大槌注意
ステラヴィルは冒険者の街である
山と海に挟まれた平原の国、イルミナの中心部に位置している。
元々は通商の要としての役割が主だったが、人が行き交えば情報も集う。どこそこで魔物の被害が、あそこでは貴重な鉱石が、あの村で恐ろしい病が……。
そんな情報をもとに、腕自慢たちは各地へ赴き問題を解決。謝礼を受け取り再び情報を求めステラヴィルへ戻った。
だが、各々が無秩序にそうしていると問題が生まれる。真偽の定かでない情報の流布、問題を解決した者が不確か、報酬の要求額をつり上げ……。
腕自慢にはあらくれが多いのもあって、そうした諍いが多発した。
そこで、国は個人による問題解決を職業とし、冒険者と名付けた。ギルドを創設することで依頼を集積し、冒険者へと分配。冒険者にランク付けすることで、依頼の成功率を上げる。
そのような施策により、秩序だった個人傭兵として冒険者は確立していった。
ステラヴィルには活気がある。冒険者は金回りが良いため、商売人たちもやる気を溢れさせている。自身が仕入れた品が如何に良いものかを力説する商人。露店で肉を焼き、その匂いで客を釣る飯屋。晩の書き入れ時に備えて準備を進める居酒屋。そして、暗くなる前から既に酔っ払っている冒険者。
夕暮れ時でも賑やかな街、それがステラヴィルだ。しかし不意に、そんな雰囲気にそぐわない緊迫した声が響いた。
「大変だぁ!」
駆けながら声を上げたのはこの街の門兵だった。
冒険者が集うということは、相応に実力者も多い街だ。だが、街の守りは領主が抱える兵団が行っている。冒険者というものは、基本的に手を組むことを嫌う。依頼解決の報酬が減るからだ。なので街の防衛など、全く向かない人種である。
さておき、門兵は大変なものを見た。
それは、いつも通り代わり映えのない風景をぼーっと眺めていた時のこと。
「暇だなぁ……」
この門兵が立っている門から続く道は、魔群の森に繋がっている。仰々しい名前だが、森の浅い場所は比較的危険度も低く、薬草の群生地になっている。今日の朝にも薬草摘みの冒険者二人組が森へ向かったが、今日の人の行き来はその一件だけだった。
他にも、時折森での生存競争に負けた魔獣が街まで出てくる時がある。それを止めるのは門兵の仕事の一つだ。が、そんな事はそうそう起こらない。起こったとしても逃げ出してきた程度の魔獣ならさほど苦も無く倒せる。
総じて、門兵の仕事で気を張ることは無いに等しいのだ。
「おい、定期の望遠はちゃんとやれよ。上に怒られる」
「分かってるよ。……もうそんな時間か……」
定期的に望遠鏡で遠方を確認するのも業務の一つだ。緩慢な動作で腰にかけた望遠鏡を手に取り、目に当てる。
「えー、異常なし、異常なし……ん?」
どうせいつもと同じ風景を眺めるだけ、そんな気持ちで目を滑らせる門兵であったが……視界の端に何かを捉えた。それはかなり遠くて細かいところまでは見えないが、街の方へ向かってきている事は分かる。門兵は望遠鏡のピントを合わせ、目を凝らした。
「……あ、あぁ……」
「おい、どうした?」
門兵は望遠鏡を投げ捨て、同僚の声も聞こえない様子で街へと駆け込む。そして声の限り叫んだ。
「アーマードベアだぁ!」
アーマードベアは金級の冒険者複数人でやっと対処できる魔獣だ。門兵は冒険者のランク付けに当てはめると、銀級が精々だ。アーマードベアに敵うはずもない。仕事としては街に入らないよう食い止めるのが正しいのだろうが、知ったことではなかった。
そうして大通りに辿り着いた門兵がアーマードベアの出現を叫ぶと、場は騒然とする。
商売人達は商品をまとめて早仕舞い。通りを歩く人達は、慌てふためきどうして良いのか分からない様子だ。
そんな混乱した状況の中、雷のような声が轟いた。
「狼狽えるなぁ!」
その声に、慌てていた人達は虚をつかれ立ち止まる。それを逃さず、声は続ける。
「大丈夫だ!俺が何とかしてやる!お前らは普段通りにしとけば良い!」
その宣言に周囲の人々はざわついた。そのざわつきの中で、なにかに気づいた者が声を上げる。
「あ、ありゃあミルドラルだ!」
「ミルドラル……戦鎚のミルドラルか!」
筋肉質な身体に分厚い髭を蓄えた大柄な男だ。全身を鎧で固め、その手には金属製の巨大な槌を握っている。その傍らには質素な服に身を包んだ女性が寄り添っている。
ミルドラルと呼ばれた男は門兵に呼びかけた。
「おい、確かにアーマードベアだったんだな?」
「は、はい!」
