3月1日、晴れのち星
3月1日は、私こと砂塚聖の同級生でもあり、うちの居候でもある栗橋莉亜の誕生日。
たまに……ううん、しょっちゅう訳の分からない事を言ったり何を考えているのか分からない事をする人だから、純粋が故に裏をかくという事が出来ない。
だから私は今、遠回しにではなく、ストレートに質問しているつもりなのだけど……。
「プレゼントは何がいい?」
その問いかけに対し、商店街を歩きながら、栗橋さんはうーんうーんとずっと唸っている。
高校卒業後、家庭の事情で実家に住むことができず、かといって金銭的に短大に通いながら独り暮らしもできないということで、栗橋さんは2年間だけうちに居候している。
ただ、それはつまり残り1ヶ月ということ。だから余計に、例年より思い出に残る物をあげたいと思っているのだけど、栗橋さんにはそんな背景が伝わるわけもなく……。
「えっとねぇ、20歳になるから、蝋燭が20本立ったケーキが欲しいなぁ。でも、ホールケーキは高いから、ホットケーキでもいいよー!」
「……それはプレゼントではなくて、誕生日ケーキでしょう? それに、誕生日ケーキ代わりにホットケーキを食べるなんて聞いたことないわ」
驚いた顔をされて、驚いてるのはこっちなのだけど……。しかも、蝋燭20本なんて立てたとしても穴ぼこだらけ。想像しただけでも、ちょっと鳥肌。
「難しいなぁ。プレゼントかぁ……。高価な物はいらないよ? お金より気持ちがこもってる方が嬉しいからねぇ。手作りの何かとかさ……あ、手編みのマフラーとか嬉しいなぁ! ほら、私のマフラー、もうごわごわだからさぁ」
「3月よ? いくらなんでも3月にマフラーもらっても困るでしょうに……」
また驚かれてため息が漏れる。自分の誕生日を考えて発言しているとは思えない。だけど、本当にあげたら春になっても「聖ちゃんがくれたんだもーん」とかなんとか言って巻き続けそうで怖い。だから却下。
「じゃあね、じゃあね、メッセージカードだけでも嬉しいよー? カードって意外と高くてさぁ、確か300円くらいするんだよー。それ考えたら折り紙に絵描いたりさ、一言メッセージ書くだけで充分だと思わない?」
ドヤ顔された……。私が折り紙に絵を描くところが想像出来るの? だとしたらものすごい想像力に敬服するわ……。幼稚園児じゃあるまいし。
まあその発想は、さすが保育化ってとこだけど。……ううん、高校時代の栗橋さんでも同じこと言うかもしれないわね。4月から学童保育クラブで働くとのことだけど、実際追い出されなければいいなと心配が尽きない。
「あぁ、そうそう! この前、シャーペンの芯がなくなっちゃって、友達に1本もらったんだけど、勉強しないくせになくなったの? って笑われたんだよねー。あはははは」
……その通りね。
「……で、なんなの? まさかそれを……」
いい加減しびれを切らした私が冷ややかな目を向けると、さすがの栗橋さんも「ち、違うよぉ?」と、慌てて両手をバタつかせた。
そうこうしているうちに、今日の目的の店に辿り着いた。『そば処 しろたに』という、褪せた紺色ののれんがかかっている。栗橋さんの大きな垂れ目がパアッと輝いた。
「よかったぁ! まだお昼休憩じゃないみたいだよー! 聖ちゃん、行こ行こっ」
駆け出しそうな勢いの栗橋さんに手を引っ張られ、つんのめりそうになりながらも着いていく。風情のあるガラスの引き戸がガラガラ音を立てた。
「いらっしゃいませー。……あら、莉亜じゃない」
割烹着に三角布姿の元クラスメイト、城谷郷奈が、栗橋さんににこにこと手を振っている。私もいるんですけど……。ちょっとイラッとしながらも、ぺこりと頭を下げた。城谷さんは今気付きましたよと言わんばかりの表情で「あら、砂塚さんもいらっしゃい」と真顔になった。露骨だ。
「郷奈ちゃーん、私カツどーん!」
席に着くや否や、栗橋さんはここの名物を大きな声で注文した。そばをすすりながら睨んできた隣のおじさんに申し訳なさを感じつつ、「私も」と城谷さんに告げる。
「はい、カツ丼2つね。莉亜、引っ越しの準備はどうなの?」
オーダーを取るついでに、城谷さんは栗橋さんに近況を尋ねた。栗橋さんはそれに「だははー」と答えただけだった。それだけでも城谷さんには通じるらしく、「でしょうね」と苦笑いをして厨房へ入っていった。
はっきり言って、私は城谷さんが嫌いだ。城谷さんも私が嫌いだろう。絶対嫌いだ。
嫌がらせこそしてこないものの、高校時代から私をライバル視していた。栗橋さんが私になついているのがおもしろくないらしい。それからというもの、成績やらなにやら、なんだかんだと突っかかってきて面倒くさかった。
そんな事情を知っておきながら、栗橋さんは私と城谷さんを遠ざけようとはしない。むしろこうやって、城谷さんのご両親が経営しているお店へ誘うのだから。
「栗橋さん、さっきの話の続きだけど……」
「話? えっと、なんだっけ? カツ丼?」
おめでたい。羨ましいくらいおめでたい。カツ丼に気を取られて誕生日プレゼントの話を忘れておきながら、カツ丼の話かと聞いてくるだなんて、羨ましいくらいおめでたい。ここのカツ丼回数券があればプレゼントしてやろうかとさえ思った。
