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ラフィアの翼【改訂版】  作者: 蒼井七海
Ⅱ 昏き森の英霊
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第四章 幽霊森の終焉(3)

 何も聞こえなくなった。鉛のような呼びかけも、少年兵の声も。

 後に残ったのは自然だけ。本当にそれだけだった。

「気配が……消えました」

 驚きと感動をこめて、カーターがささやく。司祭の卵の言葉は、この場においては一番の説得力を持っていた。それを合図に、全員が力を抜く。シンシアやトニーがため息をつき、レクシオやカーターはその場に座り込んだ。

 そして、ステラは剣を持ったまま立ち尽くす。

 傾きかけた陽光に照らされた地面を、漫然と見つめた。

 結局、力押しになってしまった。あの子を苦しめはしなかっただろうか。痛くはなかっただろうか。

 きっと、本人の魂はもうどこにもない。だから確かめるすべもない。それでも、思考は延々と回り続ける。同じ考えを巡れば巡るほど、苛立ちと怒りが胸を焼いた。

「あいつは最後に『やってくれ』と言ってた」

 ステラの頭の裡を見透かしたような声がかかる。彼女は顔を上げた。無愛想な目がこちらを見ているのに気づく。オスカーはその視線を受け止めると、顔を別の方に向けて続けた。

「あいつはあんたに斬られることを望んで、あんたはそれを叶えた。今回のところはそれでいいんじゃないか」

「……でも……」

「その先を勝手に想像するのは、生者のわがままってもんだろ。斬った本人がそんなんじゃ、あいつらがまたこの地に縛られかねないぞ。それでもいいのか」

 ステラは、まじまじと少年の横顔を見つめる。こんなに饒舌な人だっただろうか。失礼なことを考えかけて、彼女はかぶりを振った。

「よくないわね」

 彼女が声をしぼりだすと、オスカーはステラに背を向ける。

「なら、考え込むのはやめとけよ。あんたのためにも、幽霊のためにも――ここにいる全員のためにも」

 言い終わるなり、オスカーは手ごろな木の近くまで歩いていくと、その根元にどっかりと座り込んだ。そのおかげでステラはお礼を言いそびれてしまい、ひとり頭をかくはめになる。

 部長の動きを目で追っていたブライスが、そこで首をかしげた。

「今ので本当に消えちゃったのか。なんか、あっけなかったなあ」

「幽霊というのは、この世に未練のある死者の魂が残留してしまったものだから、未練がなくなるか弱まるかすれば昇天するんだ。……多分、彼らの未練は月日とともに弱まっていっていたんじゃないかな」

 終戦後、めったに人が訪れることのなくなった森で、彼らはさまようことしかできなかった。怒りをぶつけるあてもない少年兵たちは、時間によって感情が鈍麻していくのを待つしかなかったのだろう。

「ですが、そうだとしたら……なぜ今になって急に力を強めたのでしょう。わたくしたちが突き止めたいのも、そのあたりですわよね」

 シンシアが思案顔になり、ブライスとカーターがうなずいて同意した。他方、理由に見当がついている『調査団』の五人は固まるよりほかにない。ステラは、『研究部』部長の針のような視線を感じて頬を引きつらせた。

 何をどこまでどのように話すべきかと考えても、いまいちまとまらない。話してよい部分などひとつもない気がする。

 青さの戻った空が揺らいだ。そのように感じたのは、ステラが一人で冷や汗をかいていたときだった。鞘に戻しかけた剣をにぎり直して、再び構える。

「ステラ?」

 何人かが怪訝そうに名を呼んだ。しかし、その声はステラの耳に届いていなかった。

 全身が粟立つ。本能の警鐘がうるさくてしょうがない。

 彼女が慄いている間にも、迫ってくる。あの力だ。

「まずい――みんな、逃げて!」

 悲鳴とともに剣を地面へ突き立てる。

 直後、力が飛来した。

 闇が広がり、爆発する。力の余波は森全体を覆い、草木を、大地を、大気を激しく震動させた。嵐のような風が吹き荒れ――波がひくように収まっていく。

 爆心地周辺は土煙と飛び散った枝に覆われていたが、奇妙なほどに破壊の痕は見られなかった。魔導科生がとっさに防壁を張ったからだ。しかしその防壁もまばたきほどの時間で粉砕され、少年少女はそこかしこに叩きつけられることになった。

