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後編

 フェレール公爵家が所有する王都の邸宅の一室。

 アニエスは目の前に置かれた二通の手紙と、大小さまざまな箱を眺めて、頭を抱えていた。



 手紙のうち一つは王家より届いた建国記念パーティーへの招待状。もう一つは、それに伴う仮の婚約者(フレデリク)からのエスコートの誘いである。

 いくら遊び人のスケコマシであろうときちんと教育を受けた公爵令息でもあるあの男は、アニエスと同じく気が進まないでいるだろうに、律儀にドレスや小物を一緒に贈り付けてきていた。



 どうせ縁談自体をなかったことにするのだから、ドレスの一つも用意しないか、もしくはとんでもないドレスを手配すればいいのに、贈られてきたドレスと小物はそれは見事な品だった。

 これでは「まともなドレスの一つも用意できないなんて」という文句をつけられない。



「お嬢様! そろそろ支度を始めませんと」

「分かっているわ」



 ちなみに、建国記念パーティーの日付は本日である。

 このギリギリまで往生際悪く頭を抱えていたアニエスは、ばたばたと慌ただしく準備をする侍女の叱責に首を竦めてから諦めたように浴室へ向かった。





「ごきげんよう、フレデリク・ローラン様。このたびは素敵なドレスをどうもありがとうございます」



 支度を終えた数時間後、邸宅へ迎えに来たフレデリクに向かって、アニエスはたっぷりの皮肉を込めて、開口一番にそう告げる。



 贈られてきたのは本当に素敵な品物だったのだ。

 すっきりしたデコルテ部分のシャンパンゴールドから裾に向けて滑らかにブルーシルバーに変わるグラデーション生地に重なる繊細なレース、左右で長さを変えて布を巻き込むドレープ、少し空いた背中を飾る華やかなリボン。

 髪飾りとピアスに嵌められた揃いの石は湖面のような深い青。



「ああ、よく似合っている」

「……じゃないわよ! こんなドレス、ど、どう見ても……っ」



 どこのバカップルの婚約者アピールだ。

 普通の婚約者だってアクセサリーを一つだけ相手の色に変えるだとか、揃いの指輪を付けるだとか、それくらいの些細な匂わせだけで留める。



「そうだろうな」

「あなた、この縁談をなかったことにするんじゃなかったの!?」



 侍女の押しに負けて素直にすべて身に着けたアニエスもアニエスだが、公の場でこんなものを身に着けていたら間違いなく他の出会いなんて望めない。



「パーティーにはお互いの親もいるんだぞ。明らかに不仲だと匂わせるわけにはいかないだろ」

「それはそうかもしれないけど!」



 アニエスの父は何故だか、学生時代(むかし)から本当にフレデリクのことを気に入っていた。そして、フレデリクの両親――特に母親がアニエスのことを可愛がっていることも知っている。

 日ごと増していくフレデリクとの婚約への重圧に気が付かない振りをして躱し続けるのも限界というものである。



「文句なら馬車で聞く。遅刻するからそろそろ行くぞ」

「……わかったわよ」



 差し出された手を取って馬車に乗り込み腰をおろすも、いざ場所を変えてから改めて文句というのも格好がつかない。

 不貞腐れたまま口を閉ざすアニエスに、フレデリクが意外そうに首を傾げる。



「文句は良いのか?」

「もう良いわ、今更だし。……でも、ドレスが素敵だと思ったのは本当よ」

「光栄だ」



 街を歩いた時にも思ったが、女性の扱いに慣れているだけあって、フレデリクのセンスは嫌いではない。

 しかし、ドレスが素敵だと感じれば感じるほど、気の重さは増していくばかりだった。



「2人での挨拶回りは最低限、ファーストダンスを踊った後は別行動。これでどう?」

「は?」

「は? じゃないわよ、べったり張り付いていたらどう見ても仲睦まじいカップルになってしまうじゃない。それに、あなただってわたしについているより可愛らしくて魅力的な女性と一緒にいた方が楽しいはずよ」



 王宮に到着した馬車が止まりそう告げた時には「あー」だの「んー」だのと声にならない呟きを漏らしていたフレデリクも、父たちにはうまくごまかしておくと続ければ最終的には頷いていた。



 そんな会話の後エスコートされるまま馬車を降り会場へ入ると、招待客のおそらく半数ほどは既に中で談笑しているのが見えた。

 その中で、女性かららしき鋭い視線が一斉にアニエスに突き刺さる。



(これだから嫌だったのよ、この男にエスコートされるのは!)



