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ラフィアの翼【改訂版】  作者: 蒼井七海
Ⅲ 魔導の一族
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第四章 ここがあなたの帰る場所(3)

「うっわ、あんたひどい顔ね。どしたの?」

 翌日。学院に着いてそうそうナタリーにそう言われ、ステラはぽかんと口を開けた。

 ステラとナタリーは学科が違うので、朝一番に顔を合わせるということは珍しい。今日はステラが若干早く出たため、到着の時機が被ったのだろう。

 それはともかく――ステラは、学生の波を避けながら己の顔をぺたぺたと触る。

「そ、そんなにすごい?」

「すごいすごい。何、寝不足?」

「いや、今日はむしろよく眠れた方だったけど」

 昨日のことを思い出しながらステラが首をひねると、ナタリーも同じように首をひねった。合わせ鏡のような動きをしあったところで、疑問が解決するわけでもない。結局、ナタリーの方が「まあ、なんでもいいけど」と詮索をやめた。

「無茶はしなさんな、ただでさえ多忙なんだから」

「うん、気をつける。ありがとう」

 さっぱりとした友人の気遣いは、ぬくもりとなってじんわりと胸に染み込んでくる。ステラがほほ笑んで返すと、ナタリーは雑に手を振って歩き去っていった。その姿は、彼女の幼馴染と重なるところがある。そう思った瞬間、ステラは鞄のひもを握りしめたまま叫んだ。

「あ! レクのこと言うの、忘れてた!」

 すでに、ナタリーは雑踏の先に消えてしまった。彼女の代わりに叫び声を聞いた生徒たちが、なんだなんだと振り返る。好奇の視線を一身に浴びたステラは、うつむいてそそくさと教室に向かった。


 レクシオの一件に関しては、ステラが報告するまでもなかったらしい。というのも、昼前に、特別調査室から学生に向けた声明が出されたのだ。そこには謝罪の言葉も添えられていたらしい。そんな話をオスカーとブライスから聞いて、ステラはまた、晴天の色の瞳を持った青年のことを思い出した。

 シャルロッテを始めとする、署名活動に関わってくれた人たちは、喜んでステラたちに言葉をかけにきてくれた。ステラにとってそれは嬉しいことのはずだったが、どうにも素直に喜べないでいた。泣いて、眠って、それで引っ込んだはずの激情がよみがえって、ちりちりと胸を焼く。自分はどこかがおかしくなってしまったのだろうか――ステラは何人かの生徒を見送った後、こっそりとため息をついた。

 だが、声明に対して顔を曇らせたのは、ステラだけではなかった。『調査団』のほかの四人がそうだ。彼らは昼食の席で、いまいち晴れ切らない顔を見合わせたのである。

「なんか、こう、頭がついていかねえなあ。本人がいないから、実感がわかないのかね」

 黒っぽいパンを強引にちぎりながら、トニーが呟く。己の中の靄をパンにぶつけているかのようだった。彼の対面にいたジャックが、ほのかな憂いを湛えた瞳をステラに向ける。

「レクシオくんの容態はどうなんだい?」

「明け方には意識が戻ってたみたい。まだ、ちゃんと顔を合わせてはいないけど」

 お茶で口を湿らせながら、ステラは答えた。そうでもしないと、変にどもってしまいそうだったのだ。ジャックは「そうか」とうなずいて、唇の下に指を添える。

「こうも釈然としないのは、レクシオくん本人が、まだ元気ではないからだろうね。それに、神様絡みの問題も解決していない。中途半端なままだ」

()()()な感じの女……ダレットだっけ? そいつが帝国の政治に口出ししてるってことだよね」

 先日の報告を思い出したのだろう。ナタリーが思いっきり顔をゆがめた。それに釣られたかのように、ジャックも形のよい眉を寄せる。

「おそらく。彼女が着ていた服……あれは、帝国政府の高官のものだ。どういう役職についているかはわからないけれど、相当な力を持っていることは確かだろうね」

「まさか、神様がこんな回りくどいやり方をするとは思わなかったな」

 ちぎった――というより、むしった――黒パンをかじりながら、トニーがぼやいた。彼のささくれた言葉に、ステラを含む全員がうなずく。

 ステラはそのとき、隣の席がやけに静かなことに気づく。今日、隣にいるのはミオンだった。彼女は、ステラからレクシオのことを聞いてからずっと、黙って食事を続けている。その姿がやけに小さく見えて、ステラはとうとう放っておけなくなった。

