隠し部屋
「ここは、どこですか?」
まるで異空間にでもいるようだった。賑やかなはずの外の音がほとんど聞こえてこない。
部屋の中を見回すと、部屋の中央に描かれた魔術陣の模様が、一際私の目を引いた。
(何となく、怖い)
もちろん、まだ発動していない魔術陣は、ただの絵のようなもの。それなのに、絶対に触れてはいけないような、凶々しい雰囲気を醸し出していたから。
「はは、そりゃあ、いきなりこんなところに連れてこられちゃ驚くよね。ここはね、魔術師の部屋だよ。ほら、こっちへおいで」
イーサン先生は、部屋の中央の魔術陣の上に乗るように、と私を促した。
「確かに、魔術陣がたくさん描かれていますね」
部屋の中を見回すようにしながら、ゆっくりと時間をかけて歩いた。あの魔術陣の上に乗ってはいけないと、全身で感じ取っていたから。
「ただね、魔術師は魔術師でも、国に認められ魔法無効化の結界を張りにきた魔術師ではなく、今から王族に反旗を翻そうとしている、魔術師の隠し部屋だよ」
「え?」
私は思わず足を止めた。
反旗を翻す。その言葉の意味を、イーサン先生が今からやろうとしていることが禁忌の魔術だと、私には容易に想像できてしまったから。
部屋の中央の魔術陣が、禁忌の魔術を発動させるための魔術陣だと、分かってしまったから。
「君が『先生の力で魔術陣を動かしてみて』っていうから、やってあげたんだよ? 君は、私がもし魔術師だったら何がしたいと言っていたか、覚えているかい?」
それは、私がうっかり「イーサン先生は魔術師の一族の末裔ですよね?」と聞いてしまった時に、イーサン先生が言っていた言葉。
「……たくさんの魔物たちを呼ぶ?」
お父様みたいって思ったから良く覚えていた。魔物が好きなイーサン先生らしいって思ったから。
「今から、それを実現しようと思うんだ。君に手伝ってもらおうと思って、特別にここに招待してあげたんだよ」
「手伝うって、何をですか?」
「君には、生贄になってもらうよ」
「生贄? 一体何が目的なんですか? その様子だと、魔物の楽園なんて嘘ですよね? 王族に反旗を翻すって、まさか!?」
いつの間にか、イーサン先生の表情が、宿泊合宿の時に見た、あの張り付けたような笑顔になっていた。
「……復讐だよ」
その声は、狂気に満ちていた。
「これから魔物たちが、この王都に押し寄せる。そして、ここにいる王族たちは滅びる。私の大切なものを奪ったのだから当然だよね。ようやく俺は復讐を遂げられる。そのためには、君の血が必要なんだ」
「どうして復讐なんて?」
「君が知る必要はないよ。君みたいにたくさんの人に愛されて、家族にも恵まれて、何不自由なく生きている子には関係のない話だから。大切なものを突然奪われた悲しみなんて、君には理解できないだろう?」
「やっぱり、イーサン先生は魔術師の一族の末裔だったんですね……」
壊滅されたと噂の魔術師の一族。ずっと、そのことを隠して生きてきたのだろう。誰にも言えずに、一人で悩みながら。
「今まで誰にも気付かれなかったのに、どうして君は知っていたんだい? やはり君の母親が関係しているからなのか?」
「どうしてお母様が出てくるのですか? お母様は何も関係ありません」
「十分関係があるよ。私の一族を襲ったのは、君の母親を含む冒険者なのだから。それにね、今日はその一族が襲われた日でもあり、私の誕生日でもあるんだ。しかも、体育祭だから殆どの王宮魔導師団は学園にいる。俺の復讐を邪魔する者なんていないも同然だ。全てのタイミングが揃ったんだ。まるで復讐をしろと言われているように思ったよ」
お母様がそんなことをするはずがないことは、私がよく分かっている。きっと、先生の中に大きな誤解がある。
(どうにかして、先生を止めなきゃ!!)
