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ラフィアの翼【改訂版】  作者: 蒼井七海
Ⅱ 昏き森の英霊
37/145

第四章 幽霊森の終焉(2)

「歌? なんのこと?」

 疑問をまっさきに表へ出したのは、ナタリーだった。控えめに挙手した彼女を見て、レクシオは困ったように頬をかく。

「あー……ほら。なんか、あった気がするんだよ。ティルトラスに伝わる、古い歌。戦場に人を送り出すときに歌うっていう。それを聞けば、幽霊たちの敵対心もちょっとはましになるかもな、って」

 歯切れの悪い言葉とその表情を見て、ステラはすぐに悟った。――石の記憶から、それを読み取ったのだということを。そのあたりを詮索される前に答えを出したくて、ステラは慌てて記憶を探ろうとした。しかし、彼女が考える前に、意外なところから答えがもたらされる。

「『勇者へ贈るうた』のことかしら?」

 シンシアが形のよい眉を寄せながら言った。あっ、とステラは目をみはる。実家に保管されている外国の資料の中で、そういう題名の詩歌を見た覚えがあった。

 ステラのひらめきを知らないブライスが、彼女にしがみつきながらシンシアを見上げている。

「すごいね。シア、なんで知ってるの」

「故郷が旧ティルトラス領の近くなので、あちらの文化に触れる機会が多いんですの。学院に入る前までに何度か歌を聴かせていただいたことがありますわ」

「もしかして、歌詞もわかる?」

 期待に満ちた赤毛娘の言葉に、シンシアは「当然ですわ」とうなずいた。続けて彼女が口ずさんだ歌を聴き、レクシオが、それだ、といわんばかりに指を鳴らす。そのやりとりを見て、残る面々は顔を輝かせた。

 やっと見つけたのだ。危機的状況を脱するための足掛かりを。

「よし。時間もないことだし、その歌を使う前提で作戦を立ててみようか!」

 ジャックが元気な声を張り上げる。みんながそれに力強く応じた。ただ一人、オスカーを除いて。

 幽霊たちの笑い声が弱まり、影が不穏にざわめく中、学生たちは大急ぎで作戦を立てた。全員が内容を把握し、結界の中で配置を整えると、カーターが円形に並べた符に手をかざす。

「では、結界を解きます。みなさん、準備はいいですか?」

 カーターの問いかけに、全員がうなずく。その中でステラは、ジャックがかつての親友に呼びかけるのを聞いた。

「今だけは、協力してくれるかい? 僕が中心になって立てた作戦だけれど」

 オスカーは渋面を崩さない。だが、軽く左の拳をにぎると、顔を背けながらも首を縦に振った。

「元よりそのつもりだ。俺の命もかかっている」

「そうか。――ありがとう」

 まぶしいほどの笑顔を見せた団長に、少年は何も返さない。だがジャックは、それでも構わないとばかりに正面を向いた。

 符が輝きを失い、銀の壁が消えていく。まがまがしい気配が、どっと押し寄せた。結界が完全に消えないうちに、オスカーとブライスが外へと飛び出す。幽霊たちの注意が一気にそちらへ向いた。ブライスが剣を抜くと同時、再び結界が閉ざされる。

「よーし! シア、ナタリー、やっちゃえ!」

 少しくぐもった声を合図に、結界の奥側に立つ少女たちが息を吸った。

 一拍の間の後、強い歌声が流れ出す。


 ああ、我ら民と変わらぬ生を受けた勇ましき子

 しかし特別たる魂と力を宿す、勇ましき子

 あなたは祝福されている あなたは愛されている

 そしてあなたは世界を愛してくれている


 旧い言語で紡がれた、古い歌。それを奏でるのは、二つの声。

 本来、この歌は大勢で歌うものなのだそうだ。だからきっと、一人で歌うのでは力が弱い。そう言ったのはシンシアだ。だが多くの人は歌をあまり得意とせず、歌を技術として身に着けている数少ない二人――ステラとカーター――はそれぞれの役割があるためシンシアへの力添えはできない。そこで選ばれたのはナタリーだった。趣味とはいえ、彼女がそれなりに歌えることをステラは知っている。