 なんせ、嫉妬と悪意に晒され続けた3年間を過ごしていたのだ。

 基本的に嫉妬する側もそれなりに育ちのいい令嬢であったことに加え、アニエスの方が身分が高く、かつ頭もよかったので大事には至らなかったが、この身に降りかかる火の粉を払うのは楽なことではなかった。

 数多の女性たちにとってそんな嫉妬対象である女が、今宵、その好いた男に手を引かれてパーティーへ訪れたのだ。さぞかし気に入らないことだろう。



(ええそうよね驚くわよね、このドレス。わたしだって驚いたもの)

「…………ス」


(泣きそうな子までいるじゃない。勘違いしないでほしいわ、わたしたちはあくまでも仮の、候補でしかなくって)

「………………ス」


(だいたいね、この男がさっさと本命を決めていればこんなことには)



「アニエス!」

「はい!?」



 突き刺さる視線に内心で文句をつけていたアニエスは、手を引かれてようやく声がかかっていたことに気付く。

 隣に立つ男が怪訝そうに眉を寄せていた。



「何ぼーっとしてるんだ? 才女様は余裕があって羨ましいことだ」

「うるさいわね、どこかの誰かさんのせいで向けられる視線が喧しいのよ。何?」

「フェレール公を見つけた。声を掛けるんだろう」

「ええ、もちろん」



 フレデリクが見つけたらしいアニエスの父の元へ向かっている最中も、ひそひそと陰口を叩かれている気配は届く。卒業から何年も経っているというのに、こんなところまで変わらないのか、この男の周りは。



「ご無沙汰しております、フェレール公」

「おお、フレデリクか。娘が世話になっているね」

「お父様、わたしは彼の世話になどなっておりません」

「どうだか」

「なんですって?」



 にこやかな笑みを浮かべるフレデリクを出迎える父親に、アニエスは内心で――いや、隠しきれない不本意さを滲ませる。

 目の前でたった一人の娘が馬鹿にされているというのに、父は微笑ましそうなものを見るような目で2人を眺めていた。納得がいかない。



「息子が面倒を掛けるね、アニエス嬢」

「父上、面倒を掛けられているのは俺の方です」

「お父上の前だからって良い顔をするのはやめてくださる?」

「これが俺の素だが」

「嘘をおっしゃい」



 アニエスの父と会話をしている姿を見つけられたのか、今度はフレデリクの両親がアニエスたちに近付いてくる。

 そのままの流れでつい全員で談笑する羽目になったが、そうしている間にパーティーの開始時刻となったのか、ファンファーレと共に王族の入場が行われていた。



 国王陛下の有難いお言葉も終わり、挨拶があるからと離れていく互いの両親を見送ったタイミングで、艶やかなソプラノが耳朶を打つ。



「ごきげんよう、フレデリク様。好い夜ですわね」

「ルルーシュ嬢か、久しぶりだな」

「うふふ、最近ちっとも遊びにいらしてくださらないから、母も寂しがっておりました」



 揃って振り返ると、艶のある黒髪をまとめ上げ、豊満な胸を強調するかのような真っ赤なドレスに身を包んだ女性が立っていた。



(ルルーシュ……多分アンドレ侯爵家の次女ね。仮にもパートナーを堂々と無視するなんていい度胸じゃないの)



