オーメン
オーメン
俺様キングの支持者と言っているけど、MAGAだけじゃなく福音派も支持層でしょ?キリスト教的に俺様キングの不道徳性は嫌悪される様にも思うけど、イスラエルの事とか中絶の事とか宗教上の意見が通るなら大統領の人間性とか問題にしないの?
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん、、、、、、
何度も言ってるけど、宗教の話は、事実とか論理でなく「かくあれかし」の世界が真実になるから気が進まないんだよ。特に、質問の部分は宗教というよりオカルトや陰謀論に近い話になる。
とは言え、、、現実のムーブメントでもあるからなぁ
キリスト教はイスラム教と同じくアブラハム系の宗教であり、ユダヤ教がベースにあるので、細かいところは色々と違うけど、基本的に所謂善性と呼ばれるものを良しとしている。
アセラトハディベローット、10の言葉、即ちモーシェがシナイ山で神から授けられた所謂十戒が有名なとこだけど、ユダヤ教の律法、キリスト教の聖書、イスラム教のクルアーンには様々な戒律や徳目が示されている。
肉の生食はすんな、とか、清潔にしとけ、みたいな生活の知恵も多い、というか基本的に社会を形成し生きていく上で好ましくない事を戒め、好ましい事を推奨する。これらを総じて「善」と称している。当然ながら、イヴァンジェリカルも人の善性を良しとしているし、反するものを嫌悪するところは、宗教的にも個々人としても変わる事は無いだろう。
お浚いを兼ねて十戒を列挙する。
戒1.俺以外に神はいない
戒2.俺のものであっても偶像を拝むな
戒3.意味もなく俺の名前を呼ぶな
戒4.安息日は休め
戒5.とーちゃんかーちゃんを敬え
戒6.殺すな
戒7.不倫すんな
戒8.盗むな
戒9.嘘つくんじゃねえ
戒10.人の物を欲しがんな
補足すると、安息日は日曜日という認識が一般的かと思いますが、これはキリスト教の考えが広まったもので、ユダヤ教では土曜日の事です。
より正確に言うと、金曜日の日没から土曜日の日没までを指します。これは、一日を午前零時で区切るのではなく、日没を基準とする事によります。
12月24日をクリスマスイブ(クリスマスイブニング)と呼ぶのもコレと同じ、即ち、クリスマスイブは12月24日ではなく、12月24日の日没以降を指し、その時点で12月25日、即ちクリスマスであるという事です。
戒7も原典は姦淫するなかれ、まぁ、婚外むにゃむにゃするなって事ですが、ナザレのイエス君は「エロい目で人妻見るだけで姦淫な!」と仰せです。「イエス!ロ◯ータ・ノータッチ!」とか言って笑ろてる連中はキリスト教では有罪死刑です。悔い改めて。
この十戒、ユダヤ教の戒律の中でも重要な位置にあるのですが、聖書の登場人物が結構豪快に破ってる記述も多い。
例えばゴリアテを倒したダビデ王。
ナザレのイエスが、キリスト教でダビデの系譜の中に現れるメサイアとして扱われる事からも分かる様に、ユダヤ教やキリスト教で非常に重要な王として位置付けられています。
このダビデ君、部下の奥さんと不倫して妊娠させた挙句、その部下を戦争で謀殺して奥さん(バトシェバ)を自分のものにしてしまいます。聖書にも凄く生々しく書いてある。
十戒で言うところの6•7•10を破ってる訳ですね。
ダビデ君の息子、例のバトシェバの二人目の子がソロモン王です。
シバの女王のエピソードやオカルト方面で有名ですが、ソロモン君も結構やばい。
まず妃が700人に側室が300人いる。「なろう」ではハーレムものが定番ですが、ちょっと桁が違うと思います。世界に冠たるJapanのHENTAIもギネス認定ベストセラーである聖書には勝てないのか、、、
特例はありますが、18世紀以降のユダヤ教社会では基本一夫一妻制になってます。逆に言うとソロモン君の時代は一夫多妻が認められていたので、嫁とむにゃむにゃする分には破戒に当たりません。
なので、嫁が多いのが宗教上「やばい」訳ではないのですが、その嫁’sの多くは異民族なのが問題で、異教の神の像を大量に持ち込むもんだから、ソロモン君も交えて多神教偶像崇拝ぱーりーに、、、
これは戒の1と2というユダヤ教の核心部を侵す行為に外ならない訳。
翻って、では戒律を守り神の御心に従った、という意味で評価が高い王は誰かと言うと、列王記などに記述のあるヨシヤ王が筆頭、というか外の王がなんというかアレなので、、、とにかくヨシヤ君はユダヤ教では最高評価の王様なんだけど、訳の分からん戦争で戦死してダビデ朝滅亡の引き鉄になるなど、神に愛されてるとは思えない最期を迎えます。
宗教上の評価とは裏腹にパッとしない生涯(大層失礼)なので、知名度も低く、私の記憶の限りでは映画などにも取り上げられた例は思い当たりません。
何が言いたいかというと、聖書、特に旧約聖書に出てくる王達は聖人君子ではなく、罪を犯し戒律を破る事は、必ずしも王(大統領)として推戴する事を妨げるものではない。
という事。
、、、と、いっても、感情的には中々受け入れ難い説明でしょう。
実際、旧約聖書の時代に生きていたとすれば、王の破戒は信仰者に受け入れ難く、反発があったハズです。
改めて俺様キングの所業を十戒に照らし、見てみよう。
戒1.俺以外に神はいない
→慎重な表現だが、俺様キングは、自身を救世主に喩えている
戒2.俺のものであっても偶像を拝むな
→戒1にも関係するが、俺様キングは、自身を超越的な存在として画像などを創り、広めている
戒7.不倫すんな
→複数のスキャンダル
戒9.嘘つくんじゃねえ
→一々挙げるのも不可能なレベル
戒10.人の物を欲しがんな
→カナダやグリーンランドも欲しがってるね
まぁ、これら以外にも俺様キングの不道徳性を挙げばきりがないのは分かりきっている。
イヴァンジェリカルはアメリカに居て、これらを知らないのだろうか?
