1-16 一つ目のジャッジメントの検証(1)
◆◇◆◇ 20XX年6月17日 東京都 警察庁サイバー特別調査課
「全国同時多発車両停止事件」
今回の事件につけられた名称だ。
全都道府県で例外なく発生していたため、本来は事故現場を所轄する警察署に設けられるはずの捜査本部は、警視庁や各県警本部の交通捜査担当課に設けられ、全ての情報を警察庁の交通局交通指導課に集約させる体制を取った。
そして、事件発生から丸二日が経過し、状況が明らかになるにつれて、人々は事態の深刻さを知った。
6月15日午前零時に同時多発した事故件数は、全国で16,843件。
その中で複数の車両が関係した事故は5,389件、死者2,951名、負傷者44,610名だった。
最近は、さまざまな安全対策や取り組みが行われることで、交通事故件数が増加しているにも関わらず、死傷者数は減少している。
ここ数年は、おおよそ事故件数に0.007を掛けた数字が死者数、1.24を掛けた数字が負傷者数となっている。
今回、事故件数に対して死傷者が異様に多かったのは、エアバッグが作動しない事例が多かったためだ。
運転中に突然、停止状態に陥った車両は、一切の電源供給が断たれることになる。
エアバッグもエアバッグECUという制御ユニットでコントロールされている。
衝突検知→衝突判定→エアバッグのインフレータ着火→エアバッグ展開、という流れの中で、電源供給がないと衝突検知、衝突判定が行われず着火されないのだ。
また、制動装置、つまりブレーキが全く効かなくなったことも、重大事故が多くなった要因の一つだった。
特に、ノーブレーキ状態で歩行者を撥ねた事故も数多く、死者と重傷者の数を増加させていた。
事件発生が週末だったことも災いした。深夜でも多くの人々が街に出かけていて、車の量も平日より多かったのだ。
そして、深刻な物流麻痺の状態を生んだ道路における停止車両は、全国で15万台を越えていた。
幹線道路では、丸一日経過してから少しずつ撤去と復旧が進んだが、高速道路は、二日たった今も復旧の目処は立っておらず、物流網は寸断されたままだった。
復旧が遅れている原因の一つが、事件以降も、動かない車両が多発していることだ。
もっとも、「道路」を運転中の車両が突然停止することは起きておらず、車両を動かそうとしてもエンジンが始動しない車ばかりだったのは、事件のときと違う点だった。
だが、警察や救急、消防の車両も同様に動かない車両が少なからずあったため、事態の収拾に大きな足枷となっていた。
午後10時。
警察庁サイバー特別調査課では、まだ多くの課員が残っていた。
恭介と博巳も、事件発生以降、調査課に詰めたままだった。
仮眠室で数時間の仮眠を取っただけで丸二日間かけてパソコンに向かっていたが、捜査に大きな進展はまだない。
恭介が、しょぼつく目をこすりながら、掲示板に書き込みがあった日本ジャスティス実行財団の情報をネットで探していたところ、報道番組を見ていた博巳が呼びかけてきた。
「主任、日整連の会見が始まりますよ」
もちろん博巳は暇つぶしにパソコンでテレビ番組を視聴していたわけではない。最近の報道番組は、意外な視点で独自の調査を行うこともあり、何かのヒントがないかを調べていたのだ。
「日整連?」
「ええ、今回の事件で、該当車両の検査と実証実験を行った結果を発表するそうです」
日整連とは、一般社団法人日本自動車整備振興会連合会の略称だ。
全国約9万の自動車整備事業を営む事業場が会員となっている公益法人で、いわゆる自動車整備のプロと言ってよいだろう。
捜査本部は、各自動車メーカーだけでなく、自動車大学校や工科大学の研究室、そして日整連など、自動車の開発や整備を行っている専門機関に原因究明の調査を依頼していた。その中でまず、日整連の会見が今から行われるようだ。
博巳から説明を受け、「そうか」といった恭介は、作業を中断して立ち上がると、一度腰を伸ばしてから博巳のデスクへと向かい、隣の誰もいない席から椅子を持ってきて座った。
イヤホンで音が漏れないように視聴していた博巳がパソコンを操作して、外部スピーカーに音声を出力させる。
画面では、スチールの机に三名の作業服を着た男性が並んで、中央に座る眼鏡をかけた初老の男性担当者が書類を見ながら、マイクに向かっていた。
「――昨日から、駆動停止した車両及び、駆動停止が原因で事故を起こしたと考えられる車両、計8,371台を当連合会会員の事業場に協力してもらい検査しました。その結果、駆動系、電源系の異常を確認できない車両が多くありました」
すぐに記者から質問がとぶ。
「すいません、異常がなかった、ということはどういう意味ですか?」
「昨日からの検査で、駆動停止した車両の多くが正常に駆動した、ということです」
会場がどよめく。何人かの記者が手を挙げるが、男性担当者はそれには答えずに説明を続けた。
「しかし、昨日から新たに発生した駆動しない車両については、推定で24時間は駆動ができませんでした」
「推定?推定ってなんです?」
女性の記者だろう。マイクに良く通る声が拾われる。
「はい、昨日から駆動停止した車両で本日駆動したケースがあります。細かな状況を精査できたわけではありませんが、現状、最初に運転者が車を駆動させることができなかった時間から24時間経過後に、該当車両が駆動できるケースが複数確認されています」
会場が再びどよめく。
「もう一つ!駆動できなかったケースで共通していた点が分かっています」
説明していた担当者が声を大きくすると、会場のどよめきが小さくなった。
「全てではありませんが、駆動できなかったケースでは、整備員が前日の夜、飲酒していて、それも飲酒量が多いか、飲酒時間が遅い傾向がありました。
逆に飲酒していない、あるいは飲酒量が少なく、早い時間帯に飲酒を終えていた整備員が検査した車両は駆動しました」
担当者の言葉に今度は、会場が静まり返った。
最前列に座っていた朝の情報番組で見かける男性のリポーターが、少しよろめきながら立ちあがり手を上げた。
「まさかそれは、今、噂になっているジャッジメントが関係していることを意味しているんですか?」
リポーターの問いに担当者の顔が渋面になる。
同時に会場のあちこちから「まさか……」という声が聞こえてきた。
「当連合会で、そのような噂は認知しておりませんので、お答えはできません」
しかし、認知していない、という担当者の表情が、明らかにその噂を知っていることを物語っていた。