 ナタリー本人は、シンシアと同じ役をこなすことに対して思うところがあったようだが、不承不承引き受けてくれた。みんなが配置につくまでの短時間で叩きこまれた歌詞を、多少たどたどしさがありながらもしっかり歌い上げている。結界の中に残っている人たちが聞きほれてしまうくらいだった。

 歌の効果だろうか、影の動きが少し鈍る。そうして生まれた空隙を縫って、ブライスとオスカーが結界近くまで戻ってきた。見られはしないとわかった上でのことだろう、ブライスが結界に向かって小さく拳を握りしめる。二人の代わりに、ステラが拳をにぎって応じた。

 笑い声もかなり弱まっている。だが、まだ消えてはいない。だから、歌も止めない。


 ああ、今戦いに赴かんとしているあなたへ

 我らがために戦いに赴かんとしているあなたへ

 この詩を贈りましょう

 勇者を称える詩を贈りましょう

 その勝利を願って

 その幸福を願って


 のびやかで、それでいて凛とした歌声が、遠くへ響いて消えてゆく。同時、揺らめいていた影たちも、ひとつ、ふたつと消えはじめた。大地に溶け込むかのように、ゆっくりと。

 いなくなった影のぶんだけ、笑い声も聞こえなくなってゆく。次々とそれは薄れ――やがて、たった一人だけになった。

(なぜ、知っているんだ。帝国人が、なぜ、その歌を)

 ステラたちよりかなり幼い少年の声だった。声変わりもまだだっただろう。その割に口調は高く、大人びている。ステラにとってそれはかつての兄を連想させる音だった。胸に鋭い痛みが走る。決してそれを面に出さぬよう、少女は唇をかんだ。

(なぜ、どうして。だって、その歌は)

 問う声は、少しずつ震えだした。今までの危険な雰囲気はまったくない。今にも泣きだしそうな音だった。

 結界の端で、レクシオとジャックが視線を交わす。ジャックはそのままカーターに目配せした。合図を受けた彼は、今度こそ完全に結界を解くと、広げた符を回収する。その前でジャックが幽霊を見上げ、厳かに唇を開いた。

「もう、戦いが終わったからだよ」

「少年」の疑問への答えは、重々しく響いた。生者も死者も等しく黙りこんでしまうほどの冷たさが森の一角を満たす。

「戦争が終わって、君たちの国の一部が帝国の一部になった。その後に、『勇者へ贈るうた』のことが帝国へ伝わったんだろう」

(うそだ)

 泣きじゃくるような一声が、ジャックの言葉をさえぎった。彼は反論するでもなく圧倒されるでもなく、ただ静かに口を閉ざす。

(おれは信じない。帝国人はすぐうそをつく。だから、それもうそだ)

「そうか。それは困ったね」

 ジャックはいつもの笑顔で肩をすくめる。その隣に並んで立ったレクシオが短く息を吐いたのは、直後のことだった。

「帝国人は嘘つきか。戦争のときもいっぱい嘘をついたのかね」

(ついただろ。おれは、おれたちは知っているぞ)

「そうか、そうか。じゃあ逆に訊くけど、君は一度も嘘をついたことがないのかな?」

「少年」が虚を突かれたように黙りこむ。オスカーたちやナタリーたちも怪訝そうに顔を見合わせた。ステラは心の中で「あちゃあ」と頭を抱えた。

 彼らの反応を意にも介さず、レクシオは淡々と続ける。

「心当たり、あるだろ」

(……しらない)

 声が一段低くなる。それでもレクシオは黙らなかった。それどころか目を細めて、言葉をより鋭くする。

「誰だって嘘はつくし、汚いところだってある。そこに帝国人もティルトラス人も関係ない。それなのに、根拠もなく話をちゃんと聞きもしないまま『嘘つき』呼ばわりするのは、ちょっとおかしいんじゃないかい?」

(うるさい)

「少なくとも、君らの国が帝国に負けたのは事実だ。その戦争から時が流れたことも。ずっとこの森に留まっている君なら、それくらいのことは承知していると思ったけどな」

(だまれ、だまれ!)

