破滅エンドまっしぐら
「ブハッ!!」
不意打ちを喰らい、不覚にも私は吹き出してしまった。
それはもちろん、侯爵令嬢として有るまじき行為だ。けれど……
(今のは不可抗力だから仕方がないわよ!!)
自分の名誉のためにも、声を大にして言いたい。だって、部屋の中には、この部屋の主が立っていたのだから。
美しい闇夜のような漆黒の髪、切れ長の目には紺碧の空のように美しい深い青色の瞳、無駄のない引き締まった筋肉が身体を纏う肉体美。
乙女ゲームのスチル以上に格好良い容姿端麗なラズ兄様がいた
……のだけれど!!
前世で人気のイケメンアーティストを彷彿とさせる“真っ黒なガムテープ”を格子状に身体に直接貼り付けたかのような、革命的な服を、服と言っていいのか非常にあやしい服を、その無駄のない引き締まった身体に纏っていたのだから。
「破滅エンドまっしぐら!!」
その言葉が思わず口から溢れてしまい、私は慌てて口を塞ぐ。そして、悶える。
(実物、やばいっ! って、違う!! いや、違くはないんだけど、悔しいくらい格好良いんですけど!!)
きっと、私の中の“前世の私”が感動のあまり震えているのだろう。
私だってラズ兄様は格好良いと思う、切実にそう思う。けれど、
(その恰好はあり得ないわ!! どうして、前世の私が好きだったアーティストの恰好をしているの? 新種の冗談? 仮装大会でもあるのかしら? 誰か止める人は? ……でも、でも、やっぱり格好良すぎるわ!!)
様々な疑問と、ラズ兄様の超絶イケメン姿が、私の脳内を占拠し、カオス状態に陥った。
直視はできないけれど、指の隙間からラズ兄様の姿を見てしまう。
着る人が着れば、とっても素敵な服だと思う。現にラズ兄様は似合ってしまう。けれど、問題はそこじゃない。
(手遅れだ、ラズ兄様のファッションセンスは、もうすでに確立されているんだわ! 詰んだぁ!!)
そう悟った私は、落胆の色を隠すことができなかった。
ラズ兄様の到底許しがたい“あること”とは、独特かつ奇抜なファッションセンスのことだったから。
乙女ゲームの中のラズ兄様は、必ずと言っていいほど“スケスケの服”いわゆる“シースルーの服”を着用して登場する。
己の肌を微妙に露わにするそのスケスケの服が、プレイヤーの女性たちから「生理的に受け付けない」と拒絶された。
乙女ゲームの舞台は学園なので、着用するのは制服だ。オートクチュールのスケスケの制服。それは、サファイアの制服以上に悪趣味だった。
そんなのを着てヒロインに粘着すれば、そりゃ罰せられるでしょ、と至るところで呟やかれ、終いには、ラズ兄様がイケメンならぬ“スケメン”と揶揄されることになる。
それでも超絶イケメンだから、根強いファンがいる。私たちみたいな。
今さらながら、乙女ゲームの公式プロフィール設定にも、重要なことが書かれていたのを思い出す。
妹に避けられて心に深い傷を負い、さらに周りの人も彼を見るなり距離を取るようになる。成長するにつれ、心の闇が深くなり性格が歪んでしまった、と書かれていたことを。
(今なら分かるわ、その妹の気持ち……)
自分の兄がいきなりスケスケの服を着始めたら、思春期の少女は絶対に避けると思う。
もちろん個性的な服がだめと言っているわけではない。時と場合と場所と“人に与える心象”が重要だと、私は思っているから。
私があれやこれやと熟考している間、長い長い沈黙だけがラズ兄様の部屋を埋めていた。
その雰囲気を見兼ねたのか、ラズ兄様が沈黙を破り、とうとう口を開いた。
「サフィー、大丈夫か? 頭を打った影響でおかしくなってしまったのか?」
ラズ兄様は私に近づき、心配そうに顔を覗いてくる。
(ち、近い、近すぎるわ!!)
距離が近すぎる。紺碧色の瞳に吸い込まれそうになり、急激に自分の頬が火照り、息もできない。
前世の私も、今世の私も、男の人の免疫が全くない。何より、ラズ兄様は超絶イケメンだ。
「なんだ? 熱でもあるのか?」
続け様に、今度は私の額に自分の額をくっつけて熱を計ろうとしてきた。
私の心臓は、有り得ないほどバクバクと音を立てる。もう死んでしまいそう。
「熱はないようだな?」
「は、はい。心配かけてごめんなさい。頭の方はもう大丈夫ですから……」
「それなら良かった。サフィーに何かあったりしたら俺の気が狂ってしまうよ」
「……!?」
(気が、狂う…… !? ラズ兄様、あなたはすでに狂っていますよ! そのガムテープは、今着る服ではありませんよ!)
ジトりとした目で、私はラズ兄様の服に視線を送った。
何かを感じとったのか、……感じ取ったはずなのに、ラズ兄様は嬉しそうに私に告げる。
「おっ! 気が付いたか? さすがだな。これは王都の最先端のファッションらしいぞ。似合うだろう?」
自信満々にポーズをとるラズ兄様が哀れで仕方がなかった。けれど、なぜか似合ってしまう不思議。何となく悔しいし。
私は、精一杯平静を装い、引き攣った笑顔で本題に入る。
「このお洋服はどうされたのですか?」
「ついさっき、貰ったんだよ。一目見た瞬間、ビビビッと衝撃を受けて、すぐさま袖を通したよ」
(ビビビッて、たしかに私も衝撃的だったわ……え、ついさっき? ということは、まだ間に合うかも?)
今なら止められるかもしれないと、私は一世一代の大勝負に出た。
「あ、あの、とても言いにくいのですが、そのお洋服は、子供の私には刺激が強すぎます」
ラズ兄様の心が傷つかないように、慎重に言葉を選んで、オブラートに包みまくる。
「そのような刺激的なお洋服は、大人になってから、大切なお方の前で着てください。“ここぞ”という時に、ですよ。いつのことだか、分かりますよね?」
“ここぞ”という時に、この服を着てこられたら、ドン引きだ。けれど、ラズ兄様の明るい未来のためにも、背に腹はかえられない。
すると、ラズ兄様が少しずつ私に近づいてくる。一歩、二歩。
ぎゅっと目を瞑り覚悟を決めた。嘘をついたんだから殴られても仕方がない。
「えっ?」
直後、ふわりと私の頭に温かい大きな手が優しく触れた。
「分かったよ。この服は、サフィーが大人になるまで我慢するね」
そう言うと、満面の笑みを浮かべて満足そうに私の頭をぽんぽんと撫でた。
(ひゃあぁぁぁ!! 不意打ちのこの笑顔の破壊力! 格好良すぎて辛いっ……っておかしいわ? 私が大人になるまで待つ?)
何やらいけない別のフラグが立ってしまった気がした。私を見つめるラズ兄様の視線が、痛い。
(もしかして私、攻略しちゃった!?)
今さらだけど、もうひとつ思い出した。乙女ゲームの公式プロフィール設定を。
ラズ兄様は、極度の「サファイア大好き病」だということを。
(深いことを考えるのは、今はやめておこう)
そう心に決めた私は、苦笑いを浮かべつつ、念のためクローゼットの中にある“ラズ兄様の破滅フラグ”は全て回収させてもらった。
……と言っても、そんなものはなかった。この贈り物だけだった。もちろんこの贈り物は没収した。
その代わりに、一緒に新しい服を買いに行く約束を交わした。