プーチンとスターリン
プーチンとスターリン
ロシア軍は動員兵を既に前線へと送っているようです。
ある程度予想はしていましたが、ロシア軍の現実はもう少し悲惨な状況なのかも知れません。
ロシア政府は当初「特別軍事作戦」に参加するのは職業軍人のみで徴募兵(ここでは平時の徴兵制度により徴募された兵を指します。部分的動員令により徴募された兵は動員兵とします)は戦闘に従事させない、と宣言しておきながら、舌の根も乾かない内に撤回。
動員兵には訓練の後、作戦に参加としていましたが、動員されて1週間も経たず最前線。
8月初頭の数字ですが、アメリカはロシア軍の死傷者を7〜8万人と推計しています。
死傷者とは死者と負傷者に加え、脱走などの兵力減少も織り込んでいるものですが、数字を発表する際に死者と負傷者の合計としていましたので、実際のロシア軍の兵力減少はこれを上回っているハズです。
負傷者数は死者の3倍になることが統計的に推計されます。即ち、死者2万人、負傷者6万人とアメリカは見ています。この負傷者数には戦闘継続可能な創傷は含まれません。
当然ながら、負傷者には医療措置が必要ですし、負傷者と見做されないレベルの怪我でも放置はできません。さもなくば死者の比率は増加し、継戦能力と士気は極端に低下するでしょう。
加えて、余り話題にのぼりませんが、コロナの感染も深刻です。
兵站は人員・装備・補給物資を戦場に展開するために必要な諸活動です。
不快に思われるかも知れませんが、兵士のためにおねーちゃんを用意することまで含んだ非常に幅広い活動になります。後方での事務処理は膨大です。
この兵站の中でも「医療」関連は継戦能力に直結し、士気にも関わる非常に重要なリソース(「医療」は人員・装備・補給物資のそれぞれに包含されています)です。
しかし、当初この戦争を短期戦と目論み、生命の扱いが軽く、糧食すらケチるロシア軍では最低限の医療リソースすら確保できていないでしょう。
動員兵の即時前線投入は、脱走や行方不明、疾病による非戦闘の兵力減少が尋常なレベルでない証左であり、同時に兵站事務が機能不全に陥っていることを示すものでもあります。
ロシア軍は完全に兵站から崩壊しています。
前置きが長くなりましたが、本稿ではプーチンとスターリンの違いについて述べていきます。
スターリンなら核兵器をぶっ放すとしながらプーチンは撃たないとする違いがどこにあるのか、です。
ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ、即ちスターリンはジョージア出身のソビエト連邦指導者です。
奨学金で神学校に通うほど優秀でしたが、神の道を踏み外してマルクスにハマり、レーニンとつるんで強盗から何から一通りやらかした挙げ句、ソビエト初代指導者となったレーニンの死後、自身に権力を集中させ、死ぬまでやりたい放題しました。
事務方トップに過ぎなかった書記長職が最高権力者を意味する事になった原因がこの男。得意技はシベリア送り、冗談抜きで人が万単位で死ぬ。
同時代の「モンスター」であるヒトラーや毛沢東とも外のステレオタイプな独裁者達とも微妙にベクトルが異なっているように感じます。
映像も多く残されていますが中々評価が定まりません。まぁ、確認できている限りでも影武者が4人いたので本人かすら分からないのですが。
スターリンは他人の生命を屁とも思わないだけでなく、自身の子供に対してもほとんど関心を示しませんでした。
これはサイコパスやソシオパスに見られる共感性の欠如ですが、共感性以前に興味がないように思えます。
休暇を楽しんだり贅沢に興味があるわけでもない。これが共産エリートの定番である清貧の偽装とも思えないのです。当然、最高権力者として不自由な生活とは無縁ですが、やりたい放題のベクトルが外の独裁者と異なっています。
スターリンの興味は一貫してソビエトに向けられている。しかし、それはマルクス原理主義とも微妙に異なる。ソビエトを守り、育て、思うまま動かすこと。それだけに執着しているように思えます。
