デート
「つまらない! どこかに行きたい!!」
今日は学園が休みの日なのに、私は何もやることがなく、サロンでだらだらと過ごしている。
ジェイドがいれば、一緒にお買い物に行けるんだけど、ジェイドは朝から出掛けてしまっていた。
きっと、ノルンちゃんとのデートに違いない。
先日開催された歓迎会では、二人でこそこそと内緒話をしていたし、ジェイドに「今日はどこに行くの?」と聞いても、うまくはぐらかされてしまった。
(邪魔なんてしないのにな。私だって「良かったね」の一言くらい言えるのに……)
それなのに「ジェイドのばか!!」と、なぜかそう呟いてしまっていた。
「あーあ、私もデートがしたいな」
半分ヤケになっていたせいか、そんな言葉を口に出していた。
「その相手は、兄でもいいのかい?」
はしたなくソファーに寝転がっていた私の顔を覗き込み、ラズ兄様がデートの相手に立候補してくれた。
「ラズ兄様! もちろんです!! 仕事はお休みなんですか?」
「ああ、息抜きも必要だろう? 俺の可愛いサフィーで、エネルギーを補給しないと倒れちゃうからな」
ラズ兄様とは、ここのところずっと会えていなかった。やはり学生を卒業して社会人になると、色々と忙しいみたい。
もちろんお仕事は今も秘密にされている。でも、私には分かる。王宮魔導師団に決まっている。
だって、三年前の体育祭の日に、ラズ兄様は私を庇うために、その日一番すごい魔法を使ったのだから。
ラズ兄様には、本当に感謝している。
乙女ゲームのことで悩んで、ジェイドのことで悩んで、さらに、王宮魔導師団のことで悩まなければいけない状況だったら、私の頭の中はパンクしていたと思うから。
「一生懸命働いているラズ兄様のために、今日はラズ兄様がやりたいことをしませんか?」
「それじゃあ、たまには甘いスイーツでも食べに行こう」
「それって、私のためじゃないですか!!」
「サフィーを喜ばせることが、俺のやりたいことだからな」
ラズ兄様は、相変わらず超絶イケメンだ。本当に大好き。
「こうして一緒に王都の街を歩いていると、昔を思い出しますね」
ラズ兄様と初めて王都の街でお買い物をした日のことを、懐かしいなとしみじみと思ってしまう。
また、こうして二人でお出掛けをすることができて、本当に良かった。だって、もう少しで顔を合わせることさえ、叶わなくなってしまうのだから……
「はは、あの時はサフィーが気分を悪くしちゃったんだよな。てっきりサフィーはワイアットのことが好きなんだと思ってしまったよ」
少しだけ、私がノスタルジックになっていたことに気付いてなのか、ラズ兄様は茶化すように言ってきた。
それを聞いて、私は恥ずかしくなってしまった。だって、まるで私の昔の粗相を暴露されている気がしたから。
「もう! そんなことは覚えてなくていいです。忘れてください」
あの頃はゲームの記憶を思い出したばかりで、戸惑うことだらけだった。
攻略対象者のワイアット様を見ただけで、気分を悪くしてしまうなんて、今となっては考えられない。
「サフィーとの思い出は、どんな些細なことでも、俺は絶対に忘れないよ」
「ラズ兄様のその言葉、前にも私に言ってくれましたね。私すごく嬉しいです」
小さい頃の記憶がない分、ラズ兄様が覚えていてくれる。私がいなくなっても、私がいた、ということを、ラズ兄様はきっと覚えていてくれる。
だからこそ、残されたあと僅かな時間の中で、ラズ兄様と過ごす時間は、楽しい思い出で埋め尽くしたい。
そんなことを考えながら、私は精一杯の笑顔をラズ兄様に向けた。
「……サフィーは、行きたい場所はあるか?」
「はい! 実は一度行ってみたいと思っていた場所があるんです!」
今日を逃したら行く機会がなくなると思い、遠慮なく行きたい場所を提案した。
私が提案した場所は……
「本当に、ここに入るのか?」
「はい! もちろんです!」
意気揚々と返事をした私と相反して、目的地を前にしたラズ兄様は、心底嫌そうな顔をした。
それでも一緒に中に入ってくれるというラズ兄様は、やっぱり過保護で優しい。
ーーーーーザワッ
私たちが足を踏み入れた瞬間、周囲が一斉に響めきたった。この響めきは、少し、いやかなり、異常な気がする。
「あら? ラズちゃんとサフィーちゃんだったのね。どうりでザワついたわけだわ。なぁに? ラズちゃんが、とうとう決心したの?」
私たちの前に現れたのはマリリンさんだ。私たちが訪れたこの場所は、冒険者ギルドだ。
(やっぱり、一度は入ってみるべきよね。でも、ラズ兄様が決心するって、ラズ兄様は本当は冒険者になりたかったのかしら?)
