中編
「どうして、初回から、あなたと街に繰り出さなければならないのよ」
「お前は俺と、数時間もの間膝を突き合わせて、談笑しながら茶を嗜む自信があるのか?」
あの見合いから数日。互いに嫌々、渋々、不承不承の体を隠さずに練り上げた手紙のやり取りを経て、婚約の不成立に向けた顔合わせとして合わせた日程が本日である。
適当に話をして解散する気満々だったアニエスは、待ち合わせ場所が王都のメインストリートであったことに憤慨していたが、続いたフレデリクの言葉に思わず黙り込む。
そんな自信、かけらもない。
「適当に街を歩いていればそれだけで時間が潰れる。露店を冷やかしていればきちんと役目を果たしているように見えるだろうから、お目付け役からの文句も出ない。何か反論があれば聞いてやるが?」
「…………ないわ」
アニエスとフレデリクの関係は双方の親の知るところであるので、2人がこの縁談を早々にぶち壊さないようにと目付け役がつけられていた。
そんなことをするくらいなら他の相手を見繕ってくれるほうがよほど有意義で建設的だと思うのだが、理解できない親心である。
あっさりと論破された悔しさはさておき、彼の考えに異論はなくなった。それを認めて首を振ると、フレデリクもあっさりと話題を変える。
「一応聞くが、街歩きの経験は?」
「学生の時に少しだけ。後は領地の視察くらいよ」
「ふうん。それなら、ほら」
「は?」
言葉と共に差し出された彼の手に、アニエスは思い切り眉をひそめる。
「逸れたお前を探すのは面倒だ」
「何わたしが逸れる前提で話してるのよ」
「どう考えても慣れていないのはお前の方だろうが。……ああ、」
差し出したままの手を律儀にも降ろさないまま、フレデリクは口角を上げる。
「エスコートの受け方も分からないというなら仕方がないが」
「なんですって?」
安い挑発だとはわかっているが、スルーするには重ねた喧嘩の数が多すぎた。
舌打ちでもせんばかりに睨み付けながら手を取ると、呆れたように溜息が漏れる。
「……本当に、可愛げがない」
「失礼ね、わたしだってあなたでなければ少しくらい――」
「へえ? それは初耳だ。なんせ学生時代男子生徒に引かれていた姿しか知らないからな。ああ、それならどうして今の今まで縁談がまとまらなかったんだろうな?」
「ああもううるさい! さっさと不成立にまとめてすぐにでも結婚してやるから見ていなさい」
見栄を張ったことが透けているというのがよくわかるにやけ顔に、アニエスは苛立ちを隠すことなく、繋いでいる手を遠慮会釈なく握り潰す。
アニエスにしては渾身の握り潰し具合だったというのに、まったく効いていないのが余計に腹立たしかった。
「俺との見合いが終わってから半年以内に婚約者が決まったら、俺の私財をつぎ込んででも盛大に祝ってやろう」
「言ったわね? 後悔しても知らないわよ。わたしは結婚相手に多くを求めていないの。お父様が選ばなければすぐにでも見つかるわ」
「一応聞いてやる。その条件ってのはどんなのなんだ?」
「我が家に釣り合う家の出身で、婿入りが望める三男以下。わたしとの間に跡取りを設けてくれて、わたしの補佐として最低限の仕事をしてくれる健康な方。それさえ叶えてくれるなら、愛人を持とうがわたしを愛せなかろうがどうでもいいわ」
間髪入れずに言った通り、アニエスは自らの結婚相手にさほど夢を見てはいなかった。
それを思えば確かにこの男も条件を満たす可能性があるのだが、この男はこの男というだけで最早対象外なので話が変わる。
「……ふうん」
「言っておくけれど、撤回は聞かないわよ。その時が来るのを震えて待っているが良いわ」
どうせこの男のことだから、アニエスが「普通の外見で普通に収入があって(以下略)」などと言っていたらここぞとばかりにこき下ろしていたに違いない。
巷では平均くらいの収入のある普通の男性が一番だという提言がされているようだが、反対にそんな普通の良い男が余るわけがないという意見もあり、彼女は後者を尤もだと理解していた。
「お前は俺に何をしてくれるんだ?」
「え?」
「お前が半年以内に婚約者を作れたら祝うと言っただろう。反対に俺の婚約が決まったらどうなるんだ?」
「愚問ね。わたしも私財を払ってでもお祝いして差し上げるわ。誰かに定める覚悟でも出来たの?」
まさか対価を求めてくるとは思わなかったが、答えは決まっている。
鼻で笑うアニエスだったが、続いた言葉には思わず呆れて肩を竦めていた。
「当てがあるわけじゃないが、お前に遅れを取るのは癪だ」
「あなた、そんな理由で選んだなんて言ってお相手を悲しませるんじゃないわよ」
「そんなヘマをするわけがないだろうが」
「どうだか」
婚約者候補としての甘さなど一切醸し出さないまま当てもなく歩き続けていた2人だが、先に足を止めたのはアニエスの方だった。
視線の先には女性で賑わうアクセサリーショップがある。
「気になるのか?」
「なんでもないわ……って、ちょっと!」
女性として気にならないと言えば嘘になるが、アクセサリーに目を惹かれるという普通の令嬢らしい姿を、よりにもよってこの男に見られたいわけではない。
すぐに首を振って反対方向へ歩き出そうとするアニエスの手を引いて、フレデリクが向かったのは件のショップだった。
「店を回ればその分時間が潰せると言ったはずだが? 何今更妙な遠慮なんかしてるんだ」