この独裁者の姿をなんと称すべきか、異常性も込めてフリークと言っても良いように思いますが、よりしっくりくるのがオタクです。ソビエトオタ。
スターリンは「ソビエト」を脅かすものに対しては本当に、ハッタリではなく、どんな手段でも行使するでしょう。他人の生命はもとより、自身の身に危険が及ぶとしてもです。自分自身にすら興味が薄い種類の人間。
一番近い人物評はスティーブ・ジョブズかも知れません(ジョブズを侮辱する意図もスターリンを美化する意図も有りませんが不快に思われたなら申し訳ない)。
対して、現在絶賛凋落中のプーチンです。
こっちはステレオタイプの独裁者と言っていい。
他人の生命を屁とも思わないが自分自身は何より大事、、、いや、まぁ、自身より大事な優格観念の有る政治家の方がレア中のレアなのですけどね。
子や孫は可愛いし、国民の生活や生命・財産より休暇を楽しむ事の方が比べるまでもなく重要、国家の財は権力者の私物であり、権力者の意に反するものは全て排除していつまでも権力の座に居座りたい、、、というのは大半の政治家、というより人間の性でしょう。プーチンの思考そのものは娑婆っ気の強い俗物と言うだけで異常とは違います。
この娑婆っ気の強さがスターリンとの違いです。
プーチンには娘も孫もいます。愛人にも複数の子供が確認されています。他人の家庭を壊すことに何の抵抗感も感じないプーチンであっても、自身や子、孫が危険に晒される事には耐えられない。
核兵器の使用は国際社会における地位喪失を意味します。
プーチンの愛人はロシア国外の中立国に子供らと居住していますが、中立国と言えど核使用に対する制裁は非常に厳しいものになります。表向きはどうあれプーチンの家族は国外退去で済めば良い方です。
頼みの綱は中国とインドでしたが、上海協力機構の惨めな会談で既に味方はいないと思い知らされたことでしょう。
そもそも、中国はロシアがこの戦争に勝てるなどと思っていない。
負け犬と肩を並べるような真似は中国のプライドに反します。負け犬は平伏させて踏み台にするだけ、アメリカに対抗する同志だなどと思い上がらせてはならないのです。
それでなくとも冬季パラリンピック直前というタイミングで開戦したプーチンに中国共産党も中国国民も不快感を持っているでしょう。
プーチンにしてみれば、習近平に対し「俺はやりたい時にやりたいようにやる」というアピール(マウンティング行為)の意図も有ったかも知れませんが、完全に裏目に出ました。
習近平に対する風当たりは強くなり火消しに追われた事でしょう。そのロシアが戦争に負けて政体が揺らぐなど目も当てられない。
ロシアに勝ち目のあった時点であれば、まだ話は違っていたでしょうし、戦争での敗北だけであれば手を差し伸べて恩を売る選択肢もありました。
しかし、ロシアの敗北は中国共産党にとって看過できない事態に発展する懸念があります。
政変です。
西側の支援あっての事ではありますが、ロシアが国力1/10のウクライナに負ければプーチンの責任が問われるのは当然として、多くの国民を無駄死にさせた専制的な政体そのものへの反発も大きいでしょう。
私個人の意見としては、ロシア人の国民性から考えると現在のなんちゃって民主主義に変革が起きる可能性は低いと思いますが、それも核兵器の使用が無ければ、です。
核兵器が使用されれば、戦後、国連を通じた政体への介入は避けられないでしょう。
中国共産党にしてみれば、中国寄りの国家が戦争に負けるだけでも威信に傷が付きますが、問題はロシアで起きているデモや暴動。
中国共産党は民主化を想起させる事物は国内外を問わず忌避し、自国民から遠ざけてきました。
それが聞いたことも無い小国ならまだしも、よりによってロシアで起きようとしている。
情報統制には苦慮しているでしょうし、最悪の事態を考慮するなら習近平はロシアに肩入れなどできません。無謬性が求められる国家主席は負ける方にベットしないのです。
核兵器をぶっ放すか否か、プーチンとスターリンの違いは2点。
自分が大事なプーチンとソビエトガチオタのスターリン。
大国とは名ばかりの孤立するプーチンと世界を二分した一方の盟主であるスターリン。
これが分かれ目になります。