謹んでご冥福をお祈りいたします
謹んでご冥福をお祈りいたします
7月8日、日本で衝撃的な事件が起きました。
言うまでもなく、現職の国会議員である安倍元総理大臣が銃撃され亡くなられた事件です。
先ずは、謹んでご冥福をお祈りいたします。
この事件で逮捕された山上被疑者は「特定の宗教団体」に強い恨みがあり、安倍がその特定の宗教団体と親しいと「思い込んで」凶行におよんだ。旨の報道が当初からなされていました。
警察側の配慮なのか報道側の配慮なのか分かりませんが、「特定の宗教団体」とか「思い込んで」といった表現は余計な憶測や混乱を招きます。
この様な大事件では名前を伏せたところで、アッと言う間に暴露され、知れ渡ります。
責任逃れの意味しか無い配慮などいい加減止めるべきでしょう。
ただでさえ、この事件には拭い難い違和感或いは疑念の様なものがあると思います。
まず、誰しもが思うであろう
「宗教団体への恨みで何故安倍元総理を銃撃したのか?」
動機に政治的なものは無いと供述しているが本当なのだろうか?何か背後関係が有るのではないか?
これらを検証するにあたり、宗教団体についてザッと概要をまとめてみましょう。
既に報道にも出ているとおり、宗教団体とは世界平和統一家庭連合ですが、旧称の世界キリスト教統一神霊協会(教会、ではありません)から統一教会の方が通りが良いでしょう。
統一教会は、朝鮮半島出身の文鮮明がキリスト教(中でもプロテスタント)を下敷きにして作った新興宗教です。
教義は非常にオカルティック(現代語では「中二病全開」)で、文鮮明はイエスの再臨にして韓国人は新たに神に選ばれた民なんだそうな。原理原本(統一教会の聖書)にもそう書いてある。
この統一教会、近代カルト新興宗教草分けの一つとも言える団体で、霊感商法が社会問題となり、1990年代初頭、信者となった芸能人やオリンピック選手の合同結婚式は日本中に衝撃を与えました。マインドコントロールという言葉が世間に広まったのも統一教会がらみです。
それが何で日本の政治家、安倍元総理と関係があるという話になるのか?
要因は概ね二つ。一つ目は、文鮮明が反共を掲げていたこと。
朝鮮戦争後、朝鮮半島は南北に二分され、両国の工作活動は活発化していました。世界的に観ても東西間の緊張は高まる一方で、日本・西側・韓国は対抗するために使えるものは何でも使え、という状況。ここで文鮮明は、政治団体「共産主義に勝つための国際連合(勝共)」を設立します。勝共をプロデュースしたのは韓国版CIAであるKCIAとされていますが、日本からも大物右翼らが参画しました。その中に安倍元総理の祖父である岸伸介がいるわけです。
勝共による活動などを通じて統一教会が日本で伸長してきたのは紛れもない事実です。
そして、岸伸介と文鮮明が同じガチガチの右翼であったのも事実です。しかし、時折り見られる「同じ右翼であった岸伸介と文鮮明は親密な関係にあった」といった類いの言説は噴飯物です。
日本の右翼と朝鮮半島出身の右翼は、本来なら相容れない存在です。と言うか「日本を征服し、天皇を平伏させる」と公言して憚らなかった文鮮明を心から歓迎しているとしたら、それはもう右翼どころか左翼ですらなく、ただの反日です。
ソ連への対抗馬としてのヒトラーが国際社会から(表面上)歓迎されたように、政治の世界では呉越同舟・同床異夢なぞ、珍しくもないどころか当たり前の事です。そして、当のヒトラーはスターリンと独ソ不可侵条約を締結し、お互いを讃え合い、世界を驚愕させました。
その、お互いを讃え合ったハズの両者が泥沼の独ソ戦に突入し、ソ連がナチスドイツを滅ぼしてヒトラーを自殺に追い込んだのは周知の事実です。
握手するテーブルの下で互いに蹴り合う世界を表面だけ見て判断するのは稚拙に過ぎます。
「岸伸介が統一教会の拡大を後押しした」とするのは表面しか見ていないのか、或いは意図的にそういう方向に持って行きたいのでしょう。
二つ目が、政治と宗教の関係です。
こいつが非常に厄介な問題なのですが、例によってディフォルメした形で述べていきます。
言うまでもなく日本は政教分離の国です。これが具体的にどういう事かと言えば、
・「国」は特定の宗教団体を特別扱いしてはダメ
・「宗教団体」は政治的権力を使ってはダメ
・「国家機関」は宗教活動してはダメ
・公金を宗教目的に使ってはダメ
憲法にもそう書いてある。
そもそも何故、この様に憲法を以て規制するかと言うと、個人の信仰の自由を守るため(、、、というのは、まぁ、建前なのですが、そういう事にしておいてください)です。こうして規制しておかなければ、特定の宗教団体が公権力を握った場合、他の宗教を排除するなど信仰の自由もへったくれもなくなるかも知れません。
ここでよく勘違い(そしてミスリード)される方がいますが宗教団体が政治活動をすることは規制されていません。少なくとも日本の政教分離においては、宗教団体の関係者が国会議員になることも可能ですし、国会議員に立候補した関係者を宗教団体が応援することも問題ありません。