「少年」が喚きだす。まるで、レクシオのまっすぐな視線と言葉に押されたように、ステラには見えた。幼馴染は今度、口を閉ざした。

「ねえ、ぶちょー。これ大丈夫かな」

 ひそめた声が聞こえてくる。結界があった場所にいるブライスだ。彼女にささやきかけられたオスカーは、レクシオとジャックの方を見つめたまま「さあな」とかぶりを振る。

「けど、あいつらに託すしかねえよ。なんだか知らないが、幽霊たちの事情を最も把握しているのはエルデなんだ」

 言葉の終わりに、オスカーがじろりと目を動かした。それが自分を捉えていることに気づき、ステラは頬を引きつらせる。さすがに今回はごまかしきれなかっただろうか。そんな考えが頭をよぎったが、次のオスカーのささやきですべてが吹き飛んだ。

「それに、なだめる方はジャックに任せるつもりだろう。あいつほど口達者でかつ、相手を前向きな気持ちにさせられる奴はいないからな」

 ステラは立て続けにまばたきした。その目の前で、ブライスも意外そうに瞳を丸くしている。またオスカーににらまれてしまったが、彼女たちは気にせず二人の少年の方へと目を戻した。

「君は、ティルトラスの少年兵だったんだよね」

 ちょうど、噂の少年が朗らかに声を上げたところだ。「少年」の息をのむような気配が伝わってくる。

「長い旅をして、その間にも何度も戦ったんだろう。そのたびに敵も味方も死んでいくところを見たんだろうね。それでもここまで辿り着いたんだね。僕が君と同じ年の頃は、そんなことできなかったと思う――尊敬するよ」

(……あたりまえだ。おれたちは、ティルトラスのえらばれた戦士なんだからな)

「少年」の声がわずかに弾み、初めて幼さのようなものがのぞく。彼に相対している二人も表情をほころばせたが、ジャックはすぐに笑みを消した。

「だけど、この森でもっとたくさんの人が死んだんだよね。そして――君自身も」

 今度、「少年」は答えなかった。

 ざわり、と木々が鳴る。草葉をそよ風がなでていく。幽霊の力でも魔導術でもない、自然の風が。

「戦いの中で死んでいくというのがどういう感覚なのか、僕には想像もつかない。僕は戦争に出たことがないから。帝国はずっと戦争をしていないから」

(せんそうが、ない)

 噛みしめるような「少年」の呟きに、ジャックは目を閉じてうなずいた。

「戦争がないんだよ。ティルトラスとの戦いが終わって、その後も何度も戦いに勝って、それからは――ずっと」

「少年」は答えない。声を詰まらせているようだった。少なくともステラにはそう感じられた。

「辛くて苦しくて、敵のことが憎くて……だから君は、死んだ後もここに留まりつづけたんじゃないかい? その間も苦しくて、逃れたいのに逃れられなくて。きっと、自分じゃどうしたらいいかもわからないんだよね」

 時折、をとりながら、ジャックは諭すように呼びかける。かといって、厳しさや冷淡さはさほど感じられない。

 一分ほどの空白。その後に、風とまごうほど小さなすすり泣きが聞こえてきた。それは間違いなく「少年」のものだった。

(わかんねえよ。そんなの知らないよ。もうここにはいたくないのに、なんでか離れられないんだよ)

「本当は離れたいんだね」

(あたりまえだろう。今でも、血が見えるんだ。仲間のしんだ顔がみえるんだ。そんなの、いやにきまってるだろ。……いやだよ、こわいよ……)

 すすり泣きは嗚咽に代わり、とうとう「少年」は大声を上げて泣き出した。肉体を持たぬ者の泣く声は、細く、遠くまで響き渡る。ステラは目を伏せた。視界の端で、シンシアが少し顔を背けているのが見えた。

(離れられないだけじゃないんだ、へんな声が聞こえてきて、おれたちを追いかけてくるようになったんだ。もういやなのに、きえたいのに、そうさせてくれないんだ! たすけて、たすけてよう。とうさん、かあさん、たすけて……!)

