58 ラヴァースの『約束』
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むかし、むかし。
まだほとんどの人々が、魔力を持って生まれていた頃。
魔力の権化たる精霊も共に暮らし。
魔物という脅威はありましたが、それぞれが勇敢に立ち向かいながら平和に暮らしていました。
魔力というものは、神々が魔物に対抗する術として人々に授けたもの。
いわば、光の力。
魔力をもつ人の中でも特に。
己の心を律し、闇に心を明け渡さないことで徳を積み、それを修行とすることで強い魔力を保つ者たちがいました。
人は彼らを魔法使い。
そして、魔法使いたちを束ねる者を大魔導師と呼びました。
そんな、ある日のこと。
『魔物が……?』
『ええ、そうなの』
『それは、たしかなの?』
『間違いないわ、この眼で視たもの』
当時。
誰よりも勤勉に働き、また魔物の脅威を数多く排除した大魔導師には六人の弟子がおりました。
魔物に襲われた地域に自身の食糧をも届け、食欲を律した節制の魔女。
美しい見た目に惑わされた男たちの誘いなどなんのその。
色欲に打ち勝つ強い心をもつ、純潔の魔女。
他者の持つものを望むことなく、自身の手で掴むことを良しとした寛容の魔女。
他者の心に怒ることなく、その原因を共に探ることを良しとした忍耐の魔女。
魔法使いが優れているのだと吹聴せず、己の役目を粛々とこなした謙虚の魔女。
そして、人々からその美しさで羨望を集めるだけでなく、どんな時も自分を後回しにし、人々の助けとなった人徳の魔女。
六人の弟子たちが、魔物の不可思議な動きを目の当たりにします。
『魔物が……、理性のないと思っていた魔物が、手を組む。そんなことが』
『彼らは圧倒的な力には従順ですから。……強い魔物が、現れたのでしょう』
闇の力を原動力とする魔物にとって、人々は邪魔な存在。
また、理性はなく衝動のままに襲う生き物。
手を組んでしまっては、いかに魔法使いたちでも大変です。
『お師匠様、いかがなさいましょう?』
『……そうだな、ここは──』
『わたくしに、お任せください』
『ヴィダ? なにか、策でもあるのかしら』
『皆さま、わたくしを信じては頂けませんか?』
『なにを』
『わたくしを信じて……、魔力を預けてはくださいませんか?』
人徳の魔女ヴィダは、その類い稀なる才能と、人々の役に立ちたいという真摯な想いが神々に通じ、己の心を堕とすことなく闇の魔法を扱えるようになっておりました。
闇の魔法とはすなわち、他の魔力を奪う力。
それを、自身で制御しうるほど、彼女は才に恵まれておりました。
『ヴィダ』
『大丈夫ですわ、お師匠様。……どうか、わたくしを信じて』
孤児であったヴィダは、育ての親である師を誰よりも慕い、また誰よりも愛していました。
かくしてヴィダは、あやうく全ての人類が滅ぶところであったのを、己の機転で乗り越えます。
五人の弟子の魔力を携えたヴィダは、圧倒的な力で魔物を葬り。
そうして、師から感謝の言葉をもらうのです。
ヴィダは、満足でした。
いつ如何なる時も他人のために働き、自身が休まることのない最愛の人の役に立てることを。
大きな力を持たない人々からの賛美も。
共に修行を乗り越えた弟子たちからの、賛辞も。
己の命があることも。
しかし、……ヴィダは。
ヴィダだけは、知りませんでした。
師と同じように自分の時間を削っていた彼女は、弟子たちに魔力を還す際に、こう言われます。
『──良かった。これで、お師匠様も憂いなく婚姻が結べるはず』
ヴィダは、体がまったく動きませんでした。
それどころか、思考も。
『アセディア……、それは……どういう、……ことかしら……?』
『ヴィダは忙しかったものね。お師匠様には、魔力を持たない最愛の人がいるのよ。彼女が生きやすい世界になれば、お師匠様もきっと喜ぶはず』
ヴィダは、ここで初めて疑問をもちます。
はたして自分は本当に、他人のために身を粉にして修行をしていたのかと。
最愛の師に愛されたかった……。見返りを求めていたがために、これまで努めてきたのかと。
本当は、自分より弱い者を守ることに不満があったのではないか?