ラズ兄様も秘密主義だから、将来何になりたいかなんて、一度も教えてくれたことがなかった。
「なわけないだろう。俺は付き添いだよ」
「付き添い? まさかサフィーちゃんが冒険者に?」
「それこそないです。マリリンさん! これ差し入れです。食べてください」
マリリンさんにお菓子を手渡した。ラズ兄様に頼めば、冒険者ギルドに一緒に来てくれると思っていたから、こっそりと用意していた。
「まあ! ありがとう。あら、やだ、アタシもルべちゃんにお礼を言い忘れてたわ。ルべちゃん、かも〜ん」
マリリンさんは、仕切りにラズ兄様に向かって投げキッスをしている。
「ついでだから、お礼はいらないって」
それなのに塩対応のラズ兄様、塩対応なのは、黒猫ちゃんなのかもしれない。
「もう、ルべちゃんたら、出てきてくれないの? 直接お礼が言いたいのに」
きぃ〜っ、とハンカチを噛みしめながら、マリリンさんは、とても残念そうに文句を言った。
「マリリンさんは黒猫ちゃんのことを知っているんですか?」
「もちろんよ、何てったって、アタシの恋人だもの」
マリリンさんは小指を立てながら、ラズ兄様に向かって、これでもか! というほど、ウインクをしている。
「マリリン、嘘はやめろ。サフィーは信じるぞ」
「嘘じゃないわ。ルべちゃんのことを思うだけで、身体が疼いて、ギュン! ってなるのよ♡」
「!?」
私まで身震いがした。ラズ兄様は、貞操の危機さえ感じたらしい。一歩どころか数歩、後退りをしていた。
「もう、冗談も通じないのね。いやだわ。そうそう、スーフェに伝えておいて。体育祭の日の件は了解よ! って」
「ああ、伝えておくよ」
「もしかして、マリリンさんも、体育祭の日が楽しみなんですか?」
「もちろんよ! 久しぶりに戦っている姿が見れると思うと、ぞくぞくしちゃうわ!!」
「マリリン、気持ち悪いぞ。サフィー、もういいだろう? これ以上ここにいたら、とって食われそうだ。早く帰ろう」
ラズ兄様に手を引っ張られ、私たちは冒険者ギルドから外に出た。マリリンさんも私たちを見送ってくれるために、ギルドの外まで一緒に来てくれた。
「あら? あれってジェイドちゃんじゃないの?」
「え?」
マリリンさんの言葉につられて、私は冒険者ギルドの近くの広場に目を向けた。
「サフィー! 見るな!!」
ラズ兄様の言葉よりも、私がジェイドを見つける方が早かった。
(ジェイド……やっぱり、デートだったのね。ノルンちゃんと、あんなに見つめあっているなんて。きっと、これがイチャラブシーンなんだわ)
胸が張り裂けそうなくらい痛くて、涙が出そうで、でも必死に堪えて……
「えっ!? きゃあ!」
「さあ、お姫様、あんな男のことよりも、甘くて美味しいものを食べに行きましょう。じゃあな、マリリン」
ラズ兄様は、初めて一緒に王都に来た時のように、私のことをお姫様抱っこをして歩き始めた。
「いつでも待ってるわよ。ラズちゃんも、きっと、もうちょっとなのね」
マリリンさんは、そう一言だけ呟いた。
「ちょっと、ラズ兄様、下ろしてください。歩けますから」
「今回は、デート現場を見ても倒れなかったんだな」
ラズ兄様は、私を下ろしてくれる様子のないまま、ニヤリと笑いながら言った。
「私だって、いつまでも子供じゃありませんから」
「まだまだ、俺の可愛いお姫様だよ」
そして、お姫様抱っこのまま、ラズ兄様お勧めのお店に着いた。もちろん道中、行き交う人たちの視線が集まって、とても恥ずかしかった。
(もしかしたら、ジェイドも気付いたかしら? ううん、きっと二人の世界に入っていたから、気付くわけないわ)
「ラズ兄様、氷をください!」
自分のコップをラズ兄様に差し出した。だって、氷が入っていなくて、温い果実水だったから。
「サフィー、自分で出せるだろ?」
「私の氷は、凶器にしかなりませんから」
「もしかして、あれから進歩してないのか?」
「うるさいです!!」
ラズ兄様はそう言いながらも、私のコップに氷を出してくれた。いつ見ても見事な氷魔法だ。
「うーん! やっぱり冷たいのは美味しい!」
冷たくなった果実水を飲んで満足していると、ラズ兄様が突然、真剣な表情になって私に尋ねた。
「サフィーは、ジェイドのことが好きなのか?」
「!?」
思いもよらぬ質問に、私は飲んでいた果実水を吹き出しそうになってしまった。
「な、何をいきなり! どうしたんですか?」
「もし、好きだって言うならさ、俺は邪魔なのかな? って思ったんだ。いつまでも妹離れができない兄なんて嫌だろ?」
「邪魔だなんて、そんなこと一度も思ったことありません! むしろ、私はラズ兄様のことが大好きです! ……それに、ジェイドは記憶がないからと私の従者になっただけで、記憶があると分かった今、卒業後はルーカス王子として幸せになってもらわなきゃ」
前半は、本当の気持ちを、後半は……本当だけど自分で言っていて、どうしてか心がチクリと痛んだ。
この痛みに早く慣れなきゃいけないと思えば思うほど、どうすればいいのか分からなくなる。
(本当は、どうしたいんだろう?)