 思考を直接刺されたようだった。ステラは瞠目して幼馴染を見る。ジャックを見守っていた彼も、驚きと警戒を含めた目を返してきた。

 ジャックは「少年」に意識を向けたままだったが――泣き声が少し落ち着くと、静かに言葉を落とす。

「君の願いを完全に叶えられるかどうかはわからない。だけど、その『変な声』を君から遠ざけることなら、できるかもしれない。試させてくれないかな?」

(ほ、ほんとう……)

 言いかけて、彼は途中で黙った。先ほどジャックの言葉を突っぱねたことを思い出したのだろう。そのジャックの方は、穏やかな表情のまま待っている。やがて、「少年」の方が声音をやわらげ、話を意外な方向へ持っていった。

(おまえ、帝国人じゃないだろ)

 彼がおまえと呼んだのは、ジャックではなくレクシオだった。「少年」の姿はまったく見えないのに、なぜかステラにはそれがわかった。ほかのみんなも何か感じたらしく、驚きの表情をレクシオに向けている。そして、本人も目を白黒させていた。

「俺? まあ、考え方次第じゃそうかもしれないけど……急にどうした」

(おまえ、たいちょうと話してたやつとおなじ顔だ。名前もおなじだ。あいつは帝国人じゃなかった。だからだ)

「名前も? ああ、なるほど」

「少年」の言葉を聞いてステラは頭がこんがらがりそうになっていたが、レクシオの方は何かしら納得したらしい。急に落ち着いた態度で「少年」の気配のある方を見つめた。

「で、それがどうしたんだ」

(帝国人じゃないのに、なんでそいつらと一緒にいるんだ)

「なんでって。俺の故郷が帝国領で、そこで生まれて育ったから。あとクレメンツ帝国学院に入ったからか? 今のところ戦争をしてないから、入学するのに人種関係ないしな」

(……せんそう、ほんとうにないのか)

 短い間、「少年」は何か思案したふうだった。それが済むと、改めてジャックに向き直った――感じがする。

(帝国人じゃないそいつにめんじて、一回だけしんじてやる。ほんとうに声をおいはらえるの?)

「できるとも。君も一回体験しただろう」

 驚き、そしてつかの間ひるんだような空気が伝わってくる。ステラは、半歩前に出た。そしてジャックたちの見ている方を見据える。

(かみさまの力)

 声はなかった。けれど、彼は確かにそう言った。

(かみさまなら、声をおいはらえるんだな。そうなんだな。早くやってくれ。苦しいの、いやだから。お願い、だから)

「少年」が急に切羽詰まった様子で言い出した。その懇願を受けて、ジャックがひとつうなずく。彼の目配せに気づいて、ステラは剣に手をかけた。

 あとは自分にかかっているのだ。どれだけ穏やかに、彼らを苦しめることなく黒幕の力を跳ね除けられるか。

 確実に成功する保証はない。けれど、やるしかない。

 己に言い聞かせて、ステラは剣を抜く。ゆっくりと、だが確かに、銀の光が刃の部分にまとわりついた。

(ああ……)

 感嘆の声がする。その方に向かって剣を構えた――そのとき。


『何をしている』


 鉛のような一声が落ちてきた。

 ささやくような呼びかけ。だが、ジャックたちが一斉に耳をふさぎ、ステラもふらつくほど重い音だった。

「少年」が苦しげにうめいた。

『惑わされるな。そいつらを憎め。怒れ』

 気配が変質する。笑い声が響いていた頃の、まがまがしいものへと。

「まずい……!」

 カーターが叫んだ。彼は符を取り出そうとしたようだが、のしかかる「何か」に押されてふらついた。転びそうになったところをトニーに支えられる。

『殺せ。全員殺してしまうのだ』

 まさに悪魔のささやきだった。落ち着いていた「少年」が一瞬でどす黒く染まったのを、ステラは察する。

 同時に――彼らの裏に潜んでいる黒幕の力もつかんだ。今度こそ、しっかりと。

「やっぱり、あんたたちか!」

 頭の中が熱くなる。一瞬、何も見えなくなった。

 代わりに思い出すのは、満月の夜のこと。人の姿をしながら、人ならざる力を持った者たち。

 彼らに対抗できたのは『翼』の力だけだった。ならば彼らを追い払えるのも、やはり自分だけなのだ。

(いやだ、いやだよ!)

「少年」が泣きじゃくる。その方をにらみすえ、ステラは剣を振りかぶる。

 ――ごめんね。

 瞼を下ろす。心の中でささやいて、その剣を振り下ろした。

 軌跡を描いた銀光が広がって弾ける。一帯をのみこんだ光は、やがて森を貫いて空へと昇った。女神の魔力は、それからゆっくりと薄れてゆく。

 そして、ステラが剣を完全に下ろした頃――()()()()()の悲鳴を道連れにして消えた。

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