要人警護
要人警護
今回は、アメリカの機密漏洩の件にしようと思っていたのですが、例の爆発の件にかかる質問が多いので、前稿に続きザッと所見、あと爆発ばっかだとアレ(?)なので、要人警護についてお話しします。
岸田総理の応援演説会場で起きた爆発は、その場で被疑者が取り押さえられましたが、少なくとも2本の爆発物が用意されていました。
見る限り2本とも同じ造りの爆発物で、鋼管の内部に爆薬を詰めた、所謂パイプ爆弾と呼ばれるものです。
投擲され、爆発した方の詳細は判然としませんが、後に残された方の形状は20cm程度の鋼管の両端をキャップし、管の周りにボルトなどの金属物を幾つか括り付けているように見えました。
爆薬は爆発後の白煙と入手難度の低さから考えて黒色火薬でしょう。
炸薬量自体は余り多くないように見えますが、上手く(?)作っていたらそれなりの被害が出ていたと思います。
何より、鋼管に括られた金属物は、爆発時に飛散して殺傷力を高める為の工夫です。そこには脅しなどではなく殺傷を目的とした意思が感じられます。
この爆発で被害が生じなかった理由は、投擲から起爆まで時間があったことと、鋼管自体が炸裂しておらず、金属片などが飛散していなかったからだと考えられます。
起爆まで時間がかかった理由はよく分かりません。
意図的とも思えないので製造や手順にミスがあったのかも知れません。
鋼管が炸裂しなかったのは構造上の問題です。
おそらくは両端のキャップが強度的に弱く、鋼管が炸裂する前に抜けてしまい、鋼管は炸裂することなくどこかに吹き飛んだのではないかと思います。(この後、吹き飛んだ鋼管が40mほど離れた所で見つかっています)
これらの状況を鑑みるに、被疑者は爆発物をテストなどしていない可能性も高く、全般的に行為の重大性に反して稚拙というか幼稚さを感じます。
また、総理が襲撃されたという事で、安倍元総理の事件を想起された方も多いでしょう。今回の件が感化された面や模倣していることは否定しませんが、個人的な感触としては京都アニメーション放火事件の方が性質的に近い事件なのではないかとも思います。
まぁ、この辺の話は妄想レベルなので事実関係が明らかになるのを待つべきでしょう。
そもそも、今ここで話していることなど本論からかけ離れた枝葉末節の部分です。
問題は、この稚拙なテロルが半ば成功している事にあります。
この様な爆発物は投げ込まれている時点でほぼほぼアウト。被害が無かったのは完全に運が良かっただけです。
投げ込まれたタイミングで起爆し、炸裂していた場合、死者が出ていたかは微妙ですが多数の負傷者が出ていた可能性が高く、炸裂していなかったとしても吹き飛んできた鋼管に当たっていれば負傷は免れない。
制止すべきSPは最も脅威度の高い聴衆側に背を向け、完全に視線が切れていました。
「視線で制す」という基本中の基本が実行できていない。
不審者を速やかに発見する事に劣らず、視線による抑止効果は心理的にも大きく、凶行を未然に防ぐ上で極めて重要です。
物理的な制止と同様に視線や発声(警告)による抑止は要人警護の基本と言えます。
安倍元総理の事件では聴衆側に目を取られ、背後から接近する山上を抑止も制止も出来ず、あの様な惨事となってしまった。
今回に至っては、SPがあろうことか聴衆側に背を向けるという、目を覆いたくなるような体たらく、、、
昨年の事件から何を学んだのか。
SPは警視庁警護課所属の警護官です。
選抜された警察官が厳しい訓練を経て臙脂のネクタイを着用できるようになる。
彼らの職務は過酷で、ろくに準備もできぬまま初めての環境にも対応し、日本のトップを警護する重積を担わなければならない。
しかし、それでもなお、日本の要人警護は世界的に見てレベルが高いとは言い難い。
ウクライナでゼレンスキーを警護しているSASは言わずと知れたイギリスの特殊部隊です。
長きにわたりアイルランド共和国軍(IRA)とガチでやり合ってきた対テロルのノウハウがDNAに刻み込まれている。これはSASとIRA双方、そしてテロのターゲットとなり、あるいは全く無関係に巻き込まれた方々の生命とおびただしい流血の果てに得られたものです。
テロとの戦いに「平時」などという暢気な概念はありません。いつ何時、誰がどんな形で襲撃されるか分からない。
SASはその様な状況下で戦い、要人を警護してきたのです。
この対テロルの意識、そしてノウハウが日本のSPには全く足りていない。
厳しいようですが、そう断じざるを得ません。
これは警備を増やすとか手荷物検査をやるとか場当たり的な対応でどうにかなる様なものではない。SPの人員を増やすのは結構なことですが、その根本の意識から変えていかなければ効果などありません。
昨年の事件は痛ましい限りでしたが、その中でも一つ、暗澹となる話がありました。
山上は、統一教会幹部を襲撃しようとしたが警備が厳しく諦めた、というのです。どこまで信用できる供述か定かではありませんが、一国の元総理に対する警護よりカルト宗教の方が対テロルの意識が高いと言っているのです。
現実に、SPは何の障害にもならず、山上はたった一度の機会で目的を遂げています。
今回の件も「防いだ」のではない。テロリストが稚拙で幾つもの幸運が重なっただけです。
そして、現在は控え目に言っても平時と言い切れる状況では断じてない。
ウクライナとロシアの戦争に、直接戦火こそ交えていないものの、西側諸国は半ば参戦していると言って過言ではなく、ロシアもそういう目で見ています。
一ヶ月後、その西側諸国のトップがG7として勢揃いするのです。
当然ですが、西側諸国の警備関係者は日本のテロ対策に不安を覚えているでしょう。
ここは、西側諸国の警備関係者に協力を仰ぐべきです。
くれぐれも、平和な日本などと勘違いしてはならない。