「遠慮したわけじゃ……! もう、分かったわよ!」
結局のところ、時間が潰せるという彼の意見には反論できない。
否定しきる材料もないまま大人しくショップへ入ると、店内にいた女性の視線が一斉に一点――フレデリクに向かうのが分かった。
ラフな格好でまとめているから公爵家の子息とまでは分からなくとも、それなりに身なりの良い美形。相変わらず人気があってまったくもって結構なことである。
欲を言えば、店内にいる今、逸れる心配もないのだから離れてほしかったが、律儀なのかなんなのか、フレデリクがアニエスの手を離すことはなかった。
「……あら、これ、綺麗ね」
諦めて陳列棚に視線を移したアニエスは、真っ先に視界に飛び込んだブレスレットを手に取る。
「どれだ?」
「これ、サフィル近海で養殖出来るようになったという珊瑚ではない? 意外と手頃な値段で手に入るのね。領地でも仕入れられないかしら」
「着眼点がまったく可愛くない」
聞いて損したと言ってさっさと棚へ視線を動かしたフレデリクに、心外だと言わんばかりに頬を膨らませる。
綺麗なものが手頃に手に入るなら領民にもと思うことの何が悪いと言うのか。
「悪かったわね、他の女性のように素直な視点を持てなくて。似合わないと知っていても身につけたくなるほどの趣味というわけではないもの」
「まあ、確かにお前には似合わないだろうが」
見ている分には嫌いでないが、アニエスの持つ薔薇のような色彩と、鮮やかなコーラルピンクの相性は最悪だ。
埋もれるか打ち消し合うか、どちらにせよ今後も世話になることはないであろう色味である。
そもそも普段アニエスが身に着けるのは、金やプラチナなどの単体でも輝くしっかりとしたアクセサリーである。街中でおいそれと手に入るようなものではないし、この男との逢瀬(という言い方も不快だが)で見繕うつもりもなかった。
「……ああ、この辺なら似合うんじゃないか」
不愉快さを隠すことなく珊瑚のブレスレットを棚に戻したアニエスは、続いてフレデリクが手に取った髪飾りに視線を落として、固まる。
細い蔓の所々に花の形があしらわれたシルバーで、光を反射する繊細な意匠は確かにアニエスにもよく似合いそうなものだった。
「…………きれい……」
「……まあ、俺の色ではあるけどな」
「は?」
思わず漏らしたアニエスに、からかいの色を帯びた声が続く。
眉根を寄せて見上げると、悪戯めいた笑顔のまま彼の指先が髪飾りの一部に向けられる。
散りばめられた繊細な花のちょうど中央、先程は反射する光で気が付かなかったが、よく見れば青色の石がそれぞれにちょこんと嵌まっていた。
「……っあ、あな、あなたねぇ……!」
髪の色を示す銀。瞳の色を示す蒼。
丁寧な説明などされずとも、言わんとしていることはよくわかった。
「綺麗だと思ったんだろ」
「あなたの色だって気付いていたら言わなかったわよ!」
髪飾りを見た時の感動をいっそ返してほしい。
自分でも羞恥か怒りかわからないまま頬を染めたアニエスは、勢いのまま手を振りほどき「もう行くわよ!」なんて扉へと足を向けていた。
フレデリクもフレデリクで、はいはいなんて呆れた声を出しながら、騒がせた詫びといって店主と一言二言会話をしてから着いてくる。
「アニエス・フェレール」
「こんなところでフルネームを呼ばないでちょうだい」
「ほら」
「なにを……って、あ、あなたこれ……!」
店を出てから数メートル、差し出された包みを咄嗟に受け取ったあと、怪訝そうな顔で中を覗いたアニエスがすぐに顔を上げる。
包みの中には、先ほど見たばかりの髪飾りが鎮座していた。
「単なる候補とはいえ、婚約者に贈り物のひとつも出来ない男だと怒られるわけにはいかないからな」
「……あなたが普段どんな風に女性を口説いているのかよくわかったわ」
意図せず跳ねる心音とは裏腹に、漏れる言葉はまったくもって可愛げがない。
揶揄されるのはまさしくこういうところだろう。自覚はもちろんあるのだが、かといって心のままに喜べるほど素直なたちでもなかった。
礼のひとつも述べられないアニエスを、フレデリクが咎めることもなかった。
「婚約不成立の理由に、贈り物にセンスを感じないってのは入るのか?」
「そんな理由にしたいならもっととんでもないものを贈ってきなさいよ!」
いくらこの男の色彩だとはいえ、一度は綺麗だと感じた気持ちまで否定する気はない。
人からの贈り物にケチをつけるべきだと思われているのも気に食わない。
「…………とんでもないものってたとえば何なんだ?」
「え? そ、そうね、妙な顔の人形とか玩具とか……って何笑ってるのよ」
「……いや、…………意外と気に入ってるだろ、お前」
むくれるアニエスとは対照的に、フレデリクは心底楽しそうに笑い声をあげている。
からかわれていることはよくわかるのだが、うまく躱せるような経験値はアニエスにはない。
「~~……っ、そ、そうよ悪い!?」
「悪かねーけど」
「じゃあもう良いじゃない! あ、あ、あ……りがとうございました! 行くわよ!」
羞恥心でいっぱいいっぱいのアニエスを見て、フレデリクの笑みがさらに深まる。
それが妙に腹立たしく、必死に話を変えようと先を急いでいたアニエスは、すっかり日も傾いた頃に「そろそろ」と目付け役が声を掛けてくるその時まで、それなりに街歩きを楽しんでいたことに気が付かなかった。