 剣を地面に刺したステラだけが、かろうじて立っている。そして、彼女を中心に薄い白銀の光が広がっていた。

 土煙が晴れた頃、彼女の仲間たちのうめき声が上がる。ステラはとっさに目を配ったが、まだよく見通せなかった。

「みんな、無事?」

 いがらっぽい喉を震わせる。すると、煙の中からひときわ明るい返答があった。

「『調査団』のみんなは無事だよ。ステラのおかげで助かった」

 団長の声を聞き、ステラは胸をなでおろす。やや間をあけて、大柄な少年の影がふらりと立ち上がった。

「『ミステール研究部』も生きてる。……何が起きたんだ」

 オスカーは、体中に飛び散った葉や枝をつけていたが、怪我は吹き飛ばされたときの擦り傷だけで済んだようだ。まわりの部員たちも、見た限りでは大丈夫そうだ。

 だが、ステラは心から安心できなかった。警鐘はまだ鳴っている。

 ここまでの爆発を起こした張本人が、今、目の前に立った。

「死者、重傷者ともになしか。仕留めそこなったな、ヌン」

 どこかで聞いたような声だ。ステラは剣を引き抜いて、正面をにらむ。

「――まあ、『銀の翼』が相手では無理もないか」

 土埃が晴れた先。二人、ヒトが立っていた。一人は礼服をまとった壮年の男。もう一人は、彼の三、四倍はあろうという大柄な人。おそらくは男だろうが、全身黒い布で覆っているため、顔つきも性別もわからない。

 九人全員がようやっと立ち上がった頃には、巨人を引き連れた男がステラに向かって優雅な礼を取っていた。

「久しぶりだな、『銀の翼』よ。壮健なようで何より」

「……私は、あなたにお会いした記憶がございませんけれど」

 最大限の警戒を示しつつ、ステラは慎重に言葉を紡ぐ。すると男は、薄い笑みを見せた。上品な笑顔の裏には、あざけりがのぞく。

「これは失礼。おまえたちが会ったのは、私ではなく彼の方だったな」

 彼の言葉と同時に、少年少女の頭上で影が舞う。空を旋回した鳥は、黒羽をばたつかせながら男の肩にとまった。金色の目を持つカラスだ。

 一同の、主に『調査団』の上に緊張が走る。誰もが息を詰める中、レクシオが口の端を持ち上げた。

「なるほど。あんた方、ギーメルとやらの仲間か」

「その通り。大した胆力だな、少年。――父君によく似ている」

 紳士的な笑顔と口調で発される言葉は、裏も先も読めない。ステラは彼の思いがけぬ発言に、少なからず胸を揺さぶられた。だが、最も動揺しているはずの本人は、むしろ表情を凍てつかせたようにも思える。

 一方、男は軽く手を振った。若者たちの変化など、瑣末なことといわんばかりに。すると、肩の上のカラスが暗紫色の靄に変わってほどけていく。誰もかれもが驚きから覚めぬうちに、彼は低く音楽的な声で名乗りを上げた。

「では、改めて名乗らせていただくとしよう。我が名はラメド。こちらの大男はヌンという。教会では、私の仲間がたいへん世話になった」

 ステラは妙な響きの名を噛みしめる。戦慄を覚えた。ラメド――それは確か、以前ギーメルが口にした名だ。

「教会? 人魂の件で、一体何があったのですか」

 シンシアが震え声で誰かに尋ねている。『調査団』へ食ってかかる雰囲気ではなかった。二人の異常な男を前にしては、そんな気も起きないのだろうが。

 少女の問いに答えを寄越したのは、トニーだった。

「こいつの仲間が、教会の神父様を殺そうとしていてな。ステラが現場に居合わせて……その後、色々あってラフェイリアス教の機密に関わっちゃったんだ」

「わたくしたちに一つも話してくださらないのは、機密だからですのね」

「そう。本当は聖職者にしか言っちゃいけない話なんだって」

 トニーの声はいつになく硬い。それを聞き、『研究部』の四人も事の重大さを感じ取ったらしい。神学専攻のカーターなどは顔を青白くしていた。

「別に明かしても構わんよ。私の仲間は己が行為を間違いだと思っていない、むしろ誇ってすらいるのだからな。それは我らが主も同じことだ」

 不思議なことを淡々と、ラメドは言う。その発言に違和感を抱きながらも、ステラは本題を切り出すことにした。本題、つまりはこの森の幽霊の話である。

「今は、その話はいい。それより、この森の幽霊を凶暴化させていたのは、あんたたちなの」

「そうだ。我々が、というより、このヌンが能力を使って、魂の感情を強めていた」

 ラメドは認めた。学生たちがあっけに取られてしまうほど、あっさりと。そして、ヌンと呼ぶ大男を手で示す。歩くだけで森を破壊してしまいそうな男は、動くこともしゃべることもしない。だが、佇んでいるだけで妙な威圧感があった。

 若干気おされながらも、ステラはラメドから目を逸らさない。すくみ上った心を隠すためにも、眼光を強くした。

「なんのために、こんなことをしたの」

「ちょっとした実験だ」

「実験?」

 意識せずとも、言葉が刺々しくなる。しかし、ラメドの言動は少しも揺らがなかった。

「左様。ヌンの力がこの世界でどのように発現し、働くのか確かめたかったのだよ。結果は上々だった。思わぬ邪魔は入ったがね」

 正直、彼の言うことはほとんど理解できない。だが、彼らが自分たちの都合で死者の魂を弄んだのだということはわかる。

 胸の奥に燻っていた種火が、一息で燃え上がった。ステラは視界が銀色に染まったかのように錯覚する。それは剣の色だった。武器を相手へ振りかざし、駆け出していた。

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