2-9 二つ目のジャッジメントの始まり(9)
恭介は立ち上がると、もう一度、タッチペンを握った。
●仮説一
ものすごく追い込まれると、日本ジャスティス実行財団のホームページが現れる
今回の状況から、ガイシャが精神的に相当、追い詰められていたことが伺える。
愛する家族を失った失望感は、生きる望みを奪っていても不思議ではないだろう。
●仮説二
日本ジャスティス実行財団のホームページに、願いとその願いを叶えるために必要なルールを書き込むのではないか?
これは、結果からの逆算だが、ルールだけを聞いてくるのはどう考えてもおかしい。そのルールに行き着くための出発地点がないからだ。
まず、ガイシャに、今、何を願っているのかを聞く。あるいは何をしたいのかだ。
おそらくガイシャは、失ったものを取り戻したいという願いか、あるいは娘を奪った「理不尽な状況」による事故を恨んで、それを無くしたいと願ったのではないだろうか?
飲酒運転や違法ドラッグを吸っての運転で事故率が上がることは周知の事実だし、危険を知った上であえて運転したとなると、奪われた命は過失によるものではなく、故意、つまり殺人に近い、と考えてもおかしくはない。
特に、ガイシャは弁護士という立場にあったから、法律が抱える矛盾と法律を遵守しなければならない意識で苦しんでいたかもしれない。
そして、その後のルールを読めば、後者を願ったと恭介は考えていた。
違法な運転を行うから事故が起きる、意図的に違法な運転を行う者は二度と運転ができなくなってしまえ、と。
●仮説三
日本ジャスティス実行財団は、手段は不明だが、そうした願いをかなえる力を持っている。ただし、願いをかなえる代償に命を奪う
常識で説明できないことを「日本ジャスティス実行財団」は行ったことになる。掲示板への書き込みも不可能な方法だった。
違法な運転者だけを選別して、車両を停止状態にする、といったことも不可能だ。
だが現実は可能だったわけだ。
不可能でなかった理由を追うことは、今の物理常識を他の体系にどう置き換えるのかを考えるようなものだろう。すぐに解明などできるはずもない。
物理学の素人である恭介が考えても、そんなことは分かる。
実証と検証、その積み重ねが科学だ。
実証ができない以上、検証の意味すらない。
だったらやはり、起きた事象はそのまま受け止める方が無難だ。
理由は時間をかけて誰かが明かせばよい。
そして命の件は、さっき考えたとおりだ。
本人が望んだのか、望まずそうなったのかは分からないが、いずれにせよ命を代償に、日本ジャスティス実行財団が、投稿で書き込んだルールに沿った「ジャッジメント」つまり、審判を発動させたのだろう。
仮説というより空想の類の見解だが仕方ない。
今、目の前にある材料だけで調理すれば、どうしてもこういった帰結に行き着く。
「じゃあ、主任のこの仮説を前提にすれば、昨日、現れた新しい書き込みも、何か分かることがあるんですかね」
恭介は軽く頷づいた。
そう、一二三老のところで読んだ新しい書き込みは、ジャッジメントが現実のものだと仮定すれば、その内容は衝撃的だった。
*********************************************************
◆◆日本ジャスティス実行財団からのお知らせ◆◆
当財団に新たなルールの申請があり、厳正な審理を行った結果、
その申請を受理いたしました。
そこで、次の通り、ジャッジメントを発動いたします。
■ジャッジメント
一、20XX年6月27日午前零時をもって日本国内の広義に解釈された店舗において、
万引きやそれに類する行為(以下、当該行為)を全面的に禁止します。
二、前項の類する行為とは、窃盗や強盗など損害を与える違法行為全般を指し、
過失、故意は問いません。
三、ジャッジメントの発動時以降、当該行為をを行った場合、
失っていない器官で、手足、視覚、聴覚の先頭にくる器官の機能が
即座に失われます。また、当該行為が第三者から脅迫等により
強制されたものであった場合には、当該行為を行った者ではなく
強制したものが器官を失う対象となります。
四、ただし、前項で失われた器官の機能は、24時間以内に警察に自首を
行うことで無期限の猶予が与えられ回復します。ただし自首後、
事実を覆したり隠蔽した場合には、その猶予は即座に取り消されます。
五、前項の無期限の猶予は、一器官あたり一回とします。
六、本ジャッジメントは、責任能力の有無に関わらず発動いたします。
ただし10歳未満の場合には、10歳の誕生日を迎えた午前零時に
無期限の猶予が一回限り与えられ、失われた機能が回復するものとします。
以上。
20XX年6月22日
日本ジャスティス実行財団
*********************************************************
契約書の文章を思わせるような、かた苦しい文章が書かれているが、ようは、店での窃盗行為は全て禁止、もしルールを破る者がいた場合には、手足が消失するか動かなくなるということだ。
横のデスクに置かれたパソコンに表示された投稿の内容を読んで、博巳がつぶやいた。
「目には目を、の世界ですかね。確かタリオの法でしたっけ?」
「いや、ちょっと違うな」
確かに、犯した罪によって体の器官を失う、というルールはハンムラビ法典に書かれたタリオの法が思い出される。
ハンムラビ法典は世界で二番目に古い法典で、1750年にバビロニアを統治したハンムラビ王が発布した法典だ。
「目には目を、歯には歯を」の言葉は有名だが、ハンムラビ法典は犯罪に対して厳罰を加えること、つまり復讐を目的としているのではない。
今の日本における司法制度と同じく、何が犯罪行為なのかをはっきりさせ、犯罪行為に対しては刑罰を加え、社会の治安を維持することが目的だ。
無限の報復合戦に至らないよう、報復は社会で限度を持って与えることを規定している。
今回の「ルール」も、前回の事件と同様に、一見すると「悪いことをすれば罰を受ける」という点で、理にかなっているように見える。
特に、今の日本で、万引きが処罰されるケースは少なく、表面化していない被害は膨大だ。
小売店における万引き被害は、2009年度の警察庁の推計では4,615億円だ。一日あたり約12億6,000万円。毎日10億円以上もの被害が発生しているのだ。
だが今回は、今の日本、いや近代国家が掲げる司法制度の理念を根本から崩すルールが設定されたと言ってよいだろう。
強盗は別だが、万引きは重犯罪ではない。
体の器官を一部といえど失わせるのは、日本の司法で考えれば明らかな「不当量刑」に当たる。社会の治安を維持することが目的とはとても思えない。
また、子どもは、最初から大人と同じ心の持ち方ができるわけではない。
社会のルールを知り、道徳を知り、少しずつ経験を積み重ねながら、自分の中で規範を組み立てていく。
規範が固まっていないからこそ、現在の法律では14歳未満の犯罪は処罰せずに、まずは更生を促すことになっている。
もっとも、犯罪の低年齢化が社会問題になっていることも確かだから、処罰を与えない対象年齢に対する議論はあって然るべきだろう。
だが、例えば、5歳の子どもが初めて店に連れられていって、窃盗行為が何かを知らずに興味のあるものをポケットに入れた場合、手足を失うべきなのだろうか?
恭介は、そうは思えなかった。
「でも、今回のルールって、窃盗犯罪がなくなるだけで、一般人にはあまり関係しないんじゃないんですかね?」
「本当に、そう思うか?」
博巳が不思議そうな顔をした。