 名誉のために言っておくが、これは断じて嫉妬などではない。

 仮の婚約者候補たるフレデリクがどこぞの誰とどう過ごそうがアニエスには関係のないことだが、目の前でいないものとして扱われるのは不愉快である。

 しかしそれを表に出すことは淑女として憚られたし、ましてや嫉妬しているなどという不名誉な流れになることは避けたい。



 そういうわけで、すぐに対応していたフレデリクの横で、残されたアニエスは涼しい顔をしていた。



 そんなアニエスの反応が面白くなかったのか、ルルーシュと呼ばれた女がするりとフレデリクの腕に自らの腕を絡めだす。

 妖艶な色香という意味では確かにアニエスにはないものなのだが、



「ルルーシュ嬢、これは困るな。婚約者に誤解されたくはないからね」

「え」



 彼は困ったような顔をして、それでも明確に腕を解いて拒絶していた。

 ルルーシュが目を丸くして驚いていたが、そんなフレデリクを見るアニエスも、おそらく彼女と同じような表情をしていたに違いない。



「ちょっと、フレ……」

「アニエス、俺たちも先に挨拶回りを済ませておこう」



 信じられないという気持ちのままつい口を開いたアニエスの言葉を遮って、フレデリクが人当たりのよさそうな笑みを浮かべる。

 その腕越しに今にも泣き出してしまいそうなルルーシュとばっちり目が合ってしまい、あまりの気まずさに彼の提案を飲むしかなかった。





「ちょっと、あなたどういうつもりなの!?」

「どうって?」

「彼女と離れたかっただけなら嘘まで吐く必要ないでしょう!」



 挨拶回りと称してホール内を歩いている間、周囲の人間には聞こえない程度の声量には保っているが、アニエスは止まらなかった。



 この国の常識として、年頃で未婚の女性が自ら異性に触れることは、品位に欠けるはしたない行為である。

 この男はスケコマシでありながら節度を保っている(らしい)遊び人だそうなので、彼女のそんな行為が目に余ったのだろうとの察しはついた――までは良いが、問題はその先である。



「よりにもよって婚約者だなんて」



 ただでさえ今まで来るもの拒まず過ごしていた男が、はっきりと明確に女性を拒絶してまで存在を明かした婚約者。最早無事にこの見合いが白紙になったとしても先は真っ暗だ。

 どこぞの男と違い、アニエスは本当に異性にもてないので、本当にこの先の縁談が望めなくなってしまったも同然である。



「ああ、その話だが」

「そうね、何か申し開きがあるなら聞きましょう」

「俺はこの見合いをなかったことにするつもりはない」

「はあ?」



 ここへ来て何を言い出すのか。

 フレデリクの発言の意図を掴みかねて睨むように眉根を寄せると、彼はちらりとアニエスに向けた視線を再び前方へと戻していた。



「フェレール公爵家に釣り合う家の出身で、婿入りが出来る三男以下。お前との間に跡取りを設けて、お前の補佐として最低限の仕事が出来る健康な男、だったか?

跡取りはともかく、それなら俺でも問題ないだろ」

「そ、そうではなくて……あなた、わたしとの婚約が気に入らなかったんじゃないの?」

「両家の父親に勝手に決められるような婚約は不本意極まりなかったが、相手がお前だったことに文句を言った覚えはない」

「え? でも……、…………え?」



 フレデリクとの縁談の話が出てから既に数ヶ月は経っている。

 それゆえに一字一句完璧に覚えているわけではないが、思い返してみると、確かにアニエス自身を拒絶されていたわけではないかもしれない。いや、都合の良い気のせいかもしれない。

 混乱するアニエスに、フレデリクはなおも続ける。




「――――ずっと好きだったんだ。文句なんかあるわけがない」




 息が、止まるかと思った。

 思わず足を止めたアニエスに気付き、フレデリクは少し先で同じく立ち止まってから振り返る。



「じ、じゃあどうして不本意なんて言ったのよ」



 違う。こんなことが言いたいわけではない。

 本気なの? いつから? ――聞きたいことなら他にいくらでもあるのに、動揺したままうまく言葉がまとまらず、代わりに拗ねた声色が響く。



「お前は俺が嫌いだっただろうが。自分の好きな奴に、嫌いな男との生活を強いたいわけじゃない」

「…………どんな理屈よ、それは」



 それはつまり、最初からアニエスのことしか考えていないということではないか。

 混乱と動揺に今度は羞恥まで加わって、呆れたような――いや、そう取り繕った――呟きが落ちた。



「……わたし、別に、あなたのことが嫌いだったわけではないわ」



 お互いに嫌味を言っても本格的な喧嘩へ発展することはなく、口論を切り上げようとするタイミングも似たようなもので、何より、何を言ってもすぐさま返してくるような、打てば響く反応がある。