、、、、、、イヴァンジェリカルには、俺様キングが破戒者であったとしても、否、破戒者であるからこそ、大統領として支持する理由があります。
オーメンというホラー映画の金字塔がある。
悍ましき出自を持つ悪魔の子が周囲に災禍を撒き散らしながら成長していくストーリーです。
いきなり何の話かと思うでしょう。この映画、新約聖書の黙示録を下敷きにしたもので、黙示録は「秘密の開示」を意味します。
これに記されている秘密とは「過去に起きたとされる出来事」ではなく「すぐに起きるべき事」即ち未来に起きる事を十二使徒最後の一人、ヨハネが幻視したものとされています。
要するに、黙示録という書によって、隠されていた神の計画を詳らかにし、キリスト教信仰者が苦難から救済されるまでのシナリオを示したものとなっています。
多くの宗教には終末思想があります。この世の終わりが訪れるけど信仰者は救われる、ってのが定番ですね。
仏教にも末法の世という思想があって、日本では十一世紀中頃に末世(末法の世)が来ると世間を騒がせた例があります。
新旧聖書にも終末に係る様々な記述があり、創世記の「ソドムとゴモラ」や「ノアの方舟」なども一種の終末を描いたもので、神を信じない不信心者が滅び、信仰者は難を逃れます。
そして、ユダヤ教・キリスト教の終末とそれに続く救済の根幹に在るのが油を注がれたもの、即ち、キリスト=メサイアです。
黙示録を特異なものとしているのが、ヨハネの観た幻視が「獣」「バビロンの大淫婦」「偽預言者」「666」「四騎手」などなど暗喩に富み、幻想的に表現されているところに在ります。
これが、、、まぁ、オカルト心を激しく刺激する訳。
映画オーメンの話に戻りますが、オーメンは「前兆」を意味します。黙示録で描かれる終末には様々な前兆が起こり、天変地異や疫病、人々の堕落、神に背く破戒者である「獣」が絶大な権力を握り世界を従える。「偽預言者」は「獣」を崇拝させ、従わぬものは取り引きさえ許されない。「四騎手」は征服・破壊・崩壊・死をもたらし、信仰者は「患難」に曝される。
何だか絵空事とも言い難い、とか思ったりしてませんか?
映画オーメンは、そこまで終末的なストーリーではありませんが、人が惨たらしく冒涜的な死を迎え、悪魔の僕が真のキリストの再来を阻むため何十人もの赤子を殺す描写がある訳です。
私は、金曜ロードショーか何かで映画オーメンを観たのですが、忌まわしい内容であっても荒唐無稽なフィクションに過ぎず、現実には起こり得ないし、この様な事件は現実に起こって欲しくはない、と心底思ったものです。
しかし、、、イヴァンジェリカルは、これまで述べてきた様に「聖書の記述は一言一句正しい」と考えている。
黙示録の「患難」がどれほど残酷なものであろうと、それは神の計画であり、現実に起こる事であり、「患難」は現実に起きなければならない、と考えるブロックは確かに存在する。
えぇ、、、それってトランプが黙示録の「獣」で福音派は予言の実現の為にトランプをって
それ以上言わんでいい。私も◯ーとかに出てきそうな世界なんちゃら計画みたいなオカルトと陰謀論紛いの話なんざしたくないんだ!最初から言ってるだろ!
勘違いや妙な先入観を持たれたくないから言っておくけど、イヴァンジェリカルでも俺様キングに不快感を持ってパレスチナに同情的な人だって少なくないんだ。イスラエル人だって同じ。
けどな、イヴァンジェリカルの総体としては、中東問題や聖書に関わる事項に対し、どういう思想・対応をしているかは、幾つかのイヴァンジェリカルの団体が大統領府に出している公式書簡やHPに掲載されている主張を見れば明らかなんだ。
言うまでもないけど俺様キングを指して獣とか書いてる訳じゃないぞ?