本当の気持ちを素直に出せない。いや、出してはいけない。だって、私はいなくなる人間だから。
「……サフィーも記憶を、小さい頃の記憶を思い出したいのか?」
ラズ兄様にしては珍しい質問だった。今まで、ラズ兄様から記憶について言及されたことはほとんどない。
(……王妃様の事件の時以来?)
あの時のラズ兄様は「思い出してしまったのか!?」と焦っていた。それが、逆に、私の記憶がないことに気付いたきっかけでもあった。
「小さい頃の記憶ですか? はい。もし、可能なら思い出したいです。だって、私の小さい頃って、きっとラズ兄様たちとの楽しい思い出ばかりだろうから、思い出せたら絶対に幸せですよ! そしたら、毎日のように現実逃避して、その思い出に浸っちゃうかも!」
そうすれば、ジェイドとノルンちゃんのことを考えて、心がモヤモヤしなくて済むかもしれない。
「……」
私が記憶が戻った時のことを思い浮かべて、ふふっと笑みを浮かべていたというのに、ラズ兄様は俯いて、歯を食いしばるように黙ってしまった。
「ラズ兄様? どうしました? 私、変なこと言ってしまいましたか?」
「えっ、……いや、何でもないよ」
ラズ兄様は、私にも分かるくらいの作り笑いを浮かべて、その瞳が真紅色に変わるのを、必死に堪えようとしているのを感じた。
その時、どうしてなのか、私の脳裏に過ったのはイーサン先生の「秘密を抱えたまま誰にも言えずに苦しむ人だっている」という言葉だった。
「ねえ、ラズ兄様?」
「ごめん、もう少しだけ、時間をくれ……」
「えっ? はい……」
伏し目がちに声を絞り出すラズ兄様の姿に、それ以上、私は何も言えなかった。
(私の小さい頃の記憶に、ラズ兄様を苦しませるような秘密があるの?)
そう思っても、口に出すことはできなかった。
「それよりも、体育祭の日には絶対に危ないことはするなよ」
ラズ兄様は落ち着きを取り戻したのか、もうすぐ行われる体育祭の話題に切り替えた。
(体育祭の日に危ないこと、って)
「ま、まさか、魔術師を探そうなん考えてませんよ。あっ……」
見事に口を滑らせた。そんな私にラズ兄様は呆れ顔だ。
「……とにかく、俺は絶対に反対だからな」
体育祭当日は、ジェイドだけでなく、ラズ兄様にもバレないようにしなければならなくなってしまった。
「ラズ兄様も、体育祭を観にきてくれるんですか?」
「サフィーの勇姿を観に行くのは当たり前だろ? 楽しみだな!」
「でも、王宮魔導師団として、ですよね?」
「……それはどうだろうな」
うまく誘導して、ラズ兄様のお仕事が私の予想と合っているかを聞き出そうとしたのに、全く引っかからなかった。敵は手強い。
「お仕事くらい教えてくれたっていいじゃないですか!!」
「秘密だよ。さぁ、美味しいスイーツの到着だ。いっぱい食べな。ほら」
そう言って、ラズ兄様は自分のお皿に乗っている苺をフォークに刺して、私の口に押し込んだ。
スイーツに話を遮られてしまったけれど、その苺は甘酸っぱくて、とても美味しかった。