 “男を立てることすら出来ない生意気な女”であったアニエスがどれほど噛み付こうと、不機嫌になることも激昂することもなく、対等にひとりの人間として付き合えたのがこのフレデリク・ローランである。



「……じゃあお前こそ、なんであんなに嫌がってたんだ」

「それは、」



 釣り合う家格の三男以下で、最低限の仕事が出来る健康な男。

 アニエスの提示した条件には、彼の言う通り、彼にだって当て嵌まる――いや、むしろこれ以上ないと言っても過言ではない相手である。

 おまけにアニエスは、自身との間に跡取りさえいればいくら不倫をしようがいくら愛人を持とうが気にしないとまで思っていたので、フレデリクが遊び人であることに否やを唱えられるわけがなかった。



「……」

「アニエス?」


「…………あなたが相手だと、気持ちを求めるわけではないという前提が、叶えられなくなるからよ」



 切っ掛けはなんだったか、最早覚えてなどいない。

 初めて顔を合わせて口論した入学式。地雷を踏みつけた女生徒から庇われた時。或いはもっと別の、日常の一コマで――はっきりとした理由を見つけられない程度には、アニエスも自らの気持ちを自覚している。



 彼がブロンドの女子生徒の腰を抱いているのを見た時、黒髪の美女に笑いかけている時――あんな出会いさえなければ一度くらいは、彼が止まる花になれたかもしれないと思う自分自身が厭わしかった。

 可愛げがないと呆れられるたびひっそりと傷ついて、けれど傷ついたことを察せられ気を遣われるのだけは御免だった。



 だからこそ、アニエスは結婚相手に多くを求めはしなかったが、フレデリク・ローランだけは嫌だったのだ。

 彼が他の女に愛を囁くその時に、自分には関係ないという言い訳で蓋を出来なくなってしまうから。



「は……」

「夜ごとに違う花へ移られるのも嫌だし、愛人を持たれるのも嫌だし、愛されなくてもいいだなんて思えない。政略結婚という前提が意味を為さなくなるのが目に見えているもの」



 言葉を失くし呆然とするフレデリクに対し、勢いの乗ったアニエスは見事に箍が外れていた。

 パーティー会場の喧騒の中、互いの声と自分の心音しか聞こえないかのような錯覚を覚える程度には、荒れ狂う鼓動が喧しい。



「……それに、何の問題があるんだ」



 永遠にも感じられるだけの僅かな間を置いて、口を開いたのはフレデリクの方だった。



「あなたがどれだけの女性と一緒に過ごして、どれだけ甘ったるい愛を囁いていたか、忘れたとは言わせないわ」

「…………“好きな女に嫌われている哀れな男”を慰めてくれていただけだ。学生時代から今に至るまで、最初から一度もその前提を否定したことはない」

「……ちょっと待って。あなた、いつから……っ」

「さあ? 名前と顔が一致するようになった頃には、既に特別だったが」



 アニエスとフレデリクが互いに抱く感情が同じなら敢えて否定する理由はないのだが、簡単に受け入れられるほど甘い関係などではなかった。

 それというのに、さも当然のように言われて、アニエスはいよいよ追い詰められた気分になる。



「わたし、可愛げがない女だそうだけれど」

「そうだな。可愛げがないし素直さに欠け、意地っ張りでプライドが高い」

「……」

「でも、他の誰より魅力的に見えるんだから、仕方ないだろ」



 困惑交じりの溜息に釣られて顔を上げると、これまでずっと平静を装っていたはずのフレデリクの頬が、僅かに赤く染まっていることに気が付いてしまった。

 こんなもの、意地を張って拒絶するほうが、馬鹿じゃないか。



「…………あなた、趣味が悪いって言われない?」

「よく言われる」



 諦観じみた問い掛けが照れ隠しであることは伝わったのだろう。

 頬を染めたままからかうように笑顔を浮かべたフレデリクが差し出した手を、今度は拒むことさえできなかった。





「……私財をつぎ込むお祝いの賭け、どうしましょうか」

「それくらい豪華な結婚式にでもしてみるか?」

「……ふふっ、なによそれ」



 悪戯めいた計画に思わず零れた笑声は、円舞曲が響くホールの中、穏やかにいつまでも響いていた。

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