下の砂も崩れ始める。
二人は、砂を蹴って来た道を駆けた。
「見ろ、何かくるぞ!」
朱螺のが指を差した。
見ると、砂漠から巨大な黒い大蛇が現れる所だった。
長い体は漆黒の鱗で覆われ、不快な艶を帯びていた。
額には、血の色をした宝石の様な核石が輝いていた。
黄金色の瞳は、二人を品定めするように睨み付けてくる。
大蛇は、こちらを明らかに敵視していた。
「大きいなー」
大蛇を見上げながら、永和は腰に提げていた長剣を抜いた。
その顔は、新たに得た玩具に興味を示す子供の様。
朱螺は、そんな彼に苦笑する。
少女は蛇を一瞥すると、自分の腰に提げていた細身の剣を鞘から抜き出した。
「全く。あの蛇のおかげで、さすがに足腰が限界よ」
彼女は剣を砂漠に突き立てた。
それに呼応し、剣の赤い宝飾が輝き始める。
朱螺は輝く剣を手放すと、魔力をのせた詠唱を始めた。
「……四つ世の門扉を守るカードラスよ……」
すると、剣と朱螺を中心に風が起こり始めた。
永和は、隣で朱螺が詠唱し始めたのを確認し、数歩前に出た。
「うしっ、行くか!」
敵が居るなら倒すまで。
永和は、大蛇に向かって駆け出した。永和は歩みを速めて、彼女の隣に並んだ。
横目で朱螺の表情を伺う。
彼女は、機嫌が直ったのか小さく歌っていた。
異国の歌なのだろう。
聞いたことはない言語で歌っているが、耳に心地よい。
「それ、どこの国の歌?」
「んー……、知りたい?」
朱螺は永和の瞳を覗きこむ。
果実のように潤う唇が目に入り、知らず知らずに喉がなった。
急いで視線をずらすと、彼女の炎のような瞳にかち合った。
彼は、そのどこまでも深い紅に囚われる。
その瞬間、朱螺は両手でいきなり永和の頬をつかんだ。
「おわっ! なひをっ?!」
彼女の白い手が引っ張ると、彼の頬は面白いくらいに伸びた。
朱螺は、口の端を楽しげに吊り上げて笑った。
「やっぱり、教えてあげない」
朱螺は、してやったりと嬉しそうにして手を離した。
「っ痛ー……朱螺!」
永和は、つねられたせいか、はたまた恥ずかしさからか頬を赤く染めた。
彼は、この機会に何か文句を言っておこうと意気込んだ。
「本当に朱螺は意地が悪い!」
「鬼族は意地悪だからな」
「いや、鬼族とかの前に、朱螺の本体の性格が悪い……」
朱螺が、意味深に目を細めて笑った。
朱螺は、鬼族だった。
―――鬼族。
彼らは、人間とは違う存在。
長き命に、強靭な肉体。
一族は、武術だけでなく魔術にも長け、その力はまさに一騎当千。
その強大な力を持ち、時には奇跡すら起こす、鬼の子孫達。
朱螺は、まさにその子孫だった。
「へぇ……永和も、言うようになったじゃないか」
永和は、笑顔の黒さに少し後悔した。
「冗談、本当に軽い冗談だって」
その慌てぶりに、朱螺が小さく声をたてて笑った。
こうして笑う彼女は愛らしい。いつもこうであったなら、と永和はため息をこっそりとついた。
それを見て、彼女はまた小さく笑う。
「永和は、いじめると面白いな」
「………はいはい、どうせ単純ですよ」
彼は、もう諦めの境地だ。
朱螺は笑いを収めると、遠く砂漠の向こうを見た。
「まぁ、本当に知らないんだけどね。かなり昔に旅芸人が歌っていた歌。だから、国とかは知らないんだ」
朱螺は過去を懐かしむように目を細め、一人で先に歩き始めた。
永和はただ、黙ってその姿を見た。
その見慣れたはずの小さな背中。しかし今は、知らない少女のような、そんな遠い存在に思わせるものだった。
彼は、小さくため息をつく。
全くもって、彼女は性格が悪いと永和は思う。
彼女は、自分を翻弄し過ぎる。
先を進む小さなその姿に、永和は何とも言い難い気持ちを覚えた。
ふと、朱螺が振り返った。
「何立ち止まってるのー」
「はいはい」
朱螺は何か思いついたらしく、急にニヤニヤと笑った。
永和は、少し引きつった顔で彼女を見る。
「ど、うした?」
「全く、永和はまた変な想像でもしていたのか? スケベだな」
永和は吹いた。
「なっ!そんなことあるか!」
永和は、急いで朱螺の後を追う。
彼女は、可笑しそうに笑う。
毎回、彼女にからかわれる度に永和は思う。
いつかは、絶対にみかえす!
「ほら早く来なさいよ。置いてくわよ」
「ちょっと、今行く!」
何だかんだ言って、永和は朱螺に付いていくのだった。