本当は、彼らを見下していたのではないか?
そんな、何者でもない人物に最愛の人を奪われて、憎いのではないか?
自分は、本当に善人なのか?
まさか。そんなことはない、と己を奮い立たせたものの。
真実というものは時に残酷で。
彼女のこれまでの徳というのは、ある出来事で簡単に消え去りました。
それだけではありません。
彼女の働きにより神々が授けた闇の魔法は、心の弱みにやすやすと付け入るのです。
『っヴィダ……、どうして……!』
彼女の積み上げてきた徳というものは、闇に堕ちれば嫉妬の感情へと変わってしまいます。
『お師匠様……。わたくしにも……。わたくしにも、分からないのです……』
これまで抱いたことのなかった感情は、易々と彼女を支配します。
ヴィダは、大魔導師の最愛の人を闇の魔法で殺してしまったのです。
『こんな力、……魔力なんて、なければ良かったの……?』
彼女の言葉を聞きいれた闇の魔法は、すべての人を呪ってしまいました。
魔力を奪い。
そして師を奪われたくない思いから、力ある者へ『嫉妬』の感情を持つよう人々に呪いをかけました。
『ヴィダ』
『お師匠様。わたくしは、なにを違えたのでしょうか』
『なにも、間違ってなどいない。ただ、運命に従っただけだ』
『運命? 運命というものがあるのならば……、なぜ。なぜ、わたくしは』
──あなたの愛を享受できなかったのでしょうか?
それこそ、運命が間違っているかのように。
彼女の心は闇に支配されました。
世界は闇に包まれ、魔物も奮起し、再び人々を恐怖に陥れます。
あれほど人々に慕われたヴィダは、一夜にしてすべての人から憎まれました。
しかし。
ヴィダを殺そうにも、闇の魔法とは奪うもの。
魔法は通用しませんし、武器は見えない影に取り上げられてしまいます。
そこで大魔導師は言いました。
『私が、持たざる者になれば、満足か?』
『なにを』
『この力と心を共に、精霊に預けよう。そうすれば永劫、人々が魔物に恐れることはない』
『……それでも』
『私が何も持たなければ、お前の心に闇は訪れまい』
嫉妬という心に囚われたヴィダを救うには、大魔導師が何も持たなければ良いのです。
魔力も、心も、それから……命さえも。
『ならば、……わたくしから守ってみせてくださいませ。魔力のない人も、魔法使いも』
『ああ、約束しよう』
大魔導師は己の魔力をもっとも力の強い四大精霊に託し、それと共に心も預けました。
色欲に打ち勝つ勇気と希望を、炎の精霊イグリースに。
強欲に打ち克つ平穏な心を、水鏡のように運命を視とおす水の精霊イフェイオンに。
傲慢さを捨て、怒りよりも喜びを分かち合う心を、風の精霊アヴラに。
そして、怠惰に打ち克つ勤勉さと。
もっともヴィダが欲した愛の心を、地の精霊ラヴァースに。
なにも持たざる者となった大魔導師は、最期にヴィダへと口づけし。
二人は永遠の眠りにつきました。
すでに放たれた闇は戻ることなく、すべての魔力は呪われる。
人が愛の証を授かるとともに、魔力は失われていくでしょう。
しかし、悲観することはありません。
五人の弟子たちが、精霊と共に生き、そしてそれを後世に伝えようとします。
特にヴィダの望む愛を司る地の精霊。
ラヴァースには二人の弟子が魔力を明け渡し、そして樹を植え願います。
──せめて、生きる力は失われないように。
精霊が消え去れば、この世はどうなるか分かりません。
ヴィダは、眠りについているだけなのですから。
それでも、ヴィダを育んだ魔法使いたちがこの先どれだけ蔑まれても。
嫉妬の感情が向けられても。
ヴィダの力を理解した魔法使いが現れても。
受け継がれていけばきっと。
彼女の力が及ばない、異なる理をもつ魂が現れることでしょう。
なにせ神は、ヴィダに力を与えたことに……後悔しているのですから。
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