仮に、俺様キングが「獣」だとイヴァンジェリカルが思い込んでいたとしても、キリスト教の信仰者としては、むしろそれを阻止すべきと考えるのではないのか、とも思うかもしれない。
一般のキリスト教的な精神性からすれば、正にそのとおり。俺様キングが「獣」であるなら、俺様キングへの支持は悪魔に手を貸す事と同義と言える。
しかし、、、イスカリオテのユダはご存知だろう。キリスト教に親しみがなく、十二使徒の名前を挙げられない方でも、僅かな金でイエスを売り、裏切り者の代名詞ともなった名だ。
このユダ、キリスト教的には当然大罪人なんですが、一部の考え方としては、全知全能の神が人如きに裏切られる訳もない。全てはイエスの刑死による人類の贖罪と復活まで神の計画の一部であり、ユダは計画の実行者である。という解釈も受け入れられている。
まぁ、日本人としては中々受け入れ難い部分が多いと思うよ。
しかし、ね。キリスト教、ユダヤ教には、共通する極めて深刻な宗教的悩みがあるんだ。
信徒の減少ってのも、まぁ、間違いじゃないんだけど、それは副次的なもので、神の沈黙或いは神の不在とも言われる状態が2000年近く続いている事。
ユダヤ教だと2500年くらい預言者を通じた神の顕現が途絶えている。
シオニズムも神の不在に耐えきれなくなった末の事と思えば、心情として理解もできる。
ナザレのイエスもさぁ、聖書上では刑死の後に神の奇跡で復活した事になってるけど、十字架に架けられた時は「えりえりれまさばくたに」と神の沈黙を嘆いた。
キリスト教ではユビキタス、即ち遍在、神は遍く存在しているんすよ、と言ってるけど中々納得できないよね。
黙示録が書かれて2000年近く経ってんのに終末って何時起きるんだ?ってのは無視し得ない宗教的大問題なんだよ。
ここで疑問に思われるかもしれないのが、何を以て終末とするか、だろう。
ユダヤ教・ユダヤ人の歴史はそれこそ、彼らにとってこの世の終わりとも言えるような苦難の歴史の連続だ。600万人が犠牲となったホロコーストが第一に頭に浮かぶだろうけど、差別・迫害は歴史の影で連綿と続いていたものに過ぎず、ユダヤを度々追い詰めている。
世界的に見ても、二度の世界大戦は終末と呼ぶに値する災禍だ。実際、戦争当時は「これこそが黙示録に記された患難に違いない」とする言論が飛び交っていた。共産党の大躍進政策も黙示録世界の様な悲惨さであったし、ノストラダムスの予言が席巻した1999年も世紀末思想と相まって黙示録を彷彿とさせた。
しかし、何れも黙示録の終末とは公式に認められてはいない。重要なピースがこれらの災禍に存在していないからだ。
即ち、「携挙」と呼ばれる救済がそれ。
「携挙」がどういうものかと言うと、地上は患難に見舞われるが、正しい信仰者は「生きたまま天上に引き上げられて再臨したイエスに会う」という現象が起きる。
、、、2000年どころか100万年経っても起こりそうにない。そう思わないか?
ぶっちゃけるなら、数多の予言と等しく、黙示録は実現しなかった予言なんだよ。
そもそも黙示録には「すぐに起きるべき事」と明確に記されている。キリスト教では、これを「霊的な時間」即ち、神にとってすぐって事で人の感覚で解釈するな、と言ってるけど、まぁ、言い訳に過ぎない。
秘密の開示としながら暗喩に満ちた幻想的な内容となっているのも、黙示録成立の背景を鑑みれば理解できる。「獣」とは当時キリスト教を迫害していたローマ帝国やローマ皇帝、「偽預言者」は初期キリスト教教会で既に起きていた教会内の権力闘争に関連するものと考えられる。別のヨハネの書簡には相当する内容の事が書かれている。
即ち、黙示録とは、当時正にローマ帝国に迫害され、教会内権力闘争で堕落した信仰を正しき信仰に立ち返れとするメッセージであり、ローマや堕落した教会は神が討ち滅ぼし、真の信仰者には神の世界が約束されている。という救済のストーリー、と私は解釈している。
オカルト心を激しく揺さぶる暗喩に満ちた内容となっているのは、流刑の身のヨハネではローマに面と向かって「おめーらは神の怒りに触れて滅びる運命だ」とか言えなかっただけかと思います。
私は、私の解釈が正しいなどと言うつもりも無いし、イヴァンジェリカルの信仰を否定する言葉も持っていない。
しかし、それは、MAGAに抱くような諦観とは全く異なる。
イヴァンジェリカル、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教にあっても、その戒律や徳目に通底する善性に共感するものがあるからだ。そして、その善性は必ずしも民主主義に相反するとも思えない。
でもね、何度も何度も何度も言うけど関わりたくないんだよ!イヴァンジェリカルとかさぁ!