「ミオン、どこか具合でも悪い?」

 ナタリーに聞かれたら「あんたが言えたことじゃないでしょ」と突っ込まれること間違いない。そんな言葉を、ミオンにささやきかけた。彼女は小さな肩を震わせて顔を上げる。ゆるくかぶりを振ってから、茶色の瞳をゆがめた。

「あ、すみません。ちょっと、考え事をしていただけなんです」

 白い手が食器を置く。かすかに、澄んだ音がした。

「レクシオさんのこと、とても嬉しいし、ほっとしてます。次にお会いしたら話したいこともいっぱいありますし」

「うん」

「……でも。なんででしょう。これからレクシオさんに会うのが、すごく怖いんです」

 机上、胸の前で、ミオンは両手を握った。うつむいてそこに視線を落とす彼女は、果たしてどんな表情をしているだろう。髪で隠れて見えないそれを想像しながら、ステラは黙って背中をなでた。

『魔導の一族』が、二人がこれまでどういう人生を辿ってきたのか、ステラはすべてを知っているわけではない。だから、彼女に共感しようと思ってもしきれない。かと言って――大丈夫だよ、などと言葉をかけることも、今のステラにはできなかった。



     ※



 思えば、昔から世話になりっぱなしだった。

 奇妙な邂逅から数日後。自習の時間に、問題集とにらみあっていたステラを、隣でレクシオがじっと見ていた。たまたま席が隣だったのだ。

「それ、わかんないの?」

 突然かかった声に、ひどく驚いた記憶がある。しかも当時は、レクシオもささくれていた。今のように、笑顔で愛想よく、というわけにはいかなかったのだった。うっそりとした声から小ばかにしたような雰囲気を感じて、ステラは身構えた。しかし、緑の目の少年は、気にすることなく身を乗り出す。薄暗がりに沈んだような目を問題文に走らせると、ひとつうなずいて、ステラの帳面を指で叩いた。

「こういうのは、図を描くといい」

「図……?」

「水槽に水が入っていると仮定して。この水が、問題文に出てくるお金。水槽が満タンになっている状態を十割と考える」

 いきなり問題の解説が始まったものだから、ステラは慌てて話に食いついたものだ。最初こそ何がなんだか、という具合だったが、彼の言う通りに作図を進めているうちに、こんがらがった糸がほどけていくのを感じた。

 気づけば、ほとんど自力で問題を解いていた。目を輝かせるステラに、レクシオは相変わらずの顔を向ける。

「あんたみたいなのは、暗記した公式を理解もせずに使うと頭がこんがらがる。まずは、そういう図を描くところから始めて、慣れてきたら公式を使えばいい」

「わかった! ほかのも頑張ってみるね! ありがとう!」

 ステラが鼻息荒くうなずくと、彼はちょっとだけほほ笑んでから自分の課題に戻った。

 彼に勉強を教えてもらうという日課は、思えばここが始まりだったかもしれない。それ以外にも、たくさんの物をレクシオにもらった。彼がいなければ、学院のみんなと打ち解けることも、『調査団』に入ることもなかったはずだ。

 傷を抱えてなお、優しい少年。彼が笑顔を取り戻していくのを見るたび、ステラは胸がちくりと痛むのを感じた。

 ――あたしはこの子に、何か与えられているだろうか、と考えて。



     ※



 一部の学生たちが喜びに沸き、あるいは顔を曇らせたその日。学院祭フェスティバルの準備を終えて帰宅したステラは、子どもたちと一緒に掃除を済ませた。頭から水をかぶる子がいたり、全身埃だらけになったりする子がいたりしたが、そんなことは日常茶飯事である。ステラたちの間では「今日も平和だった」で済ませられる程度だ。