「ならお前は領主に伝えろ。街近辺に出没したアーマードベアはミルドラルが仕留める、と」
「え、は、はい……」
「ついでに報奨金をたんまり用意しろとも言っておけ。なんせ……」
ミルドラルは口角をあげ、にやりと笑う。
「白金級冒険者が動くんだからな!」
ミルドラルはそう言って、魔群の森へ続く門へと足を向けたのだった。
〜〜〜
その一歩は非常に重たいものであった。ズシン、ズシンと地を鳴らす。その巨体は硬質化した体毛で包まれており、それはまるで鎧のよう。そんな怪物アーマードベア……を背負ったマコトは、ゆっくりと街に近づいていた。
「ぬぅぉおお〜……」
「マコトさん……、私もう疲れましたよ……」
普通に歩くより時間がかかるのはもちろん、マコトが魔力、そして筋疲労によって体力を消費し続ける。そのためミレイは、回復術をかけ続けながら魔力補充の薬を飲ませてあげる補助係にならざるを得なかった。
そしてたまに自分も魔力補充の薬を飲んで、苦味にも苦しんだ。
「もうアーマードベアを置いて、一旦街に帰っても問題ないですよぉ」
「……最後まで……俺は諦めない!」
「かっこいいこと言ってないで諦めてください〜!」
そんなやりとりをしながらも、もう街は遠目に見えていた。と言っても魔獣なんてものがいる世界だ、高い外壁が見えるだけだったが。
「もう少しで街につくんだよな!鍛錬はもうひと踏ん張りが大事なんだ!」
「……今後の鍛錬は一人の時にやってください。……あれ?」
ミレイは、街の方からこちらへ向かってくる人影を見つける。日はもう傾いており、夕暮れ時だ。これから夜になるのに、森へ向かうなど考えられない。何事か、と考える間にもその人影はこちらへ向かってくる。それも信じられないほどのスピードで……
「って、えぇ!?何あのスピード!」
「なに、どうしたんだミレイ!」
アーマードベアを必死に背負っているマコトには、前方を詳しく観察する余裕もない。なのでミレイに尋ねるが、ミレイにも状況把握は難しい。さっきまで豆粒に見える位の距離にあった人影は、もうすぐそこにまで来ていた。
その人影はスピードを落とさずに、二人の数メートル前で大きく飛び上がった。あまりに速いその動きの中、かろうじてミレイの目に映ったのは、その手に握られた大槌であった。
「ギガントプレス!!!」
飛び上がり大きく振りかぶられた大槌がアーマードベアの頭部を捉え、そのまま地面へと叩きつける。
その威力は凄まじく、アーマードベアの頭部を叩き潰すだけに飽き足らず、地面までもを大きく砕いた。
近くにいたミレイは、その衝撃によって起こった爆風によって吹っ飛ばされる。
「ふん。余裕だな。しかし何か近くにいたようだが……?」
男は大槌をゆっくりと持ち上げ、肩に掛ける。そうしてキョロキョロとあたりを見回した。そこには、ふっ飛ばされたミレイが倒れ伏していた。
「おぉ!お前、アーマードベアに襲われかけていたのか!危ないところだったな!」
「うあ……な、なにが」
ミレイはむくりと身を起こす。そして、何が起きたのかを確認するために、視線を左右に動かす。そうして目に入ったのはうつぶせになったアーマードベアだ。……アーマードベアがうつぶせに?当然、マコトはその下に……。
「マ、マコトさん!」
「お、おぉ?」
「あなたがやったんですか!?」
「あぁ、そうだが」
「そうだが、じゃありません!マコトさんが……!」
マコトが数百キロの肉塊の下敷きになっている。普通に考えれば圧死してしまう。魔力で身体を包んでいるとは言え、非常にまずい状況だ。早くどかさなければとミレイが駆け寄ろうとしたその時、アーマードベアがピクリと動いた。大槌の男はそれを見逃さず、ミレイを庇うように陣取る。
「頭を潰してまだ動くか!野性の生命力は侮れんなぁ!」
「ちょっと話を聞いて!」
「次の一撃で確実に仕留める!」
男はアーマードベアに集中しているため、ミレイの声が届いていない。大槌を再び振りかざし、動いた箇所に狙いを定める。
「待って、駄目!」
「ギガント……!」
その大槌が振り下ろされる直前、アーマードベアは勢いよく立ち上がる。と、いうより吹っ飛んだ。そしてそこからマコトが現れる。
「だああ!死ぬ!死ぬ!」
「っ!ぬうん!?」
マコトの存在に気づいた大槌の男は、急ぎ攻撃を逸らそうとするが、もう間に合わない。
「少年!避けろ!」
「っ!?でりゃあ!」
マコトは不意に目の前に現れた金属の塊に、全力を込めて拳を叩き込む。その衝撃はマコトの足を地面に沈ませるほどであったが……マコトは折れない。
