表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/180

政治とスポーツ

政治とスポーツ


前稿にて私見を含めて言論について述べたので、本稿では、各論的にスポーツを取り巻く言論、その前提について取り上げます。


全くの私事で恐縮ですが、私が「東側」という言葉を意識したのはロサンゼルスオリンピックの時です(年がバレるな)。


後年、商業オリンピックのハシリ、と功罪が語られることになる大会で、ロケットマンが宙を舞うなど華やかな開会式が注目されましたが、この大会に東側各国は参加していません(当時、ソ連と距離を置いていた中国は参加)。


理由は、ロス五輪の前回大会であるモスクワオリンピックを西側などがボイコット(日本も不参加)したことに対する反発と考えられています。


そして、西側がモスクワ五輪をボイコットした理由は、大会開催の前年から始まったソ連によるアフガン侵攻への批難と、大会開催を前にしても終結の見込みが無く、平和の祭典開催国として著しく不適当とする主張に基づいています。


このモスクワ五輪ボイコットの判断は多分に政治的なもので、日本では選手団が最後まで参加を希望していたほか、イギリスやフランスなどの選手は、国家代表としてではなく、各国のオリンピック委員会として参加・活躍しました。


ロス五輪への東側不参加も当然ながら政治的判断で、モスクワ五輪ボイコットへの反発(公的にはロス五輪開催の前年に起きたグレナダ侵攻への抗議、としています)に加え、ロス五輪に至っても終わりの見えないアフガンを理由に、参加を拒否される屈辱的事態を事前に回避した。とも言われています(実際にそのような動きがあったかは不明)。

流石に東側からは、国家の意向に反して参加した選手はいませんでした。


選手にしてみれば、戦争などへの批難は批難として、4年に1度しかない世界最大のスポーツイベントへの出場機会を奪われては堪らないでしょう。当然、参加できるものなら参加したかったというのが本音だとおもいます。


政治とスポーツは別。

北京冬季オリンピック・パラリンピック関連でこの言葉をよく耳にしました。


残念ながら、厳然たる事実として、

政治とスポーツは別ではありません。


別であるべき、とする理念は正しいでしょう。

しかし、現実は真逆です。瑣末な例で言えば、メダリストを自治体首長などが表敬訪問させるのもスポーツの政治利用であり、これが国家規模ともなればスポーツは代理戦争の場なのです。


特に、冷戦期、東西を代表する米ソはオリンピック大会毎に激しく金メダル数争いを繰り広げました。

直接戦火を交えれば人類の滅亡にすら繋がりかねない両者にとって、世界が注目する五輪は、米ソ宇宙開発競争に並ぶイデオロギーの優劣を決する場であり、負けることが許されない戦場だった(少なくとも東側はそう考え、利用していました)のです。


冷戦はとっくに終わって状況は全く違う。と思われるかもしれませんが、変わったのは中国の台頭くらいで本質は同じです。

国威発揚にスポーツは効く。

冷戦後、唯一の超大国となった米国に五輪で勝てば、大なり小なり胸のすく思いをするのはどの国でも同じでしょう。

米にしても、経済効果を生み、政権の支持率にも繋がるメダル獲得に無関心でいられる理由がありません。


ここで経済効果と言いましたが、五輪は元々「アマチュアの祭典」として、1970年代まで一切の商業的要素を排した大会でした。


アマチュアリズム、と言えば聞こえは良いのですが、現実問題として、参加できるのは、海外遠征費用などを私費で賄える裕福なスポーツマンなど極一部に限られ、女性の参加率も低く、貴族の道楽扱いされることもあった一方、ステートアマと呼ばれる国家から報奨金を得ることは容認されるなど様々な課題を抱えていました。


転機となる事象は幾つかありますが、最大のものは’76に開催されたモントリオールオリンピックでしょう。

開会前から色々ケチの付いた大会でしたが、これまた様々な要因が重なって開催費用が嵩み、大赤字を計上してしまいます。ちなみにこの大会、開催国有利なメダルレースで、開催国でありながらカナダの金メダル獲得数が0となり(夏季オリンピックで開催国0は、この大会が唯一)、まさに踏んだり蹴ったりの結果でした。


呪われた(失礼)モントリオール五輪を見て、開催地候補は尻込みします。

アマチュアの祭典であるがゆえに、開催自治体は巨額の借金を背負うこととなり、平和の祭典でありながら、様々な政治的トラブルに巻き込まれる。五輪は非常にリスクの高い大会だったのです。


次の五輪はモスクワに決定していましたが、その次が決まりません。存続の危機に瀕したオリンピック委員会は、唯一の開催立候補地、即ちロサンゼルスを受け入れるしかありませんでした。

「しかありません」このようなネガティブな表現となったのは、開催の財源を自治体に負担させず、スポンサー企業などから商業的収入として得ることが明らかだったためです。


IOCからは、五輪の商利用に反対する声が開催決定以降も断続的に上がっていましたが、大会委員長に就任したユベロスが説得するなどして抑え込みました。


ロス五輪の成功は、大会委員長ユベロスの功績に寄るところが極めて大であると思います。


「五輪は儲かる」という印象を世界に与えた大会ですが、ユベロスの狙いはむしろ真逆で、既存施設を活用するなどお金をかけず、政府や自治体からのお金を受け入れないことで政治の介入を極力排し、市民の参加を募り、選ばれた一握りのエリートによるオリンピックではない、開かれたオリンピック。