「違うわよ。プレゼントの話」
「あー、そうそう! えっとねぇ、うーんとねぇ……」
再びシンキングタイムに突入する栗橋さん。分かりやすく腕組みすら始めた。うんうん唸っている間、私は神棚の隣に設置されているテレビを見ていた。
「お待ちどうさま。カツ丼です」
結局、カツ丼がゴトリと置かれるまで、栗橋さんはずっと唸っているだけだった。どうせカツ丼に目がくらんでプレゼントの話なんて忘れるんだろうな、と小さくため息をついた。案の定お目々をキラキラさせている。
ふと見ると、同じのはずの2つのカツ丼は何かが違った。なんだろうと見比べてみると、私のお盆にはない物が栗橋さんのほうだけあった。
「あれぇ? 郷奈ちゃーん、これおはぎぃ?」
厨房に戻りかけた城谷さんが振り返る。隣のおじさんも怖い顔で振り返る。ごめんなさい、おじさんうるさくてごめんなさい。
「あぁ、もうすぐ誕生日だからおまけよ。プレゼントは別に用意してあるから、当日に持っていくわ」
「えー、ありがとー!」
栗橋さんの満面の笑みを見て、城谷さんも満足げに微笑んだ。背を向ける直前、私への勝ち誇った顔も忘れずに。私はわざと、しらけた顔をしてやった。
2人同時にいただきますをした。タヌキ顔の栗橋さんが、リスのように頬を膨らましている。おもしろい。
我が家にいる時もそうだが、栗橋さんは好物を食べている時は目一杯頬張る。逆に苦手な物はちょびちょび口にするのでとても分かりやすい。居候の身だからか食事を残すことは一切しなかったが、特にキノコ類は涙目になりながらいつまでももぐついていたのでとてもおもしろかった。
「ひょういえばひゃ、ひりりひゃん」
頬袋をぱんぱんに膨らませたまま、タヌキリスが顔を上げた。
「何? 飲み込んでから聞くけど」
タヌキリスがおとなしくなる。こちらをじっと見ながら必死にもぐついている。なんなのだ?
「あのねあのね、思い出したことがあってね」
私はお吸い物をすすりながら、目線で応答した。
「聖ちゃんとさ、卒業旅行行ってなかったよね?」
「高校の? そうね、お互いアルバイトもしてなかったし」
「うん。でね?」
栗橋さんがずずいっと身を乗り出してきた。ちらりと目線が上がる。私もその視線を追いかけた。
その先にはテレビ。ちょうどお昼のワイドショーで、デスティニーランドのシャンデレラ城が映っていた。新しいイベントがどうのこうので盛り上がっている。
「行きたい!」
「……見えないの? ものすごい込んでるわよ? 今の時期なんて特に、考えることみんな同じだもの」
全国から卒業旅行で集まるデスティニーランド。小さい頃に一度だけ行ったことがあるが、あまり覚えてはいない。どこでも何でも並んだ記憶だけだ。
「えー、行ってみたいよぉ。連れてってよぉ」
「イヤよ。ただでさえ年中込んでいるのに、わざわざこの時期に行かなくてもいいじゃない」
「えー……だってさぁ……」
私は聞き流し、再びお吸い物をすする。栗橋さんはぶつぶつ言いながらまたカツ丼を頬張り出した。カツ丼に気を取られて、デスティニーランドのことは忘れてしまうのがオチなので放っておくことにする。
「ひりりひゃんは行ったことあゆかもひえないけろひゃぁ、わらひは行ったことないんらからひゃぁ、わらひのたんろうびとひょちゅぎょうろこうってことでひゃぁ……」
諦めきれなかったのか、またもタヌキリスは頬袋をマックス膨らませたまま抗議してきた。隣のおじさんをチラ見する。お会計に席を立つところだった。目が合ったがすぐに逸らした。
「……行ってもいいけど、空いてる時にしましょうよ。誰も行かないとは言ってないでしょう?」
タヌキリス栗橋の鼻息が荒くなった。急いで咀嚼しているらしい。注意されたことをすぐに忘れる習性があるが、すぐに思い出す習性も兼ね備えている。要はよく考えずに行動しているということなのだけど。
知らん顔で食べ続ける私に、目だけで訴えてくる。しばらくしてゴクリと飲み込むと、栗橋さんはようやく口を開いた。
「考えてみてよ、聖ちゃん。聖ちゃんは四大だからあと2年あるけどさ、私は今年卒業して働き出すんだよ? 私は3月中に聖ちゃんち出るんだし、お互い働き出したらなかなか行かれないよ? 今度今度って言ってると、その今度は二度と来ないことだってあるんだからね?」
珍しくまともなことを言っている。というか、珍しく怒っている?
考えてみれば、栗橋さんの家庭は複雑なのだ。小学生の時に家族がバラバラになったので、帰るところを失っている。
だからきっと不安なのだろう。戻れないことをしっているから……。
「分かったわ。誕生日プレゼントはデスティニーランドね。その代わり……」
「ほんとっ? やったーぁ! 聖ちゃん、ありがとー!」
続きも聞かぬまま、栗橋さんはあっという間に丼をたいらげた。嬉しそうにおはぎも頬張る。口端のあんこはあとで取ってあげることにした。
城谷さんの射貫くような視線はさっきから感じている。だから、店を出たら続きを言おう。
その代わり、うちを巣立っても、たまには帰ってきてよね、と……。