「どうして先生はそんなにも辛そうな顔をしているんですか? 先生、私、先生が宿泊合宿の時に相談に乗ってくれて、本当に救われました。だから、今度は私が先生の力になりたい」
「力になりたいだなんて、こんな状況に置かれているのに、まだそんなことが言えるのか? 俺は今から、君のことを生贄にしようとしているんだよ?」
「だって、先生は秘密を抱えて悩む人がいる、間違った道に進みそうになった時に止めてくれる人がいることは、幸せなことだって言っていたじゃないですか! それって先生のことですよね? 先生は本当は復讐なんて望んでいない。先生、復讐なんてやめてください。先生は魔術師の末裔として胸を張って生きていきたいんですよね? 先生は本当は魔術に誇りを持っているんですよね?」
先生に届いて欲しい。まだやり直せる。
「ああ、そうだ。その通りだよ。でもこの国は魔術を見下している。こんな体育祭ごときのために、魔法無効化の結界を張らせるなんて、魔術師をばかにしすぎだ! 魔術にはいろんな可能性を秘めているのに。それに俺はどうしても許せないんだ。絶対に復讐してやる。一族の無念を晴らして、一族が大切に敬っていた召喚獣様を取り戻してみせる。絶対に誰にも邪魔はさせない」
イーサン先生は、私のことなんて見えていなかった。私の言葉なんてイーサン先生の心には伝わらない。
イーサン先生は、復讐という闇に囚われてしまっていた。
「先生の決意は固いんですね。先生が私に秘密を教えても楽になれないというのなら、せめてこれ以上、先生を苦しめたくない。私は先生の手を汚させたくないです」
私は氷魔法を使い、鋭利な氷を出した。
それは高等部入学前、イーサン先生と魔物を倒す訓練をした時に出した、鋭利な形状の氷。
「この氷、覚えていますか? 先生と初めて会った時に、スライムを倒した氷です。ふふ、きっと、この時のために、私の氷ってこんなに凶器のような鋭利な形だったんですね」
私は自分の出した氷を眺め、最期の思いを馳せた。
(大丈夫、こわくない……)
「サファイア嬢、まさか?」
「先生、私、最期くらいは笑顔で死にたいんです。私は先生が誰よりも優しいことを知っています。たくさんの子供たちの命を救ったその手を、汚したくはない。先生に殺されるくらいなら、私は自分で死にます」
イーサン先生が先生になった時から、孤児院の子供たちを、魔物討伐試験のお手伝いに呼んでいた。
その子供たちのいた古い孤児院には、魔術陣らしきものがあった。
ただの偶然だとは思えない。
そうなると、古い孤児院の魔術陣は、イーサン先生が使っていたもの。そして、たくさんの子供たちが、あの魔術陣のおかげで命が救われた。
私の大切なメイドのミリーも、そのうちの一人。
私は魔術陣の上に膝立ちになり、凶器じみた氷を持つ両手を、頭の上に高く掲げた。そして、勢いよく自分のお腹を目掛けて振り下ろす。
「うぐっっっ」
腹部は瞬く間に緋色に染まり、その血が床に流れ落ちた瞬間、私の下に描かれた魔術陣から、凶々しい光が放たれた。
肝試しの時の魔術陣とは比べようがないほどの、黒くどんよりとした光が私を包み込む。
魔術陣が宙に浮かび上がり、何かと共鳴したかのような音と共に、ふっと消えた。
「せんせ、い……」
できる限りの笑顔をイーサン先生に向けた。イーサン先生の記憶に、私の笑顔が刻まれるように。
そして、そのまま真っ赤に染まった床の上に倒れ込んだ。
「くっ……サファイア嬢、さようなら。せめて、この香りと共に、安らかに眠ってくれ」
イーサン先生はそう言い残すと、この部屋に来る時に使った転移の魔術陣を発動させ、消えてしまった。
甘い香りだけを、この部屋に残して。