これが建前などではなく、実践されたからこそロス五輪の成功があったのです。


ロス五輪で本当に注目すべきだったのは「商利用」ではなく「税金を入れない」ことでした。

商利用に加え税金が入れば、政治家が口を出し、ジャブジャブと何に使われるか分からないお金が垂れ流され、赤字を国が負担する。

この、商利用もするし、政治とベッタリでお互い利用しあうIOC。という現在のとんでもない流れを作ったのは、ロス五輪でもユベロスでもなくIOC会長サマランチです。


現在のIOCは世界各国の政治に対する影響力と資金を得て、もはや五輪の理念とはかけ離れた存在となってしまいました。


ユベロスのロス五輪は、華やかでありながら、徹底的に無駄なコストをかけない規律の保たれた運営がなされました。

現在のお金塗れの五輪に不快感を持つ方(私も不快に思っています)はロス五輪を槍玉に上げがちですが、むしろ排除すべきは商利用ではなく税金(口出しする政治家)であり、五輪に関わる方はロス五輪の本質を学んでほしいと私は考えています。


政治とスポーツの関係では、ステートアマの存在もあります。国から活動資金や生活の補償を得ているという面で、半ば以上プロという点は、五輪がほぼアマチュア規定を破棄したことから議論の対象ではなくなりましたが、一方で、プロパガンダとして利用されることや、国家が勝利至上主義に陥った場合、ドーピングなどに対する抑止力が働かなくなる側面が否めません。


ドーピングは東西を問わず起こり得る根深い問題で、根絶は不可能です。

さらに、国家ぐるみでドーピングに関与している場合、検出は極めて困難になります。


東側の旧東ドイツは、分断前ナチ政権下のベルリンオリンピックで最多金メダルを獲得したくらいで、あまりパッとした成績は残していませんでした。

しかし、’70年代に入ると五輪や世界選手権などで急速にメダリストを量産し始め、(例の)モントリオール五輪では、金メダル獲得数で米国を抜き、ソ連に次ぐ成績を残しています。

その原動力となったのは陸上競技と競泳です。

特に、陸上競技に関しては、’70・’80年代の世界記録が、ほぼ更新不可能な形で残っているものも多く、関係者を悩ませています。


もちろん「驚異的な」世界記録を残している(念のため申し添えますが良い意味では言っていません)のは西側の選手も同様で、同時代の記録は、全てドーピング検査を上手くすり抜けただけ、という意見もあります(否定しきれないのが残念なところです)。


時代が変わってもドーピングは繰り返され、むしろ政治とスポーツの癒着により、前より酷くなっている面もあります。

ロシアが国家ぐるみでドーピングに関与し、国際試合への参加が認められないにも関わらず、五輪に参加できる不思議。

国旗国歌の使用も認められないハズですが、袖口に忍ばせた国旗をカメラに見せびらかした選手はお咎め無し。

プーチンに至っては開会式に参加して満面の笑み。

政治とスポーツ癒着の構図をあれほどまで露骨に見せつけられるとは思いませんでした。


少女としか言いようのない年齢のロシア選手が、国家の威信を背負わされて五輪の舞台に立ち、ドーピングの発覚により失墜する事件も有りました。

何より哀れなのは、選手だけが矢面に立たされ、本当に責任を取るべき立場の人間は、無関係を貫いていること。

せめて、発覚後は退場させるのが人の情だったのではないかと思いますが、ロシアは最後まで競技させました。

世界中の批難を浴びる中で選手は失速し、それを見たコーチは失意の選手を慰めるどころか詰ったのです。

その姿に、国家がスポーツを利用する最も醜悪な光景と感じました。


また、ロシアはウクライナで戦争中だというのに、直前までパラリンピックに参加する気でいたのも、ある意味凄いことだと思います。


完全に個人の意見ですが、

政治の道具になっているロシア選手や元選手が「政治とスポーツは別」と主張するなどちゃんちゃら可笑しい。

その場でその言葉を使って良いのはウクライナ人だけだ。

と私は思っています。


ロシア選手も政治に翻弄される被害者、とする意見もその通り。一選手が戦争の責任を負わなくていい、と言われれば御説御もっとも。選手を排除したら被害者ぶってるプーチンの思う壷、である事も理解しています。


しかし、それでもです。


少なくとも交戦中、ロシア選手を五輪などに参加させることを認めてはならない。


それはロシアによる侵攻を正当化しているに等しい行為だからだ。

そんなつもりはない。大袈裟だ。政治とスポーツは別だ。と誰もが思う、しかし、プーチンはロシアが正しい証と主張する(した)だろう。

そしてロシア選手が勝利すれば、プーチンのさらなる利益に繋がるのは本稿で示した通り。


選手に罪は無い、被害者だ。

しかし、参加を認めれば加害者になる。

認めてはならない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 東側を認識した時? えーと・・・ベルリンの壁を作られた時です。 えーと・・・今の西暦は・・・外地引揚者や開拓団は? えーと・・・壁の数年後にスプートニク1号が。 エヌエイチケ・・・「只今から…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