決意
異世界転生……。
誠自身に馴染みがある言葉と言うわけではないが、高校での友達がよく話していたのを思い出す。
主人公がなんやかんやで異世界に飛ばされ、特殊能力で活躍する。そんなスカッと系の軽めの読み物らしい。
まだ断定できるわけではないが、現時点ではそのように判断する以外に納得できる理屈が見当たらない。信じ難いことだが、そう信じるしかない事象を文字通り体感してしまった。
「マコトさん……気絶から目覚めたばかりですから、まだちょっと混乱してるのかもですね」
誠が自分の身に降りかかったことをなんとか飲み込もうと努めている最中に、名前を呼び親しげに話しかけてくる女の子。誠ははまだ名乗ってもいないし、この女の子の名前も知らない。
ここでまた誠は思い出す。異世界転生にも種類があることを。
主人公が新たな存在として異世界に降り立つ場合と、既に存在する人物の意識に入り込む場合。どうやら、自分は後者のようだと誠は判断する。
「あの……マコトさん?」
反応を返さない誠に、もう一度女の子は語りかける。誠にとって考えなければならないことは山ほどあった。だが誠はその呼びかけによって、現状をどうするかへと思考を切り替えることにした。
……とはいえ、やるべきことは決まっている。
「……悪いんだけど、君が誰かもわからない。名前を教えてくれないか?」
誠は、素直に尋ねることにした。これには三つの意図がある。
一つ目は単純に名前の確認。二つ目が反応によるこの女の子と自分の関係性の確認。三つ目が相手に記憶喪失であると思わせるためだ。
実際問題、誠はこの世界の記憶なんて何も持ち合わせていないので、記憶喪失と状況は似ている。
なんの因果かこの身体の元の持ち主も大怪我を負っていたようなので、その状況を利用させてもらうことにしたのだった。
「え、そんな、悪い冗談やめてくださいよ」
女の子は両手を胸の前で振り茶化すようにそう言う。あえて軽く振る舞っているのだろうと、誠は気づいていた。なぜなら、取り繕いきれなかった不安の感情が表情にでていたからだ。
「いや、本当に分からないんだ」
「そんな。ミレイです、私ミレイですよ!」
ミレイと名乗った女の子は、顔を青ざめさせながら訴えかける。このショックの受け方を見る限り、それなりに親しい仲であったのかもしれないと誠は思う。
「ミレイ、か」
「そうです!私のこと分かりますよね……!?」
ミレイは今にも泣きだしそうな顔をしている。女の子を泣かせるのは誠の主義に反する。だが、誠はそんなに器用な方ではない。右も左も分からない今の状態では、誤魔化す事は難しかった。
「……やっぱり分からない」
「そ……そんなことって……。私が、ついてこなければ……こんなことには……!ごめんなさい……ごめんなさい……!」
ミレイは愕然とした様子で自分を責めている。誠には何が起きて、この身体の持ち主が死にかけたのかは分からない。それでも一つだけ、分かることはあった。
「ミレイ」
いよいよ俯き泣いてしまいそうなミレイの手を誠は掴んだ。誤魔化すことはできなくても、今正直に思っている言葉は口にできる。
「ここがどこなのか。君と俺がどういう関係だったのか。回復術とはなにか。ここで何があって今こうなってるのか。今の俺には何一つ分からない」
掴んだ手に力を込める。またも悲しみに濡れてしまったミレイの目をまっすぐに見つめて、伝わってほしいと願いを込めて。
「何も分からないけど、一つだけ確かなことがある。君がいなければ俺はきっと死んでた。君のおかげで俺は今生きている。すごく感謝してるんだ、ミレイ」
これが誠の正直な気持ちだった。こんな森の中だ。大怪我した状態で自分以外に人がいなければ、野生動物の餌だっただろう。
自分を助けてくれたミレイが、理由がどうあれ自分を責めて泣いてしまう。そんなことは、嫌なのだ。
しかし誠の言葉を受けても、まだミレイは俯いている。そしてそのまま、言葉を発する。
「……マコトさん。本当に記憶を無くしちゃったんですね。あなたは私をさん付けで呼んでましたから」
「……そ、そうだったのか」
誠はたじろぐ。励ましたい一心だったが、記憶がないことを事更に意識させてしまったかもしれない。そう思った誠だったが……。
「だけど」
その言葉とともにミレイは俯くのをやめ、誠の目を見つめ返してきた。
「……マコトさん自身が一番不安なはずなのに、そうやって私のことを気にして励ましてくれて。私の知っているマコトさんと何も変わらない……優しい人のままです」
誠の心にチクリとトゲが刺さる。何も変わらない、なんてことはない。元のマコトは今ここにいない。どこにいるのかも分からない。それにミレイが気づいてしまえば、彼女の心に深い傷を残すだろう。
……ならば、と誠は思う
(どんな人かも分からないが……名前も同じ、性格も似ているらしい。なら、これも何かの縁だ。……借りるぞ、マコト)
誠はこの世界で、マコトとして振る舞うことを決意したのだった。