「ぬおっ!?」
「おおおぉぉおお!!」
そのまま、マコトはそれを弾き返した。大槌の男は、弾き返された大槌に逆らわずそのままふっ飛ばされる。
「はぁ、はぁ……なに、なんなんだ……」
「マコトさん!」
ミレイはマコトに急いで駆け寄る。そして回復術をかけ始めた。
「無事でよかった……」
「えーと、そうだな……?」
全てが急で、何も分からない。とりあえずマコトとミレイはふっ飛ばされた大槌の男が戻ってくるのを待つことにしたのだった。
〜〜〜
「ガッハッハ!すまん!アーマードベアしか目に入っていなかった!」
「はぁ……」
しばらくして、大槌の男は戻ってきた。ミルドラルと名乗った男は豪快に笑いながらも謝罪の意を示す。マコトは最終的に何事もなかったということで許すつもりだったが、ご立腹なのはミレイだ。
「あのですね!マコトさんを殺しかけたんですよ!分かってるんですか!」
「ああ!すまん!」
「すまん!じゃなーい!」
「私からも謝罪させていただきます」
ミレイが怒って、ミルドラルが笑って流す。それを何度か繰り返していたところ、一人の女性が現れる。長い黒髪と切れ長の瞳。質素な服装に身を包んでいるが、胸元には宝石があしらわれたペンダントがかけられていた。
「おお、シノ!遅かったな!」
シノと呼ばれた女性は、頭を下げ自己紹介を始めた。
「申し遅れました、私はシノ。ミルドラル様の奴隷です」
「ど、奴隷……?」
マコトはその自己紹介にたじろいだ。奴隷制度なんて社会の授業で聞いただけで、マコトにとっては遠い過去の話に過ぎなかったが……。この世界では未だに施行されているという事実に衝撃を受ける。
「おぉい、シノ。そりゃあやめろと言ってるだろう」
「私はミルドラル様に身も心も捧げておりますので」
ミルドラルは、やれやれ、と言った素振りで髭を撫でる。それからマコトとミレイに向き直った。
「……マコト、ミレイ。改めてすまん。言葉のみで済むとは思っていない。埋め合わせはいずれしよう。……それはさておき」
ミルドラルはマコトへ目線を向ける。その鋭い眼光にマコトは思わず怯みかけた。
「二、三質問したい。あのアーマードベアを、二人で仕留めたのか?」
ミルドラルは視線だけをアーマードベアに向ける。大槌で頭を潰されて見るも無残な姿だ。
「あぁ……そういうことになるな」
そう返答したマコトに異議を唱えたのはミレイであった。
「そんな。マコトさん一人で倒したようなもので……」
「ミレイの回復がなければ俺は死んでたし、援護もしてくれた。あれは二人で倒したんだよ」
「マコトさん……」
マコトとミレイのやり取りを横目に、ミルドラルは髭を撫でている。なにか考え事をしているようだった。
「ふむ……。では、次の質問だが……」
その瞬間空気が変わる。ミルドラルから強烈な威圧感が放たれたのだ。押し潰されそうな重圧をマコトは感じ取っていた。
「俺の大槌……。フルパワーではなかったとは言え、拳で殴り飛ばすなど信じられん事だ。お前……何者だ」
「何者……」
それは今のマコトにとって、一番困る質問であり、一番答えやすい質問でもあった。
「……俺は今、記憶がないんだ」
「記憶がない……?」
「その辺については、私から説明します」
そうして、ミレイは事の顛末をミルドラル、そしてシノに説明した。全てを話していると時間がかかるので、大分かいつまんだものではあったが。
「ふむ。記憶がないというのは分かったが、それならばますます腑に落ちんな」
「ミルドラル様、今日のところは良いではないですか。お二人がお疲れです」
「ん?……そうか」
あまり納得していないミルドラルだったが、シノが諌めたことで追及をやめる。それからミルドラルはおもむろに立ち上がった。
「では、とりあえずは街に帰るか!」
そう言うとミルドラルはアーマードベアへと歩きだす。
「これを森から運んできたとは。まぁ、その程度……」
そう言いながら、ミルドラルはひっくり返って仰向けになったアーマードベアの背中に手を添えた。
「あ、背中側は危ないです、よ……」
ミレイの忠告は、途中から空に消えた。アーマードベアがミルドラルの手が上がるのに合わせて、浮き上がったのを見てしまったからだ。
「俺には余裕だがな!ガッハッハ!」
そう言って、アーマードベアを肩で担ぐ。唖然とするマコトとミレイへと振り返り、ミルドラルは言う。
「ほら、帰るぞ!こいつは俺が運んでやる!」
マコトとミレイはただ、目を見合わせるのであった。