ただし、宗教団体トップが国会議員になることは憲法違反となる可能性が高いと思います。宗教団体トップが何らかの政治上の権力を行使すれば、即ち当該宗教団体による権力行使に等しいと考えられるからです。その様な事態が生じた場合、形だけでも宗教団体トップの座を退くのではないでしょうか。
カルトに限らず、宗教団体には政治の世界に浸透しようとする強いインセンティブがあります。その意図は様々でしょう。宗教団体の目指す社会を実現したい、カルトというアンダーグラウンドの存在から脱却したい、などなど。近頃話題となった事例で言えば、アメリカの中絶問題も宗教が極めて強い影響を及ぼしています。
小泉元総理が、宗教団体としての創価学会を嫌悪しながら、自公連立を解消出来なかったように、宗教団体の構成員に選挙権がある以上、民主主義国家において政治家は宗教団体の影響力を無視することはできません。
これは、政教分離であるのに宗教の影響を排除できていない。ではなく、政教分離により個人の信仰の自由が認められているからこそ、影響力を排除するのは事実上不可能なのです。
安倍元総理が銃撃された奈良の街頭演説。あの場にどれだけの聴衆が居たでしょうか?演説開始直後ではありましたが、百人を超えてはいなかったように見えました。
しかも、その聴衆全てが応援候補に投票してくれるとも限りません。元総理として最も力のある一人に違いない安倍が応援に駆けずり回り、そうしてようやく数十票、数百票の上積みになるのです。
対して、宗教団体(の関連団体)からメッセージなどを求められたとして、応じた場合と拒否した場合(味方に付けた場合と敵対する場合、と言い換えても良い)でどの様な影響・差異が生じるか、少し考えれば分かります。
統一教会がクローズアップされていますが、宗教団体か否かを問わず、有力な団体に対してやっていることと同じなのです。
山上は安倍が統一教会(の関連団体)に祝辞を送った事で殺意を固めた旨の供述をしているようです。
これは真実なのでしょうか?まず、安倍元総理が祝辞などを送っておべんちゃらの一つも言っている事実はあるのでしょう。しかし、それを以て安倍元総理を銃撃・殺害する!となるのは、余りにも論理が飛躍しすぎています。
おそらく祝辞を送っている個人・団体は複数存在しており、安倍元総理はその中の一人でしかないと思われますし、そもそもの話として山上が統一教会を憎悪する原体験、即ち「母親の統一教会傾倒」と安倍元総理に関連がありません。
個人的には、その祝辞を山上が目にする経緯等を含めて、第三者による何らかの使嗾行為が有ったのではないかと想像するのですが、これに関しては想像というより妄想の域でしかないので、警察や公安の捜査結果を待つしかありません。
各種報道により「母親の統一教会傾倒」は30年ほど前から始まり、そこから様々な悲劇が派生している事が分かってきています。
父親の自殺、ネグレクト、破産窮乏、進学断念、兄の自殺、自身の自殺未遂。
山上が誰かを憎まずにいられないのは理解できます。しかし、安倍元総理銃撃は憎悪の対象としての順序が明らかにおかしい。
母親が統一教会に傾倒した時点では安倍元総理は国会議員ですらなく、地盤も異なります。
マインドコントロールされているであろう母親に対して、酷である事を重々承知の上で言いますが、統一教会が元凶であるにせよ、父親の自殺以降の出来事は全て母親に原因があります。
自分だけが破産し、破滅するのは勝手です。しかし、三人の子供を持ちながら全てを放棄して自己の宗教的安寧を追求するなど、下劣さにおいて詐欺師、、、じゃなかった統一教会とどちらがマシか分からなくなります。
30年の間には、母親自身が統一教会に勧誘し、破滅させた人生や家庭さえあったかも知れません。
山上が強い恨みをもつ「特定の宗教団体」が統一教会であるという一報が入った瞬間、ちょっとしたどよめきが起きました。一時期、カルトの代名詞のように言われていた統一教会ですが、90年代中頃以降はオウムの影に隠れ、信者数も減少して話題に上ることが余り無かったからです。
しかし、山上にとっては現在進行形で悲劇の元凶なのでしょう。日々、テレビを観ればネグレクトや児童虐待のニュースが世間を騒がせていますが、同じような苦しみを受けたのに統一教会の問題はクローズアップされない。
苦しむ山上やその他の人生の上に築かれた統一教会が世間から叩かれることもない。
安倍元総理銃撃は、そんな社会の目を統一教会に向けさせるため、実行されたのではないかと思います。そして、顧みられる事の無い息子による母親に対する存在証明としての銃声なのでしょう。
一部には、狙うなら母親の方ではないか、という声もありました。順序的にはそちらの方が納得のいくものの様に思いますが、山上の供述からは母親への怒りはあっても憎悪が見てとれません。山上にとって、母親はどこまで行っても被害者なのだと思います。
あわよくば、この事件により母親が統一教会に居られなくなり、解放されるのではという思いすら有ったかも知れません。しかし、仮にその様な思いが有ったとしても、この母親の様なタイプが脱退する可能性はほぼありません。むしろ、一層宗教への依存が深まるパターンです。
いずれにしても、何ともやりきれない事件です。