 ともかく、そんな掃除と掃除用具の片づけを終えたとき。ステラはミントおばさんから声をかけられた。

「どうしたの?」

「これ……二階の医務室に持っていってもらってもいいかしら。突然で申し訳ないのだけれど」

 まったりとして言った彼女が差し出したのは、孤児院でよく見るトレイだ。その上には、カップが載っている。

 二階の医務室ということは、レクシオのところだ。内心ぎくりとしたが、ステラは笑顔でうなずく。掃除用具入れを閉めて、手をきれいにしてから、ステラはミントおばさんからの預かり物を受け取った。

 慎重に階段を上る。カップの中身が気になってのぞいてみたところ、黄緑色のお茶らしきものが揺れていた。かすかに薬草のにおいがする。幼い頃の文字通り苦い記憶を思い起こして、苦笑した。

 一歩一歩、踏みしめて、とうとう医務室の扉の前に立つ。深呼吸してから、扉を叩いた。返事はない。それはわかっていたことなので、ステラはなるべく音を立てないように扉を開けた。

 医務室は思ったより冷えている。ステラがそう感じ取ったのは、子どもたちの声が絶えない孤児院の中でありながら、そこだけ奇妙に静まり返っているせいもあるのかもしれない。

 ステラは奥へと歩いていこうとした。その途中で、はっと息をのんで、思わず足を止めかける。

 レクシオが起き上がっていた。昨日の姿しか知らないステラにとって、それは十分に、心臓が縮むような光景だった。ただ、彼はステラが来たことに気づいていないらしい。ぼんやりと一点を見つめている。

 ステラはなるべく平静を装って寝台のかたわらに行き、小机にトレイを置いた。恐る恐る顔を上げ、幼馴染の姿を見る。いつも抜け目なく彼女を捉える目は、今日はまったく動かない。気持ちというものをどこかに置き忘れてしまったかのようだった。

 濁り、ぼやけた横顔を見つめ、ステラはあえて口を開く。

「……レク」

 やはり、返事はない。それどころか、頭を動かしもしない。

「これ、おばさんから頼まれて持ってきたんだ。ちゃんと飲んでね。お薬でしょ」

 少し声を大きくして呼びかけた。それでも反応はない。時々重力に負けてわずかに揺れるだけの頭を見つめ、ステラは唇を噛む。――ふいに、ひどく恐ろしくなった。幼い頃、一人きりで暗闇の中を歩いたときのような、寂しさと怖さが絶妙に入り混じった感情が、全身を焼いた。

「……レクシオ」

 喉と唇を震わせ、呼びかける。そのとき、初めて少年の頭が大きく動いた。息をのむのとほとんど同時に目を開いた彼は、かたわらに立つ少女を見上げてくる。

 やっと、視線がかち合った。

「あ――ステ、ラ?」

「うん」

 ふらふらと現に着地した彼に、ステラはうなずく。あくまで静かに、穏やかに。

 レクシオはしばらく両目を見開いて彼女を見つめていたが、やがて困ったようにほほ笑んだ。包帯だらけの腕を緩慢に持ち上げて、頬をかく。

「あの、ごめんな。えらい大ごとになったみたいで」

「……本当に。あんた、学院に復帰したらトニーに謝りなさいよ」

 第一声がそのことだと思わなかったステラは、つかの間ひるんだ。それでも強気の衣をかぶり、腰に手を当てて言えば、レクシオは乾いた笑い声を漏らす。顔やしぐさは一見普段どおりだが、その端々からどことなく空虚さが漂っていた。

 ステラは言葉に悩んだあげく、再びトレイを指さす。

「それ、ミントおばさんから頼まれて持ってきたんだ。飲んでね」

「あー……まあ、頑張るとしますわ」

 やはり、カップの中身はあまりおいしいものではないらしい。レクシオの頬がさらにひきつった。声を立てて笑ったステラは、軽やかに体を反転させると、レクシオに「じゃあね」と手を振る。そのまま、足早に医務室を出た。

 廊下に出て、扉を閉める。階下に向かう前に扉を振り返ったステラは、無言で眉根を寄せた。

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